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聞いた話は嘘なんだろう、見ているのは幻なんだろうって、アンジェリークは思い込もうとしていた。 だが、何度見てもそれは消えることはなくて、それどころか鋭い噛み痕になって、襲い掛かってくる。 よくよく見ると、アリオスが連れている女性は、自分と正反対のような気がした。 大人びていて、艶やかで…。その上、ご飯を食べるのも少しずつ食べていて、マッハクラスな大食い娘アンジェリークとは 全く反対と言っても良かった。 やっぱり、アリオスだって、綺麗で大人な女性が好きなんじゃない…。 上品に少しだけ食べる女性が好きなんじゃない…。 突き付けられた事実に、アンジェリークは急に食欲を無くす。 結局、そこに長居はしたくなくて、さっさと後片付けをして出た。 胸がこんなに苦しいのは、本当に生まれて初めてかもしれない。 何も食べたくなくて、なにもしたくない…。 アンジェリークはロッカーで鞄を取ってから、近くの丘に登ることにした。 あの丘なら、ひとりで切ない感傷に浸ることが出来るから。 アンジェリークはひとり、初夏の風に吹かれて、膝を抱えて学校を見る。 どこを見ても、アリオスを思い出して辛い。涙が込み上げて来て、何度も鼻を啜った。 「嫌だな…。何でこんなに泣きたくなるんだろう…」 アリオスが嘘を言っていたことが解ったから? アリオスの好みが自分とは違っていたから? アンジェリークは思い付くことを考えては、酷く暗くなって落ち込んでいた。 土曜日がこんなに楽しみだったのに、今は苦痛の日に変わろうとしていた。 どれぐらいそこにいたかは解らないが、アンジェリークはじっと夕やけが暗く闇を運んでくる迄、見つめていた。 流石に遅くなると、親に怒られるので、アンジェリークは家に帰ることにした。 いつもならお腹の空き具合で、大体の時間は判断できるというのに、今日は全く判断が付かない。 お腹は全く空かないから。 何か切ないことがあれば胸が苦しくて食事が出来ない事を、アンジェリークは初めて知った。 三杯飯をいつもは喰らうアンジェリークが、一杯しか食べなかったことを、両親は酷く心配した。 「何かを拾い食いでもしたの!? お腹を壊したの?」 母親は至極心配してくれていたが、今のアンジェリークにはそれが酷く重苦しい。 「大丈夫。昼間かなり食べ過ぎたから」 親には適当なことを言っておいて、アンジェリークは部屋に篭った。 先週はあんなに幸せだったのに、今や地獄の三丁目にいるような気分になる。本当に雲泥の差を感じた。 結局は、色々と考えた揚句に眠れなくなり、アンジェリークは寝不足と不安定な心を抱えて苦しむはめになる。 「アリオスのバカ…」 今、悪態をつけるといえばせいぜいこれぐらいで、他の言葉すらも思い付かないような、そんな酷い状態になっている。 アンジェリークは何度も泣いて、結局は顔をぱんぱんに腫らしてしまった。 日曜日の昼下がり、アンジェリークは縁側でただぼんやりとしていた。 先週、夜の誘いがなかったのも、理解出来るような気がした。 きっとアリオスは、自分といると面白いとぐらいにしか思ってはいないのだろう。 女の子には珍しいタイプだから。 遊びだ…。 それもからかうのにちょうど良いぐらいなのだろう。 そう思うと何だかやるせないような気になった。 結局は、自分がひとりで盛り上がっていただけ…。 アンジェリークはそう結論に達して、春の空に泣いた。 あれからアンジェリークは土曜日には真っ直ぐ家に帰ることに決めた。 どうせアリオスも、それはそれだとさらりと思うだろう。それどころか、せいせいしているかもしれない。 土曜日は以前のように直帰することにした。レイチェルがクラブで遊べない日なので、特に何もすることはないので、近くの図書館で勉強をすることにした。 内部進学もしたくなくなり、外部で充実した建築科を捜して、受験することも決めたので、しっかりと勉強しなければならないからだ。 また、土曜日には内部進学相談会があったが、外部進学を選択するアンジェリークは、出席しなかった。 ひとりで今日も図書館で勉強をする。 日曜日でも、一生懸命、勉強をする姿に、親は喜んでくれているが、アンジェリークは本当のところはちっとも嬉しくなかった。 あれからアリオスとは全く会ってはいない。見てもいない。 元々、接点があるはずのない二人だったのだから当然だ。 「ここ、空いているか?」 「どうぞ…」 アンジェリークは顔を上げるなり驚く。そこには紛れも無くアリオスがいた。 「あ…」 忘れたかった切ない感情が再び蘇って来て、アンジェリークは泣きそうになる。 「久し振りだな」 「はい」 アンジェリークはアリオスの眼差しをちゃんと見たくはなくて、逸らすようにして言う。 「内部進学から外部進学に切り替えたそうだな?」 アリオスの声は感情がなくて、どこか硬い感じすらする。アンジェリークはそれが恐ろしく感じた。 「…だからいっぱい勉強しないといけませんから…」 アンジェリークはそれだけを言うと、冷静になるように務めながら、勉強に戻った。 だが、心臓がかなりドキドキとする。 アリオスの視線を感じて、喉の根元が酷く渇く気がした。 「アンジェリーク」 名前を呼ばれても、余り返事をしないように、わざと勉強に集中するふりをする。 「おい、どうして最近、土曜日に来ないんだ?」 「勉強が忙しいからです…」 アンジェリークは学生としての伝家の宝刀を使い、更に無視をするようにして勉強を続けた。アリオスが舌打ちをするのが耳に入り、恐ろしかったけれども。 「勉強なんて、関係ないだろ? あんなもんの為に、あんなに気に入っていた昼飯をおまえが諦めるとは思えねえがな」 「…大食いは卒業です…」 アンジェリークが素っ気なく言うと、いきなり手を掴まれる。 「えっ!?」 顔を上げると、アリオスが睨み付けるような厳しい目線を向けてくる。 「ここは図書館だ。余り、痴話喧嘩の場所じゃねえからな。外に行くぜ」 「あっ」 アリオスに手を掴まれたまま、そのまま立ち上がらされる。 「荷物はこれだけか?」 「あ、うん」 アリオスはアンジェリークの荷物を手早く片付けて鞄に詰めてしまうと、それを持って強引に引っ張られる。 アリオスの今までにない強引さに、アンジェリークは戸惑っていた。 アリオスが何を考えているのか、全く解らない。アンジェリークは不安げにアリオスを見上げるが、彼は何も応えてはくれない。 「何か、食うか?」 「あまり食欲がなくて…」 「珍しいな。おまえ、熱でもあるんじゃねえか?」 アリオスが熱を計る仕草をしたので、アンジェリークは少し躰を引いた。 「…もう、大食いアンジェは辞めたの…」 「太るのを気にしていたとしても、おまえは胃下垂だからふとらねえだろうが」 「だって…」 アンジェリークは拗ねたように言うと、切なくて俯く。 「アリオスだって…、どうせ、小食の女の人のほうが好きでしょ。私みたいな胃下垂女より…」 かなりいじけながら、アンジェリークが言うと、アリオスにいきなり肩を掴まれた。 「俺がいつそんなことを言った?」 アリオスの声は低く鋭くなり、凄みも増している。 本当の意味でアリオスが恐いと思ったのは、初めてだった。 「…どうしてそんな思考になるのか、おまえから聞きたいもんだな?」 低くトーンが落ち着いている声ほど、恐いものはない。 アンジェリークはアリオスの追求から逃れられないような気がした。 「…だって、アリオス、この間、綺麗な女性と一緒に土曜日いたじゃない…。あんまり食べない、私と正反対のような女性と…」 アンジェリークの言葉のトーンはどんどん小さくなってくる。こんな嫉妬丸だしな言葉を、本当は言いたくなかった。 「俺があいつといたぐらいで、どうしてそんな思考になるんだよ? おまえがいるのは知っていたが、時間がないからどうしてもって言われて相談に乗っただけなのによ」 アリオスは少し苛立ちながら言い、相変わらず鋭いままの視線を向けてくる。 「…だけれど、ひとりの女性が言っていたわ…。あなたと彼女が噂になっているって…」 アンジェリークはアリオスを追求するようについつい見てしまう。 「じゃあ、おまえは俺のことは信じられなくても、噂は信じるっていうのかよ?」 アリオスの不機嫌は最高潮に達している。アンジェリークはその視線がかなり恐ろしくて、目線を会わせることが出来なかった。 「だって、アリオスが彼女と一緒にいたのは事実じゃないの? 私はこの目で見たもの」 アンジェリークも半ば興奮していたので、ついつい論旨はいきり立ってしまう。 「…おまえは俺が信じられない。それが良く解った。それだけだ」 アリオスは冷たい声で言い放つと、握り締めていたアンジェリークの手を振りほどく。 アンジェリークは心の奥が完全にえぐり取られて、血がどくどくと流れるのを感じた。 「おまえとまともに話をしようとした俺がバカだった」 言い捨てるとアリオスは足早に立ち去る。 その後ろ姿を見つめ、アンジェリークはアリオスへの想いが溢れてくるのを感じた。 折角、会いに来てくれたのに、このままお別れになってしまうの? そんなのは嫌だ。 アンジェリークはアリオスの背中に向かって、精一杯に名前を呼ぶ。 「アリオス……!!!」 だが次の瞬間、アンジェリークの背後に一台の車がブレーキがかけられないまま、突っ込んでこようとしていた。 |
コメント 次回に続きます。 厳しい建築かなアリオスさんを もっと書いていきたいな〜。 頑張る。 |