9
躰が痛くて重い。 心地良いまどろみに漂いながらも、アンジェリークは必死に光に向かおうとしていた。 そこにたどり着けば、きっと楽になれる。 ふと心地良い冷たさを肌に感じた。 優しくて、気持ちが良くて、とても安心する。アンジェリークはほっとして大きく深呼吸をした。 また心地良い闇にそっと紛れていく。安心して、アンジェリークは深い眠りにもどった。 目覚めた時、脚の自由が効かないことに気付いた。 痛みと共に重い感覚が襲ってくる。 目をゆっくり開けようとすると、自分が車に跳ね飛ばされた記憶が蘇ってきた。 助かった…? 私…。 本当にゆっくりと目を開けると、見馴れない白い壁を感じた。 「アンジェリーク…!!」 最初に視界に映ったのは母親だった。そして父親もいる。 「お父さん…、お母さん…」 「よかった…」 母親がしっかりと抱きしめてくれるのを感じ、その優しい温もりで、アンジェリークは現実に還って来たことを知った。 「…有り難う、お母さん…」 「ホントに心配かけて…! 脚の骨に皹だけではたいしたことはなかったから、直ぐに退院出来るみたいよ。と言っても、やはり少しは入院しないといけないみたいだけれどね…」 骨に皹…。 脚を見れば動かないように、しっかりと固定されている。アンジェリークは思わずうめき声を上げた。 「私たちよりね、もっと感謝をしなくっちゃならない人があなたにはいるわよ」 それを聞いて、アンジェリークはドキリとする。ときめくように心臓の鼓動が跳ね上がった。 アンジェリークは僅かに頬を染めながら、潤んだ瞳で母親を見る。 「あなたが進路指導を受けている大学の先生…。あなたを病院に連れて来てくれて、そのうえ、昨日は一晩、あなたを診てくれたのよ。良い方ね…。アリオスさんって」 母親が意味ありげに微笑んだものだから、アンジェリークは益々真っ赤になった。 アリオスが、一晩中、私を診てくれていたんだ…。 あの冷たくて気持ち良い手…。アリオスだったんだ…。 アンジェリークは心の奥がほのぼのと温かくなるようなそんな気がした。 「ちゃんと養生しようね…。あなたを轢き逃げした犯人は、アリオスさんがナンバーを覚えていたお陰で、昨日、捕まったしね…」 「うん…」 アンジェリークの心は、アリオスでいっぱいになっている。 アリオスのぶっきらぼうな優しさに触れ、どうしてちゃんと信じてやらなかったかを悔やむ。ちゃんと信じてさえいれば、こんなことにならなかったかもしれないのに…。 「お見舞いに来て下さるかもね。無理せずに待っていなさい」 「…うん…」 アンジェリークははにかみながら、ただ頷くことしか出来なかった。 母親の助けがないと、まだちゃんと起き上がることが出来ない。 アンジェリークは躰を起こしてもらい、本を読んだり、窓の外を見たりしていた。 アリオスからの差し入れだという参考書を見ると、何だか苦笑してしまう。 お見舞いにもらったお菓子等を撮みながら、アリオスが今日来てくれたらいいのにと、思わずにはいられなかった。 我が儘なのは解っている。今日アリオスは仕事があるのだから。 午後からはアンジェリークのクラスメイトと担任が見舞に来てくれて、楽しいひと時を過ごすことが出来た。 彼等が帰ってしまった後は、また寂しくなる。アリオスが来ないかと、そればかりを意識して考えてしまう。 「アンジェ、そんなに扉を睨んでいても、アリオス先生は来ないわよ」 「解っているわよ…」 母親にからかわれて、アンジェリークはついつい拗ねてしまった。 「アリオスさんは今朝まであなたにつきっきりで看病して下さったんだから…。そう何度も看病を求めてはいけないわよ…。今日はお仕事なのに…。きっと疲れていらっしゃるわよ」 「解ってます。お母さん…」 アンジェリークはほんの少しだけ、母親に反抗するように呟いた。 じっと待っていても、時間は徒に過ぎて、面会時間は刻々と削られていく。 アリオスに会えるのは、あと僅かな時間しかないというのに…。 我が儘なのは解っているが、切なさを禁じ得ないアンジェリークだった。 いよいよ夕食の時間だ。これが終われば、母親も帰ってしまってひとりになる。 それが嫌でたまらなかった。 かちゃかちゃと食器が重なり合う音が聞こえる。夕食時間の合図だ。 「…とうとう、アリオス、来なかったな…」 アンジェリークはぽつりと呟くと、夕焼けの空をじっと見つめていた。 ふと、ノックする音が病室に広がる。 はっとしてアンジェリークが振り返ると、そこにはアリオスが立っていた。 「よう。調子はどうだ、アンジェリーク」 「アリオス…」 アリオスの姿を見るだけで、彼へのどうしようもない恋心が沸き上がってくる。 相変わらず素敵過ぎるアリオスに、アンジェリークはただ見つめることしか出来なかった。 「痛いか?」 「ちょっとは…。だけどお医者様が打ってくれた鎮静剤で随分かましよ」 「それは良かったな…」 「うん…」 アリオスはゆっくりとアンジェリークのベッドに向かって歩いてくれる。 じっと、総てでアリオスを想いながら待つ。 アリオスが長い脚を投げ出すように椅子に座ったところで、アンジェリークは頭を下げた。 「アリオス…。色々有り難う…。本当に感謝しているの。私の我が儘からこんなことになったのに、病院に運んでくれたり、一晩中看病してくれたりして、本当に感謝しているんだ…。有り難う…」 アンジェリークが心を込めてアリオスに頭を下げる間、彼はずっと真摯な態度で聴いていてくれた。それが嬉しくてしょうがない。 「早く頑張って、直せよ」 「うん…。お菓子と参考書も有り難う…、凄く嬉しかった…」 アリオスはアンジェリークの傍らにある箱を見て、そんなに減っていないのを見つけたようだった。 「ちゃんと食ったのか…?」 「ちょっとだけ…。ごはんまえだしあんまりね。以前よりは食べられないけど」 アンジェリークが苦笑をすると、アリオスも僅かに笑ってくれる。 「そうだな…。でも、また、元気になったら、いっぱい飯を食えよ。おまえらしく、明るくな」 「うん…。有り難う」 本当にそうなればいいとは思う。けれども、アリオスと綺麗な女性のことが燻っていて、アンジェリークは旨く笑うことが出来なかった。ただ、曖昧にだけ笑う。 「元気になったら、またいっぱい食え。美味いレストランに連れていってやるから」 「うん…。アリオス、有り難う」 本当に元に戻れたらいいのに…。心からそう想うが、それは果てない夢のような気がした。 「当分、お休みだな」 「はい…。出席日数とか考えると、やっぱり外部進学かと思います。頂いた参考書で勉強します。友達もノートをコピーして持ってきて貰ってますから、それも合わせて勉強します」 「勉強ぐらい、俺が見てやる。おまえを内部進学ぐらいさせてやる」 アリオスは有無を言わせないような強い調子で言ってくる。その響きがアンジェリークには切なかった。 「…外部進学を…」 「うち以上に条件が整った大学は、おまえにはないはずだぜ」 それは本当のことだけに、アンジェリークは黙り込む。だが、アリオスが他の女性と親しくしたり、結婚なんてすることは見たくはない。 「…何をそんなに外部進学にこだわる?」 本当のことなんて言えやしない。アンジェリークはすっかり押し黙ってしまった。 アリオスの顔をまともに見ることが出来ない。そもそもはこれが原因で、ふたりが大喧嘩をして、このようなことになってしまったのだから。 アリオスが怒っているのは、解り過ぎるほど解っていた。 「おい…。何も言わなくちゃ解らねえだろうが…。俺はそんなに気は長いほうじゃねえからな」 だが、言えない。こんな嫉妬に狂った子供じみたことを言うと、きっと彼は怒るだろうから。 「…アンジェリーク…」 アリオスがなるべく怒らないようにしているのは解る。だが、その言葉尻に怒りは感じていた。 「…そうか。言いたくなかったら仕方ねえな。今は進学のことより、怪我を直すことを考えろ。そんなに気長に待つつもりはねえが、俺はおまえを内部進学させるからな。絶対に」 アリオスはそれだけを言うと、立ち上がる。椅子を引く音を聴いた瞬間、胸の奥が激しく痛んだ。 アリオスが行ってしまう。それだけで泣きそうになる。 それとタイミングを同じにして、夕食が届けられた。アンジェリークが歩けないので、母親が持ってきてくれた。 「アンジェ、夕飯よ。お母さん、お父さんたちの夜ごはんの仕度をしなくちゃならないからこれで帰るわね。あ、食べ終わったら、配膳係の人がベッドまで取りに来てくれるそうだから」 「うん。有り難うお母さん」 アンジェリークは母親にしっかりと礼を言った後、アリオスを見た。 「アリオスさん、お見舞い有り難うございました」 そう言ったのにも関わらず、アリオスは再び椅子に腰掛けた。 「せめて、おまえが飯を食い終わるまでは、話し相手になってやるよ」 「そう、じゃあ宜しくお願いしますアリオスさん。アンジェリーク、じゃあ今夜は無理をしないのよ」 「うん…」 母親は上機嫌で帰ってしまい、ふたりは病室に取り残される。 「ほら、食え。食わねえと、怪我も治らねえからな」 「…うん…」 アリオスに言われて食べ始めるものの、中々旨く食べることが出来ない。スプーンを持つ手が打撲傷になっていたからだ。 「しょうがねえな…」 「え…」 アリオスがそう言うと、アンジェリークからスプーンを取り上げて、食べ物を掬ってくれる。 「ほら、あーんは?」 「あ、あーん…」 アリオスに食べさせて貰うという行為は、恥ずかしくて妙になまめかしく感じた。 アリオスは指示通りの食べ物を口に運んでくれるが、時には嫌いなものも掬ってくる。 「アリオス、私、食べられない…っ!」 「食え。好き嫌いはよくねえからな」 「うーっ!」 いくら怒っても、アリオスが止めてくれるわけはなく、アンジェリークは渋々食べた。 冷たいお茶ぐらいは自分で飲もうと手を伸ばす。するとアリオスに制されてしまった。 「それも俺が飲ませてやる」 てっきり湯呑みを口に持ってきてくれると思っていた。だがアリオスは、湯呑みのお茶をそのまま口に含むと、唇を重ねてくる。 アンジェリークは驚きに目を丸くした。 |
コメント 次回に続きます。 厳しい建築かなアリオスさんを もっと書いていきたいな〜。 頑張る。 |