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アンジェリークの発した「痛い」という言葉に、アリオスは直ぐに即効性のある痛み止めを投与した。 その間、アンジェリークは成されるがままに無防備だ。 かつてアンジェリークが、こんなに無防備になったのはなかった。 それだけ痛みを感じていると思うと、アリオスは胸が痛くなるのを感じる。 痛み止めを投与すると、アンジェリークはホッとしたように息をついた。 「…アリオス…、あなたが手術…してくれたの…?」 「ああ」 きっと不本意だと思っているのだろう。そんな雰囲気すら感じる。 「有り難う…」 意外な言葉に、アリオスは思わず息を飲む。こんなことは想像だにしなかったのだ。 「…アンジェリーク…」 まだ意識が朦朧としているのだろう。アンジェリークは薄く力無く笑うと、また目を閉じてしまった。 何度でも聞きたいアンジェリークの優しい声。 アリオスはその響きを、まるで宝物のように大切に心の中にしまい込んだ。 「アナタもそんな顔をするんだ」 じっと様子を見ていたレイチェルが、意外そうに呟いた。 アリオスは答えられない。 「いっつもクールぽく気取ってさ、何考えているか解らない気難しさを漂わせてるけど、アンジェリークの前じゃそんな顔するんだ。最も、それは初めての顔だってことぐらいは、ワタシには解っているけれどね」 レイチェルはさらりと言うと、アンジェリークの小さな手を握る。 「アナタが有能な医師だということと、患者には優しいことが解ったけれど、まだ完全に信用したわけじゃないよ。それだけは覚えておいて。だってアンジェにあんな仕打ちしたじゃん」 レイチェルのキッパリとした言葉や態度に、アリオスは今更ながら気付かされた。 あの優しいアンジェリークは、幻なのかもしれないと。 翌朝、集中治療室に顔を出すと、アンジェリークが目覚めていた。 アリオスの顔を見るなり、複雑な表情をしている。昨日の甘やかな声も、優しい天使のような表情も、全てが夢の中に霧散してしまっている。 「…おはよう。痛みはどうだ」 「まだ…痛いです…」 幾分かよそよそしさが含まれた声に、アリオスは胸を針でチクリと刺されたような気分になった。 「仕方ない。もう少し様子を見たら、一般病棟に移ってもらう」 「良かった。そうなったら、私は転院出来ますか?」 今更何を言うのだろうと、アリオスは不快感を滲ませる。眉間に自然とシワが寄った。 「良くなるまでここにいればいい」 「嫌です」 アンジェリークはまだ息を弾ませながら、しかし強い口調で言う。 「ちゃんと自分の主治医に診て貰いたいです。…手術をして頂いたのは感謝していますが…」 アンジェリークは幾分か声を震わせながらも、他人行儀に言う。言外に、アリオスに治療してもらいたくない雰囲気を滲ませていた。 「我が儘を言うな。相変わらず勝手な女だ。お前の手術をした以上、俺がお前の主治医だ! よく覚えておけ!」 アリオスは声をあらげると、アンジェリークをいつもの様子で睨みつける。それをアンジェリークは挑むように受け入れていた。 「…あなたに手術をして欲しいだなんて…一度だって思ったことは…ないっ!」 言い切った後、アンジェリークは顔をしかめた。まだ傷むのだろう。 アンジェリークが大手術をしたばかりだということを、アリオスは改めて思い出し、瞳を閉じた。 言い過ぎた。だがもう撤回は出来ない。 「…私の顔なんてみたくないでしょ…。せめて主治医を変えて下さい。ここにいる間は…。無駄に疲れたくないから…」 アンジェリークは目を閉じると、これ以上は話したくないとばかりに、アリオスに拒絶的な態度を取る。 それを見せ付けられると、アリオスはひかざるをえなかった。 アリオスが病室から姿を消すと、アンジェリークは溜め息をついた。 悔しくて閉じた眦から涙が出る。 命を救って貰ったのは感謝している。あの状況でアリオスに当たったことは、ラッキーだったのだろう。だが、今までの態度を考えると、あのような対応しか出来ない。 泣くと、心臓がまだ生きていることを示してくれる。 だが、その音は、金属音に変わっていた。自然な心音は、もうアンジェリークには無縁なのだ。 まるでオズの魔法使いのライオンのようだと思った。 人工の心臓弁で、仮の勇気を与えられたような気がする。 だが、これだけは言える。 今の自分はライオンよりも弱虫だ。 アリオスにまともに対峙が出来ない。まるで我が儘を言う子供のような態度を取ってしまう。 アンジェリークは溜め息をつくと、また意識をたゆらせていた。 暫くして、長身の赤毛の男が、アンジェリークの病室に入ってきた。 「心臓内科医のオスカーだ。お嬢ちゃんを担当させてもらう。宜しくな」 「はい、宜しくお願いします」 フランシスとは違った意味で軟派さがある男だと思いながら、アンジェリークはほんのり笑顔を浮かべて返事をした。 「…アリオスとは昔からの知り合いだと聞いているが」 「アリオスの亡くなった奥さんのいとこなんです」 「なるほど」 オスカーは頷くと、アンジェリークの診察を始めた。 「先生、私は順調ですか?」 「ああ」 「だったら、早い時期に、いつも使っている病院に転院したいんです」 アンジェリークの要望に、オスカーは眉を潜め、診察の手を止める。 「…それはどういうことだ?」 「ここだと落ち着かなくて…」 アンジェリークは曖昧に言ったが、怜悧なオスカーは何かに気付いたようだった。 「ほう…。で、どこの病院だ? 担当医師は?」 「アルフォンシア病院のフランシス先生です」 「心臓内科医だな」 オスカーは知っているとばかりに、頷いた。 「はい。いつも診て頂いています」 「お嬢ちゃん的にはフランシスが信頼しているから良いのか…それとも…」 オスカーはそこで切る。 「アリオスが嫌だからか…?」 図星あったせいかで、アンジェリークは躰を一瞬揺らす。 「…私がじゃなくて、アリオスが嫌なんですよ…」 「ほお…」 興味深げに言いながら、オスカーは眉を上げる。だがそこは医師たらんところで、それ以上は何も言わなかった。 「…希望を優先してやりたいところだが、こちらも命に関わることなんでな。簡単に了承とは言えない」 「…解っています。だけど、患者の意思や精神衛生は考えるのも医師としての務めじゃないですか」 「それはそうだけどな…」 オスカーは困ったように目を伏せると、アンジェリークの肩をぽんと叩いた。 「まあ、検討しておく…。今の俺にはそれしか言えない。主治医は俺だけじゃないからな」 オスカーは暗に、アリオスの了解がいることをほのめかしていた。 「お願いします」 アンジェリークはそれ以上は何も言わず、それで議論を打ち切りにしてしまった。 「お大事に」 オスカーは静かに言うと、そのまま病室を出ていく。 アンジェリークはホッとしたように溜め息をついた。 オスカーが医局に戻ってくると、アリオスはすぐに近づいた。 「オスカー、アンジェリークは何か言わなかったか?」 自分が聞くと教えてはくれない以上、アリオスはオスカーにきくしかあてがなかった。 「かかりつけの病院はアルフォンシア病院。心臓内科医はフランシスだ。残念ながら、担当外科医は解らないが」 「サンキュ。恩にきる」 「俺の恩は高いぜ!」 オスカーが笑いながら言うと、アリオスは苦笑した。 直ぐに言われた病院に電話をかける。 スモルニィ病院のアリオスと名乗るだけで、取り次いで貰えた。 「フランシスです…。アリオス先生…。私に…何かありますか…?」 「…アンジェリーク・コレットについて聞きたいことがある。昨日、バスの中で倒れて、うちの病院に運ばれ、俺が手術をした。いつから心臓を悪くしているかを、聞きたい」 アリオスはフランシスに有無言わせないような、強い口調で迫る。だが相変わらずフランシスは、穏やかなままだ」 「2年前からですよ…。たまたま、当時、うちの医師が住んでいた高級アパートメントに訪ねた時に、階段で倒れている若い女性を、私と外科担当医のヴィクトールと見つけたんです…。すぐにうちの病院に運びましたが、あの時もかなり危なかった…」 2年前、高級アパートメント…。 アリオスは背中に嫌な汗を感じる。 まさか。 「おい、そこのアパートメントは、”デューン”という名前で、時期は秋じゃ…」 「その通りですよ」 「……!!!」 アリオスの頭の中に衝撃が走り、謎だったパズルの1ピースがようやくはまる。 ”デューン”は、かつてエリスと新婚生活を送っていた場所だ。そしてエリスが亡くなった場所。 アンジェリークがエリスを看病出来なかった理由。 それは倒れていたからだ。 アリオスは悔恨の念を深く感じていた。 |
| コメント 秋になりおなじみの愛の劇場がスタートです! 宜しくお願いします。 |