Rainbow Connection

11


 今まで、アンジェリークの何を聞き、何をみていたのか。全く自分がしていたことは、節穴だったと、アリオスは思わずにはいられなかった。
 桜を見る眼差しも、俳句を作る厳格な雰囲気も、時間にこだわる言葉も、総ては時間に限りがあることを知っていてのことだったのだ。
 寂しそうな瞳も、言葉にも、総てその裏には、やるせない時間への切ない気持ちが込められていたのに。
 それにどうして気が付いてやれなかったのか。
 話さなければならない。そして、自分の手で何とかしてやりたい。
 どんな病気を抱え、あとどれぐらいの時間が遺されているのか。その苦しみを、アリオスは少しでいいから取ってやりたいと思った。少しで良いから分かち合いたいと思った。

 翌日、アンジェリークはいつもの時間に登校をした。もうすぐ誕生日だ。
 地面や木々に注ぐこの光が、もう少し強くなる頃には、このプロジェクトは終焉を迎える。
 時間は確実に過ぎ、揺るぎ無く戻ることが出来ないのだと、アンジェリークは感じる。
 今まで、これほど時間の流れに敏感になった時期は無かった。
 だからこそ、この通学をしている間も、貴重な時間のように思える。
 今日もその先に広い大きな背中が待っていた。
 その広さに、アンジェリークは息を呑み、たじろぐように立ち止まる。
 こちらの戸惑いを感じたのか、アリオスがゆっくりと振り向く。まるでスローモーションがかかった映像のように、ドラマティックだった。 
 振り向いてこちらを見たアリオスの銀色の髪は、朝日をいっぱいに弾いて輝いている。まるでとっておきの宝石のように見えた。
 表情がいつもに増して陰っている。その顔は窶れているようにも見えた。
「おはよう、アンジェリーク」
 低い声で、言葉を噛み締めるような響きに、アンジェリークの心は深い部分で奪われていく。
 だが、惑わされてはならない。
 この感情に流されれば、更に辛いことになるかもしれない。
 アンジェリークは踏ん張るように唇を噛み締めると、アリオスに軽くぎこちない会釈をする。
「おはようございます、アリオス先生」
 横をせかせかと歩いて通り過ぎようとしても、アリオスがそれに合わせて着いてくる。脚の長さは圧倒的にアリオスが長いので、直ぐにアンジェリークに追い付いてきた。
「先生は急がないと、遅刻じゃないんですか?」
「保健医はちゃあんと保健室を開けていたら、文句は言われねえよ」
「随分といい加減ですね」
 アンジェリークは早口で感情なく言うように務めながら、足速に歩く。アリオスもそれに合わせるので、ふたりの動きはまるで競歩のように見えた。
「今日は俳句クラブの特別会合を保健室でやる。おまえも放課後に来いよ」
「用事が…!」
 そこまで言い終わる前に、アリオスは有無も言わせぬ速さでいってしまう。
 アンジェリークはその姿を見送りながら、大きな溜め息をついた。
「…私が関わりを持たないようにしようって思った途端に、関わろうとして来るんだもん…。狡いよ…、先生…」
 胸がどうしていいか解らない感情に苛まれる。涙が零れてきたことを、誰にも知られたくなくて、アンジェリークは俯いてごまかす。
 こちらが欲しい時には手を伸ばしてはくれず、こちらが諦めた時に逆に手を伸ばしてくる。
 アンジェリークはそれを今度こそは振り切らなければならないと、心のどこかで感じていた。
 だがそう出来るのかは正直自信はない。
 しかし振り切らなければ、もっと苦しみ、大きなものを欲しがってしまう。
 それが居たたまれなかった。

 アリオスからクラブの誘いがあっても、アンジェリークは中々行くことが出来ずにいた。
 保健室の前を何度も行ったり来たりを繰り返したが、中に入ることが出来ない。
 これ以上、アリオスに頼っても、何をしても埒はあかない。ならば、このまま疎遠になったほうがいい。
 アンジェリークは保健室の扉前で一礼をすると、静かにそこから立ち去った。

 花の散るような雰囲気がして、アリオスははっとドアを開けた。
 そこにはアンジェリークはいなかった。
 ただそこにあるのは、生命力が溢れる生徒たちの声だけだ。
「やっぱり来ねえよな…。そんな気はしてたけれどな…」
 アリオスは保健室に引っ込むと、唇に煙草を押し入れる。紫煙を吐いても、いつものように美味しいとは全く感じなかった。
 これ以上関わらないほうが良いと思うべきか、とことんまで関わらなければならないのか。
 アンジェリークの冷たい態度を目の当たりにしながら、アリオスは複雑な気分になっていた。
「とかくこの世はままならぬか…」
 アリオスは煙草の火を消すと、行動を起こすために職員室に向かった。
 目指すはルヴァのところだ。
「ルヴァ、話があるんだが、いいか?」
 職員室に入り、アリオスはずかずかとルヴァの所に来るなり、単刀直入に言った。
「何でしょう?」
「時間があるなら、保健室に来て貰いてえんだが…」
「何かお困りでも?」
 相も変わらずルヴァはのんびりと言いながら、日本茶をすすっている。アリオスとは対照的な態度だ。
「”メイク・ア・ウィッシュ”についてだ」
 この言葉に、ルヴァの顔色は直ぐに変わり、厳しいものとなった。のんびりとすすっていたお茶も机にそっと置かれる。
「解りました。私がお話出来る範囲までですよ、アリオス…」
 ルヴァはゆっくりと腰を上げた。アリオスに視線を合わせずに、その深い睫毛の影を落とす。やり切れない想いになっていることを、アリオスも感じていた。
 保健室に入ると、ルヴァは窓の外をじっと見ていた。日はすっかりと長くなり、6時半を過ぎても、まだうすら明るい。
「そのことをどこでお知りになりましたか? アンジェリークが”メイク・ア・ウィッシュ”の一環で、ここに来たと言うことを…」
「保健医なら、あいつの躰がかなり悪いことぐれえは解るさ。それに…、偶然に、あんたが昨日、アンジェリークの書類を落として、それを俺が拾ったんだよ」
「なるほど…」
 合点がいったとばかりにルヴァは一度だけ頷き、いつもよりも低い落ち着きの払った声で話し始めた。
「確かにアンジェリークは、夢を叶えるボランティア団体の尽力でここにいます…。私もボランティアとして、その力にならせて貰っています。ですが、これ以上のことは、私にはお話出来ません。守秘義務もありますが、アンジェリークがそれをあまり話したくないという気持ちを尊重したいのです。元々外科医のあなたならば、どれぐらいの状況で、このプロジェクトが遂行されていることをお分かりでしょう? 後はあの娘が話す気になるまで、そっとしておいてはくれませんか? と言っても、このプロジェクトも間もなく終焉を迎えます。ただ、この学校でいられる最後の日まで、アンジェリークらしく学校生活を送らせてあげて下さい。それだけです…」
 ルヴァは目を細めながら、滲み出る涙と感情を抑えこんでいるように見えた。言葉は優しく選びこんだものだけを使用し、声のトーンは慈愛に満ちている。
「後はアンジェリークに訊いてやって下さい。後のことは…。病気の状況などは、私から一切お話をするわけにはいきませんから…」
 ルヴァはそれだけを言うと、「失礼」と言って静かに出ていってしまった。
 アリオスはそれをじっと見送り、机に視線を落とす。
 かつて自分は外科医だった。
 小児病棟と関わることはほとんどなかったせいか、噂にしか聞いたことはなかった”メイクアウィッシュプロジェクト”。
 アンジェリークとの出会いを産んでくれたのが、これだなんて、アリオスは泣けないぐらいに追い詰められた気分だった。
 机の上に用意しておいた、アンジェリークの俳句ノート。そこには、アリオスなりの添削と感想を、心を込めてしておいた。
 命の詩だとアンジェリークは言ったが、全く素直な意味であったことを、アリオスは今更ながらに想い知らされる。
「アンジェリーク…」
 ノートを弾き、アリオスは深呼吸をする。
 自分にもう少しの自信と力があれば、アンジェリークを救うことが出来るかもしれないのに。

 翌日も、アリオスは辛抱強くアンジェリークを待ち構えた。
 同じ時間、同じ道で。
 雨が降っていたが、そんなことは気にさえならなかった。
「おはよう、アンジェリーク」
 同じように声をかけると、アンジェリークがまたぎこちなく頭を下げて来た。
「…昨日はすみません、何も言わずに帰ってしまって…」
「そうだな。罰として、雨をテーマにした俳句をノートに書いてくること。おら返却だ」
 アリオスがぶっきらぼうにノートを無造作に返却すると、アンジェリークはそれを素直に受け取った。
「有り難うございます」
 アンジェリークは何度も礼を言い、目をしっかりと閉じて、大切なもののようにそれを扱う。
「気分が悪くなったら、構わず保健室に来い」
 アリオスはそれだけを言って、アンジェリークから静かに離れた。
 小さな足音が聞こえる。
 優しい足音を聞けば、雨が降っていても、先程ほどは絶望を感じなかった。

 昼休み、アンジェリークはアリオスから返却されたノートをしっかりと目を通した。
 誰にも知られたくなくて、人通りが余り無い、非常階段でそれを見る。
 ノートを開けると、雨の香りと万年筆の香りが入り交じって、とても優しい雰囲気になっている。
 深呼吸をすると、一生懸命読んだ。
 ひとつずつ達筆で書かれた文字は、アリオスの気持ちを深く表している。
「…私は何を贅沢なことを考えていたのかな…。こんなにしてもらって、もう充分な筈なのに欲張り…。私に未来なんかないのに…」
 雨と同じように、アンジェリークは涙を流す。
 白いノートには、気持ちを表した俳句を認めていた。
 『春雨よ切ない気持ちを洗い流して』
 『雨よ優しく私を包み込んで』
 字がいつしか雨と涙で滲んでいた。
「せめて残された時間だけ…夢が見られたらいいのに…。だけどきっと欲張ってしまうわね。もっともっと生きて傍にいたいって…」
 鼻水なのか雨なのか自分でも解らないまま、アンジェリークは鼻をすする。
 見上げた空は春特有の灰色だった。

 放課後、アンジェリークはアリオスへの”罰”を提出しに保健室へと向かった。
 ドアを開けるだけでドキドキする。慎重にノックをすると、アリオスの声が響いた。
「アンジェリークです! アリオス先生!」
「ああ。入れ!」
 アンジェリークはそれに答えて、そっと中に入っていく。
 机に向かっているアリオスの白衣が眩しくて、ちゃんと見ることが出来ない。
「罰を書いて来ました」
 真っ直ぐに腕を伸ばしてノートを差し出すと、アリオスは僅かに微笑んでくれる。
 今までにない笑みに、アンジェリークは虚を突かれた気分だった。
 言葉でも何ででも表現することが出来ないような微笑み。
 優しくて大きくて、だがこちらに気兼ねをしているようなそんな微笑みだった。見ているだけで、雲の上を歩いているようだ。
「アンジェリーク、いつ…、プロジェクトは終了する?」
「プロジェクト?」
 アンジェリークは一瞬まさかだと想いながら訝んだ。
「”メイク・ア・ウィッシュ”だ…。おまえどうして隠してた…。そんな大事なこと」
 全身に冷たい水を浴びたように、躰が震えて止めることが出来ない。
 衝撃によって与えられた寒気から身を守るように、アンジェリークは自分の躰を抱きしめていた。

TO BE CONTINUED
コメント

愛の劇場です。11回目です。
少しずつ進んできましたが、また書きたいところまで辿り着いていない。
頑張りますだ。




back top next