Rainbow Connection

13


 まだ胸が上下して、アンジェリークは上手く呼吸をすることが出来ない。浅いものを何度か繰り返しながら、アリオスにしがみついた。
「ゆっくり呼吸を整えろよ? いいな…」
 アリオスは雨に濡れることを厭わないかのように、アンジェリークをしっかりと支えてくれた。黙って抱き上げられると、保健室へと連れて行ってくれる。
 アリオスはその間、何も話したりはしない。ただ、アンジェリークの躰を支える手が、いつもよりも力強いような気がした。
 アリオスにこうして抱き上げられて運ばれていると、少しずつ落ち着いていくように思える全く現金なところは自分に似ていると思う。。
 保健室に入ると、先ずは椅子の上に座らされた。お馴染みの固くて座り心地が余り良くないモスグリーンのそれ。
 アリオスは無言でべっとりと濡れた髪をバスタオルでしっかりと拭いてくれる。力強いもので、その気持ち良さにアンジェリークは目を閉じた。
「躰とかも拭いておけ。体操服の予備を持ってきて貰うから、それに着替えて少し休め」
 アンジェリークは小さな女の子のように頼りなさげに頷くと、ただじっとしていた。
 春なのでもうしまいかけていたファンヒーターを出してくれ、躰の前に差し出してくれる。
「それまで温まっておけ」
 アンジェリークは返事をする代わりに、ファンヒーターに当たる。
 アリオスが無言だが、一生懸命髪を拭いてくれている。強さからその気持ちが伝わって来るような気がした。
 こんな状況のくせに、ときめいてしまう自分に、アンジェリークは苦笑する。同時に、どんなシーンであっても、アリオスを好きにならずにはいられない自分が、何だかほほえましくすら思えた。
 黙っていると、購買部のスタッフが体操服のサンプルを持ってきてくれる。
 それをアリオスを通して渡された。
「それに着替えてベッドに入れ。制服はシワにならねえように、きちんとハンガーをかけておけよ」
「…はい」
 心臓の時化のようなうねりもようやく治まったので、アンジェリークはのろのろと奥のベッドに向かう。
 着替えてベッドに入ってしまえば、随分と休息を取ることが出来るだろう。素早く着替えると、そそくさとベッドに入った。
「おい、着替えたか?」
「はい。着替えました」
 アンジェリークの返事で、アリオスが中に入ってくる。厳しい表情をしているのが、雰囲気だけで感じられた。
「アンジェリーク、おまえの病気は…心臓に関することか?」
 アリオスが言葉を選びながら、結局は選べぬままにストレートにきいてくる。戸惑いと知りたいという欲求が感情の波を作り出していることを、アンジェリークにはひしひしと感じられた。
「…私の心臓は人よりもポンコツ何です。ただそれだけ」
 なるべく深刻にならないように、アンジェリークは務めて明るく言った。それを痛々しいと感じているのか、アリオスの表情は暗く歪んでいる。
「ポンコツ具合っていうのは変だが…、保健医としておまえの状況を知らなければならない権利がある」
「私はもうすぐいなくなりますから、先生が心配してくれなくても…」
 アンジェリークは物事を達観したかのように静かに呟くと、アリオスに背中を向ける。
 これ以上アリオスに何かを言ってどうなると言うのだろうか。事態が好転するなんてことは、アンジェリークが助かるのと同じぐらいに確率が低いことだ。
 言いたい、でも言わない方がいい…。心の中で葛藤を繰り返しながら、アンジェリークは怯える子羊のような眼差しをアリオスに無意識で向けていた。
「そうやって校内で何度もしゃがまれたり倒れられたりしたら、保健医としては、責任を感じざるをえなくなる。おまえの状況を知っておけば、ある程度の処置をしてやることが出来るはずだ」
「私のは発作です。救急車を誰かが呼んでくれたら、それで構わないんです。…先生だって、治せないでしょう?」」
 アンジェリークは破れかぶれに言うと、毛布を頭から被った。
 それが総ての返事だ。
 結局はそう言うことなのだ。
「私はもうすぐここからいなくなる人間だから…。この世界からも、学校からも、総ての関わる世界から…。だから、先生もほおっておいて下さい。”メイクアウィッシュ”で望みを叶えられたのだから、それで充分です」
「俺はここにいる間だけでもおまえを何とかしたい…!」
「ここにいる間だけでしょう!? だったら意味ないものそんなこと…!」
 アリオスに背中を向けたままアンジェリークは強い調子で刃向かった。
 中途半端な優しさや哀れみはいらない。欲しいものは愛情だけ…。
 アンジェリークは肩を震わせると、また少し呼吸を粗くした。
「おい!? 大丈夫か!?」
「大丈夫です。じっとしていれば治るわ…」
 深い深呼吸をすると、アンジェリークは深く目を閉じる。
 そのまま黙り込み、何も話さないままでいると、睡魔に自然と襲われ、いつの間にか眠りこけていた。

 目覚めた時には夕方になっていた。
 夕日がこれみよがしに、アンジェリークに時間を告げている。
 触れてみると、かけていた制服はいつの間にか、綺麗に乾いていた。
 これを着て帰ればいいだろう。
 アンジェリークがごそごそと着替えていると、ベッドを隔てるカーテンが勢い良く開く。それは全く予想だにしていなかったこと。
「アンジェリーク、目が覚めたか?」
「きゃっ!?」
 上半身は下着姿だったにも関わらず不意に開かれたカーテンに、アンジェリークはお尻を思わず浮かしてしまうぐらいに驚いた。
「すまねえ!」
 本当に申し訳がない気持ちと狼狽が、アリオスの声から感じられる。そして少しの新鮮な驚きがそこにはある。
「…だ、大丈夫です…」
 言葉では何とか言えたが、アンジェリークの声は全く大丈夫なトーンではなかった。声が震える上に、唇も肌までもが震える。寒さではないことぐらい、自分が一番解っていた。
 カーテンがアリオスの手によって強引に元に戻される。
 心臓の鼓動は、病気とは別のときめきモードのスイッチが入ってしまい、華やかなダンスを奏でている。
 呼吸で何とかときめきを抑えこみながら、アンジェリークは震える手で着替えた。
 制服を着替え終わりベッドから出ると、固いモスグリーンのベンチには、アンジェリークの荷物が置かれていた。
「そろそろ放課後は終了だ。おまえも帰れ」
 アリオスは背中を向けたまま、ただ黙々と仕事をしている。
 深い壁がそこに横たわっているような気がする。とても厚ぼったいものが黒い色をして、アンジェリークに拒絶を呼びかけるような気分になった。
 こちらが拒絶をしたのだから、アリオスが拒絶をしても当然だ。
 アンジェリークはぼんやりと思いながら、広い背中に向けて一礼をした。
「有り難うございました!」
「ああ」
 素っ気ない返事に、アンジェリークは寂しい気分で薄く笑うと、鞄を持って外に向かう。
「アンジェリーク」
 アリオスに呼び止められ、アンジェリークはゆっくりと振り返った。
「また、体育の時間はここで休んでいけ。待っているから」
 ぶっきらぼうに冷たく響く声。それでもどこか温かみを感じる事が出来た。
 拒絶と感じた背中が、一気に陽炎によって緩やかになっていく。優しい風が吹き抜けた。
 アリオスなりの気遣いなのだろう。
「アリオス先生、どうも有り難う」
 アンジェリークはしっかりと礼を言い、また、ドアに手をかけたが、背中にアリオスの声を感じる。
「俺は心臓外科医だった」
 アンジェリークはこめかみがぴくりと神経質動くのを感じた。躰が硬くなる。
「大学病院の医師で、将来を嘱望されていた。ようやく医局員になって手術を任せて貰えるようになって一年。去年の年末に仕事は辞めちまった…。俺が担当していた患者が飛び降り自殺を図ったからだ…」
 アリオスはまるで独り言を呟くように言い、煙草を口にくわえた。ライターで火をつける仕草に悲哀と艶を感じ、アンジェリークは見とれてしまう。
 大人の、試練を持った男の横顔だった。
「アリオス先生の秘密の告白ですか?」
「いいや。ただの独り言だ。気にするな」
 アリオスはあっさりと言うと、紫煙を宙に吐き出す。そこに嗟嘆が感じられた。
「そうなんだ…。じゃあ私も独り言…」
 アリオスが話してくれたことは、彼にとってはあまり言いたくない過去に繋がっていることを、アンジェリークは良く解っている。それを話してくれたのだから、こちらとしても応えたい訳にはいかない。
 アンジェリークはアリオスと同じように、独り言を装って呟く。
「私の心臓には悪性の腫瘍が出来ているの。どんどん大きくなっていて、やがて血液の流れが上手くいかなくなって死ぬんですって。先生が言うには、化学療法を使えない厄介なところに出来ているから、手術してくれる勇気のある外科医を探さないとダメだって。その手術もかなり難しいらしいから、命の危険を曝すのには違いないです」
 話していてもまるで他人事のように思える。冷たい声だ。
 氷のような冷たさだなんて陳腐な表現では言い表せない、無機質な冷たさを感じた。
 夕日に染まるアリオスの横顔を、アンジェリークはじっと植物を観察するような目付きで見る。
 明らかにアリオスは顔色を失っていた。強張りや動揺がシャープな顔のラインを痙攣させている。
「腫瘍が血液の流れを妨げる…。か…。確かに難しいな…」
 アリオスはそれしか言うことが出来ないようで、言葉をつっかえている。
「忘れて下さい。誰にもどうしようもないことですし、発作を予測することも出来ないですから…。だから、先生はこの先よく知る必要はないと思います。私は、この学校から消えてしまうんですから…」
 アンジェリークはアリオスにもう一度礼を言うと、保健室を出ようとする。
「アンジェリーク! おまえはどこの病院に世話になっている?」
「…秘密です。でも、きっと先生なら…」
 アンジェリークは一瞬言いたくても、言葉を飲み込んだ。
「俺なら?」
 アリオスの声が訝しく響く。
「いいえ、何でもないです。私の病気で気を病むのは止めて下さいね。じゃあ」
 アンジェリークは今度こそ保健室のドアを開けると、素早く立ち去った。
 どうか、早く気付いて…。
 本当の私はあなたの過去にいる…。

TO BE CONTINUED
コメント

愛の劇場です。13回目です。
少しずつ進んできましたが、また書きたいところまで辿り着いていない。
頑張りますだ。




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