Rainbow Connection

14


 アリオスはかなり久しぶりに医学書をひもといた。
 本棚の奥に自分の視界からは届かないようにして、直してしたので、その埃っぽさに苦笑する。
 いったい、どれぐらい医療現場から背を向けていたのだろうか。
 故に手元にあるものは最新のものではない。アリオスは心臓外科手術の項目を、真剣に見つめた。
 アンジェリークの話を総合するに、だいたいの病名は検討がつく。だが、それがアンジェリークの本当の病名であるかは、あくまで予想の範囲を出ない。
 訊いたことろで、アンジェリークは言わないだろう。
 アリオスは心臓の組織図をぼんやりっ見つめながら、胸の奥が痛みでどうにかなりそうな気がした。
 本当に苦しくてしょうがない。
 アンジェリークを治してやりたいと思う気持ちと、自分には出来ないのではないかと思うネガティブな気持ちがせめぎあいになる。
 どうして出会ってしまったのか。
 そして、久々に『愛しい』というほのぼのとした感情が沸き上がった少女に出逢ったのに、どうして病に冒されていたのか。
 悶々と考えると、アリオスはいたたまれなくなる。逃げるように酒の瓶を掴むと、を浴びるように飲む。だが少しも酔うことも出来ず、現実からも逃げられなかった。

 翌日は晴れやかで穏やかな初夏の陽気だった。
 アリオスは何も考えたくなくて、ただぼんやりと外を見つめる。
 すると。遠くには、アンジェリークがレイチェルたちと楽しそうに移動する姿が見えた。
 陽射しに透ける白い肌は、病気であることなど信じられないくらいに眩しいほど輝いている。
 薔薇色に輝いた頬に、アリオスは命の煌めきを見た。
 あの輝きがこのまま失われてしまったら、この世界に太陽がなくなるのと同じぐらいに、アリオスにとっては大きなことになってしまうだろう。
 失いたくない。
 だが、まだメスを持つことには躊躇いを感じる。
 アリオスの中の複雑な想いが
 ただ、少しでも延命出来る方法があれば、それをアンジェリークに試させてやりたい。
 化学療法をアンジェリークには使えないことぐらいは解っていたが、アリオスはどんな事をしても、助けてやりたかった。
 自分がメスをこの手で握る以外は。
 アリオスは早速、アンジェリークの事をより知り、情報を集める為に、果敢に担任であるルヴァに再びアタックすることにした。何度でも果敢に訊いてみることにする。
 ちょうどルヴァが授業がない時間を見計らって、アリオスは職員室に向かった。
「ルヴァ、話があるんだが…」
「アンジェリークの事ですか…。余りお話をすることなどありませんが…」
 ルヴァは苦しそうに顔を背けている。いつもにはない表情に、アリオスは事の難しさを悟った。
「アンジェリークの事は、本当に私も余り詳しい事は知りません。ボランティアで”メイクアウィッシュ”に参加をしているだけですから…。あなたには申し訳ありませんが…、この間言いましたようにアンジェリークの事は事務局でも他人に教えないようにと止められています。あなたが私の所に来たということは、彼女から何も聞き出す事が出来なかったという事でしょう…。それでは、私はあなたに言うことは出来ません…」
 ルヴァはそう言ったきり黙り込んでしまった。こくな事を聞いているのは解ってはいる。
 だが、アリオスはどうしても知りたかった。
 アリオスはルヴァの傍を離れない。しつこいと思われようが、孫亜子とは関係ない。その強い決意を感じたのか、ルヴァは大きく溜め息をついた。
「…アリオス…、あなたは何処の医師でしたっけ?」
 アリオスは今更何を聞くのかと、ルヴァを訝しんだ。余り言いたくはなかったが、態度を硬化させては余り良くはないだろう。それに、調べてしまえば解ることだ。
「アルカディア大学医学部附属病院だ」
「…そうでしたね。あそこには癌と心臓外科のエキスパートが沢山いると聞きましたよ」
 ルヴァは何故だかしみじみと呟いた。そのスローなペースが、アリオスを時としていらつかせた。
「ああ。そうだが、俺はそこのアウトローだ。そこにやっとのことで勤務をしても、俺みてえになるやつはいるんだよ」
「アリオス…」
 ルヴァが痛々しそうに壊れ物を扱うような視線で自分を見るのが、アリオスには気に食わない。
 ルヴァから視線を反らせると、職員室のドアに向かった。
「アリオス」
 諭すような声で呼ばれて、アリオスは振り返る。全く苛々する。
 アリオスのキツイ眼差しを感じているだろうに、ルヴァは穏やかなままだ。
「きっかけはあなたが作らなければ、アンジェリークからは動いてはくれませんよ」
 ルヴァは深く味わいのある言葉を静かに呟く。
 アリオスはルヴァに一瞥を投げると、保健室に戻っていった。

 放課後になり、気まぐれな気分でやっている俳句クラブを覗きにいった。
 どうせアンジェリークは来てはいないだろう。そう高を括っていたアリオスは、教室に入って驚く。
 アンジェリークがユーイと楽しそうに話しているのが見えたのだ。
「あっ! アリオスだ!」
 ユーイとアンジェリークは姿勢を正して、アリオスに向き直る。
 アンジェリークがニコニコと笑って座っているのを見て、アリオスは驚きの余りに呆けた顔を曝していた。
「アンジェリーク…」
「来ましたよ。俳句は楽しいですから」
「それはそうだな…」
 アンジェリークの痛々しい程の明るい笑顔に、アリオスは唇を歪める。
 まるで何年も部員をやっていたみたいな顔を、アンジェリークはしていた。ずっとここにいるような。そして、この先も卒業までいるような雰囲気が出ている。
「アリオス、初夏の俳句やろうぜ! やっぱり初夏なら、カツオのタタキだよなあ!」
 魚が大好きなユーイらしい言葉に、アンジェリークも乗ってくる。
「たっぷり葱をかけて、ニンニク下ろしたのをたっぷり乗せたら、美味しいもんねえ!」
 アンジェリークは本当にこの時間を楽しんでいるように思える。だからこそ、アリオスもこの時間を大切にしなければならないと感じた。
「俺、カツオのタタキ喰った後のおまえらとクラブしたくねぇ。口害だもんな」
「ひど!」
 アンジェリークはわざとふざけるように笑い、周りを和ませていた。
 それがアリオスにはかなり痛々しく感じる。自分の事を考えずに、周りのことばかりを考えるアンジェリークは、正に名前の通りの”天の使い”だった。
「じゃあ、初夏の季語を使って一句を作ってみろよ」
「はい!」
 数人しか属さない俳句クラブ。こんなに楽しげな雰囲気は、今までなかったかもしれない。
 アリオスは、アンジェリークの加入によって、明るい陽射しと爽やかな風が齎されたのだろうと、感じていた。
 春の日だまりのような雰囲気を、アンジェリークは持っているから。
「はい! 出来たっ!」
 相変わらずユーイが俳句を作るのは早い。どうせロクデモナイものだろうと、アリオスは覗きこんだ。
「目にマグロ。山は牛肉。初ガツオ」
 どこかで見たことがあるような俳句の形式だが、何ともユーイらしかった。
「おまえは食い気しかねぇのかよ?」
 アリオスががっかりとわざとうなだれると、ユーイは「奢ってくれよ」と笑って言った。
「アンジェリークは何なんだよ」
 アリオスはノートをひょいと覗き込む。
 命が巡っても 変わらず 青葉しげり
 時間をテーマにしたアンジェリークの俳句に、アリオスは言葉を失う。それを察したのか、アンジェリークは直ぐに別の俳句を見せた。
 初ガツオ 味ポン葱かけ 美味しいな
 ユーイレベルの俳句をわざと書き、アンジェリークは笑った。
「カツオのタタキが食べたいですねぇ」
 あんな俳句を作ったくせに、アンジェリークはこんなふざけたものをわざと書く。
 そんなに気を回してどうすると、アリオスは逆に言いたくなってしまった。
「おまえら、食い物以外で思いつかねえのかよ!?」
 アンジェリークとユーイはふたり並んで首を振っている。まるで姉弟のようだ。
「これじゃあ、今年もうちの部からは、大龍園の新俳句大賞の入選作は出ねえな」
 アリオスのリアクションに皆が笑う。
 アリオスはアンジェリークから目を離せない。その笑顔を見るだけで、心が花園にいるかのように、癒されるのだ。
「ひどいぜぇ! 俺はすげえ有名な排人になろうと思っているのによ!」
 ユーイの言葉に、周りが驚いているのは言うまでもない。
「生まれ変わらないと無理だろー!」
 誰かが茶化して、それと同時に笑いが起こる。だが、アンジェリークは笑っているようにみえて、笑ってはいなかった。それを敏感に察したのは、アリオスだけだ。
「アンジェリーク、おまえだって生まれ変わらねえとダメだろ?」
 ユーイは、アンジェリークを自分と同じところに引っ張って来ようとして、必死になっている。
 アンジェリークは落ち着いた笑みを浮かべたまま、何事もないようにさらりと呟く。
「どうかなあ。生まれ変わっても、私はアンジェリーク・コレットでいたいよ。たとえ俳句のセンスがなくてもね?」
 誰も彼も和やかな雰囲気で、アンジェリークの話を聞いている。
 だがアリオスだけは違っていた。そこにあるアンジェリークの生への想いを深く感じる。
 アンジェリークはただ生きたいと願っている。それを叶えてやれないアリオスは、自身にジレンマを感じていた。

TO BE CONTINUED
コメント

愛の劇場です。14回目です。
少しずつ進んできましたが、また書きたいところまで辿り着いていない。
頑張りますだ。




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