Rainbow Connection

17


 翌日、出勤した時、学校の空気が変質していると、アリオスは思った。
 明るい陽射しと爽やかな風が無くなり、まるでどんよりとした雨模様の天気だ。
 更衣室でいつものように白衣を羽織り、アリオスは職場である保健室に向かう。
 今まで保健室は、アリオスにとっては隔離された非難場所だった。日の光や季節の風を感じない変わりに、外部のシガラミが入って来ない、アリオスにとっては最適な場所だと言っても良かった。
 それが今や、薄暗い清潔な穴蔵にしか感じない。
 光と風の心地良さを一度知ってしまえば、もう後戻りなんて出来やしない。
 いつものように電気を付け、窓を開けて空気の入れ替えをする。確かに、空気は入れ代わっているのに、昨日までの清々しさを感じない。
 ふと机の上を見ると、見馴れた可愛いノートと共に、メモが置かれていた。

 アリオス先生。
 読んで、採点してくださいね。
 今まで有り難うございました。
 コレット。

 短い文の中にもアンジェリークの人柄が詰まっている。アリオスは丸い綺麗な文字に目を細めながら、ふっと微笑んだ。
「アンジェリーク…」
 小さく可愛いノートを、まるで本を開くようにページを追うと、俳句が沢山書かれていた。
 アンジェリークが、”メイクアウィッシュプロジェクト”の一環で、この学校に来てからの軌跡でもあった。日付と共に俳句が綴られている。
 昨日の日付のところに来たところで、アリオスはビクリとした。
 ”メイク・ア・ウィッシュ・プロジェクト”最終日と書かれている。やはり、アンジェリークが学校に訪れるのは、昨日が最後だったのだ。
 最後のページにはただ一言書かれていた。
 有り難う、アリオス先生。
 この一言で終わっていた。
 もうアンジェリークはここには来ない。表面上は、夢を叶え病院へと戻ったのだ。再び残りの命をカウントダウンする生活に入ってしまったのだ。
 アリオスは深く目を閉じる。あの眩しくて愁いのある微笑みが今は浮かんでくる。その一瞬、一瞬が、かけがえのない時間であったと、気付かずにはいられない。胸の奥が引き裂かれるようにいたくて、失ったものの大きさを、改めて感じずにはいられない。
 だがこの感情が、どうしても特別なものだと、アリオスは認められない。
 その結果が、アンジェリークがアリオスに何も告げずに消えてしまったというのに、それでも認められなかった。
 アリオスは無意識に煙草を口にくわえると、外をぼんやりと眺める。
 昨日はあんなに素晴らしい庭だと思っていたのに、アンジェリークが消え去った今、見る庭はなんと虚しいのだろうか。
 もう春なんかはなく、夏を通り過ぎたモノクロームの季節が到来したのではないかと、アリオスは感じた。
「失礼しまーす。アリオス先生、担任から回覧です」
「ああ…」
 レイチェルはいつものようにきびきびとした動きで保健室に入ると、アリオスにファイルを押し付けてくる。
「サンキュ」
「ついでに火事になります」
 灰が落ちそうになった煙草を、レイチェルに取り上げられる。アリオスはムッとして、レイチェルを睨んだ。
「あにしやがる」
「ぼうってしてますね」
「ほっとけよ」
 アリオスは胸がむかつくのを感じながら、新たな煙草を手に取る。
「だから先生、吸わないほうがいいって!」
 レイチェルはアリオスが手に取った煙草を取り上げたので、腹が立つ余りに眉間にシワを寄せる。
「んなことおまえに指図される筋合いはねぇだろっ!」
「アンジェが同じコトをしたら、センセ、ワタシと同じ反応をシタ?」
 レイチェルに痛い所を突かれてしまい、アリオスは胸を詰まらせて黙り込んだ。
「ダヨネ。アンジェから文句を言いながらも逆らわなかったデショ。アリオスセンセ」
 レイチェルが全くその通りのことを言うので、アリオスは二の句を告げられない。
 アリオスが黙っていると、レイチェルから切り出してくれた。。
「アリオスセンセ、アンジェのお見舞いに、ワタシとエンジュ、ルヴァセンセと改めて行くことになってるんだ。アリオスセンセも行かないかなあって、うちの担任が言っているよ」
 アリオスは直ぐにでも飛び付きたくなり、せっつく眼差しをレイチェルに向けた。
「いつだ!?」
「そんなにせっつかないでよ。アノサ、まだ主治医からドクターストップがかかっているみたいだから、何とも言えないんだけれど、来週あたりには、それがとけるらしいって。だからそれからね」
 アリオスはレイチェルの言葉に顔色を変える。確かに昨日のアンジェリークは元気を装っているようにしか見えなかった。だが、その姿が美しすぎて、アリオスはただ見つめることしかできなかったのだ。
「あいつはそんなに悪いのかよ…」
 呟く声が厳しくなる。
「ワタシも正直、アンジェの病状が良く解らないんだ…。だけど、ほんの少しだけでも、一緒に勉強をした仲間だもん。友達だもん。だからアンジェとは繋がっていたいもん。ずっと友達でいたいし、また元気になってこのスモルニィに帰って来てくれるって信じているもん…。だからさ」
 レイチェルは途中で涙目になっているくせに、強がりを止めない。それがアリオスにとっては、痛々しく見えた。
「センセ、日程が決まったら直ぐに連絡をするからさ。だけどセンセが病院に行くことは、こちらから伝えないでおくね。アノコ奇をてらいすぎるところがあるからさ」
「そうだな……。で、他人のことばっかり心配しやがる」
「そう、そう」
 アンジェリークの事を話していると、ふたりして表情が柔らかくなるのはなぜだろうか。きっとそれはあの栗色の髪をした天使の魔法に違いないと、改めて思わずにはいられなかった。

 レイチェルが保健室を後にしてから、アリオスは仕事をそっちのけにしてアンジェリークが遺していったノートを穴が開くほど読んだ。そして、ひとつひとつに丁寧にコメントを付けていく。
 これを持ってアンジェリークの元に行き、渡してやりたい。そして、ベッドの上にいるアンジェリークの為に、課題をノートに作ってやったりもした。
 危惧と言えば、アンジェリークがドクターストップがかかっていると言うことだ。
 アリオスはアンジェリークの病状が本当のところ動なのか。そればかりが気がかりでならなかった。

 仕事が終わり、アリオスはアンジェリークが好きそうな本を買いに、本屋へと赴くことにした。
「あ! アリオスじゃないか!」
 声をかけられて振り返ると、アリオスの大学病院時代の同僚で心臓内科医のオスカーがいた。かなり疲れているように見える。
「オスカー…。仕事の帰りか?」
「ああ。ようやく、担当していた患者の様態が安定したんだ…。無理をおして退院していたんだが、昨日再入院するなり発作が起こってな。今の今まで処置をしていた…。手術が必要なのは解っているんだが、それをやってくれそうな腕の良い勇気のある外科医がいなくてな…」
 オスカーは困り果てたように溜息を吐くと、アリオスを意味深に見つめてくる。何を言われるか、大方の察しは付いた。
「俺はもうしがない保険医だ。何もねえし、出来ねえさ」
「-----そうか。もうあれから2年だぜ? あれは事故だ。お前が贖罪する必要も意味もない筈だ」
 そんなこと言われなくても頭では解っている。だが、心がまだ贖罪が必要だと叫んでいるようにも思えるのだ。アリオスは黙ってしまうことで、今の自分を肯定する。
「----じゃあ俺は行く。おまえの手が再びメスを握ることになるのは、いつの話なんだろうな」
 オスカーは寂しそうに呟くと、雑踏に消えていく。
 アリオスは、もう誰も自分にメスを握らせることが出来る人間はいないと、感じる。
 あのアンジェリークですらも、アリオスにメスを握らせることが出来なかったのだから-----

 数日後、レイチェルがスキップをしながら保健室にやってきた。この態度からして、アンジェリークに面会が出来る目星が立ったのだろう。
 それこそアリオスも浮き足立ち、柄にもなく鼓動を高まらせながら、レイチェルの嬉しい知らせの詳細を待っていた。
「アリオス先生、今度の日曜日の午後に行くことになったよ! 集合場所は天使が丘。アンジェがいるのはスモルニィ大学医学部付属病院だって…!」
 病院の名前を聞き、アリオスは背中が凍り付くのを感じた。
 周りの空気が時間の流れを止める。
 スモルニィ大学医学部付属病院-------アリオスはかつてこの病院の外科医だった。

TO BE CONTINUED
コメント

愛の劇場です。17回目です。
折り返しです。




back top next