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スモルニィ大学医学部付属病院。アリオスがかつて、命を護る為の大儀の下に戦っていた、文字通りの”戦場”だった。 アリオスは白い巨塔にいた自分を思い出すだけで虫酸が走る。 まさかそこにアンジェリークがいるとは、想像だにしていなかった。 アンジェリークがそこにいて自分を影から見ていたのかと思うだけで、胸の奥が熱くなるのと同時に、どうしようもないほど暗い影を落としていた。 スモルニィには近付きたくはない。だが、今のアリオスには約束を破るだけの度量はなかった。 約束と自分の胸の痛みのどちらが重要かと天秤をかけ、残ったのは約束だった。 アンジェリークの時間を考えれば、自分の胸の痛みは二の次に出来た。 アンジェリークの見舞いに向かう車を出したのは、アリオスだった。理由は簡単だ。アリオス以外の運転手はいないからだ。 スモルニィ大学医学部附属病院は、環境の良い郊外にあり、余り交通の弁はよろしくはなかった。 「すみませんねぇ、アリオス」 「ああ。別に構わねぇよ」 車内には、レイチェル、エンジュ、レオナード、ルルヴァ。もうぎゅうぎゅうのすし詰め状態だ。 「レオナード、おまえはひとりデカイんだから、車を出したらどうなんだよ!?」 狭い助手席には大きなレオナード。全くもって暑苦しいとアリオスは思う。 「おまえのせいで、車体は傾いていやがる」 「んなこと知るかよ」 アリオスとレオナードのやり取りに苦笑しながら、後ろにいる女子高生たちは、花束を護るように抱きしめている。 花束には、かすみ草、ピンクや白の薔薇が入っている。アンジェリークにはピッタリだと言っても過言ではない。 後は、美味しいと評判のカフェオランジュのガレットだ。 アンジェリークが食べられるかどうかは解らないが、大好きなものをおみやげに持っていってあげたいふたりの優しい心を表していた。 アリオスは、通い慣れた道路をスムーズに進む。何度も通ったそこは、目をつむってさえいても通えるほど熟知している場所だ。 かつては何度も通い詰めた場所であったのだから。 目の前に、圧巻的な病院塔が広がってきた。白く塗られたそこは、無機質で冷たい場所のように思える。実際にそうであったのだから仕方がないと言えば、そうなのだが。 アリオスは息が詰まるのを感じながら、来客用の駐車場に車を入れる。だがその視線は、遠くにある職員専用の駐車場に向いていた。 「おら、着いたぜ。みんな降りろ」 「ふあい」 のっそりと車から降りた後、アリオスは何故だか落ち着かない気分になる。勝手知ったる病院だと言うのに、わざと一番後ろに歩く。ついよそよそしくなってしまっていた。 「えっと…、アンジェの病室は上みたい。1122号室だって…!」 その番号を聞いて、アリオスはぴくりと躰を震わせる。重病患者を収容する個室病棟の番号だ。特に手術が困難な末期患者が集められている。 アリオスは胸がひどく重い感覚に震える。振り分けられた病室の深刻さに、黙り込んでしまった。 「レイチェル、アンジェリークのいる病棟はこの奥だ。それにその病室はそんなに高い場所にはない。アンジェリークがいるのは三階だ」 「有り難う、センセ。詳しいみたいだね」 ここで心臓外科医をしていましたなどとは言えず、アリオスはただ押し黙っていた。 アリオスがやる気のないナビゲーションをする中、一行はアンジェリークがいる病棟に入る。 病院とは思えない程の緑が豊かな環境に、誰もが安らいでいるように見えた。 「もっと冷たくて暗い場所だと思っていたのに、意外と明るくて緑が多いのが良いね、素敵なところだよ」 何も知らないエンジュとレイチェルは、緑をうっとりとした気分で愉しんでいる。 だが総てを知り尽くしているアリオスには、到底そんな気分になれるはずもなかった。 この場所がホスピスであることを充分解っていたからだ。 全員で仲良くアンジェリークの病室に向かう。まるで遠足に行くかのようだ。 アリオスはなるべく顔を見られないようにしていたが、目敏い病棟看護士に見つけられてしまった。 「アリオス先生!」 その声に、誰もがぴたりと止まる。 「ああ。久しぶりだな」 「お見舞いですか?」 「ああ。生徒のな…」 アリオスがぶっきらぼうに言うと、看護士は気の毒そうな表情をする。若い命がこんなところにいるとはと言う、同情めいた言葉だったのだろう。 アリオスに、”あなたが治してやらないのか”と言った意味の視線を送ってくるのが、かなり辛かった。 「じゃあまた」 「ああ」 看護士が軽く会釈をして行ってしまった後、レイチェルとエンジュが驚いたような顔をした。 「アリオス先生、ここの医師だったの?」 「ああ。専門は外科だった。遠い昔の話だけれどな」 アリオスは言い捨てると、剃れ以上は何も聞くなとばかりのオーラを醸し出している。ふたりの少女は黙り込んでしまった。 静かに歩きながら先を急ぐ。 「アリオス先生、アンジェのことを知っていた?」 「いいや知らなかった。俺がここにいたのは二年も前の話だし、それ以前にあいつがうちで入院していたとしても、科が違っていたから、識らなかった」 アリオスは淡々と言いながら、歩き慣れた廊下を進んでいく。 こんなに息が詰まる程に、病院というのは白い場所だったのだろうか。 特にこの場所は、死に神が隣にあるような場所なので圧迫感がある。 突き当たりの病室の前まで来て、一行は立ち止まる。そこはアンジェリークの病室だった。 「じゃあノックするよ」 レイチェルが少し緊張しながら、慎重にノックをする。 「はい」 アンジェリークの声がいつもと同じような元気さで、鳴り響く。病気などはしておらずに健康なのではないかと、半ば錯覚するほどだった。 「レイチェルだよ、アンジェ。みんなで来たよ」 「入って! 待っていたんだ!」 弾むような声に、レイチェルは引き戸をそっと開ける。 病室の奥には、髪が縺れないように束ねたアンジェリークか、ベッドの上にちょこりと上半身を起こしていた。 そこにいるアンジェリークは、知らないもののようだ。顔色はかなり悪いのに、逆にそれが透き通って見える。 午後の陽射しにさらされたアンジェリークは、息を飲むほどに美しかった。まるで生きていないもののように。 誰もがその美しさに、時間の流れを忘れてしまっている。 「そんなところに立っていないで、どうか中に入ってきて!」 アンジェリークに是非にと手招きをされて、そろりと中に入っていく。 ずっと長い間使っているのだろう。アンジェリークがいる病室はワンルームの生活スペースになっており、病室には見えない。 「…失礼します」 レイチェルとエンジュが先陣を切り、病室に入っていく。ルバとレオナードが中に入ったところで、アンジェリークの表情が明らかに変化した。 アリオスをその視界に認めたからだ。 「アリオス先生…」 「おまえが俳句を作ってくれたノートを持って来たぜ。採点もしておいたから、ちゃんと読めよ」 アリオスが見舞い代わり差し出すと、アンジェリークはぎこちなくも素直に受け取った。 「有り難うございます…」 あまり色のない頬に、うっすらとピンクの色をさし、アンジェリークはまるで心から大切だと言わんばかりに、ノートを抱きしめた。 「アンジェ、アリオス先生がここに勤めていたって知ってた?」 エンジュの問いに、アンジェリークは静かに頷く。 「知っていたよ。アリオス先生、ケーシーが凄く似合っていたから、よくよく覚えていたんだ…」 アンジェリークは懐かしそうに目を細めると、一瞬視線を遠いところに向ける。アリオスの目には、もう 手の届かないような遠いところを見ているように見えた。 そんな顔をしたのはその時だけで、後はいつもの明るいアンジェリークだった。 同じ世代の友人たちと、楽しそうに話している。 「ルヴァ先生…。私、少しでもこのプログラムに参加して良かったよ。良い友達に恵まれたから…」 アンジェリークはしみじみと言い、まるで人生を悟り切った者のようだった。 「待ってるからさ。また、机を並べて勉強しようよ!」 レイチェルが是非にとばかりの強い調子で言ったが、アンジェリークは曖昧に寂しそうな笑みを浮かべるだけだ。 その笑顔が、アリオスの胸をつく。まるで夕焼けのような切なさがあったからだ。 楽しく同世代の少女たちtp談笑しているアンジェリークの姿を、少し後ろから見つめる。アリオスは、この笑顔を本物に出来ない自分が、もどかしくてしょうがなかった。 医術で無理なのならば、せめてこの精神的な部分で、目の前のアンジェリークを救いたかった。 日に日にやつれているだろう、愛しい少女を----- 面会時間も終わり、今日はとりあえず引き上げる。 病室の窓からずっと見送ってくれるアンジェリークを見つめながら、アリオスはとことんまでこの場所に通い詰める決心を固めていた----- TO BE CONTINUED |
| コメント 愛の劇場です。18回目です。 折り返しです。 |