Rainbow Connection

19


 ホスピスの個室にいて、いつも死と隣り合わせで生きているというのに、病室にいたアンジェリークはひまわりのようだった。絶望などはかけらもない明るい前向きな花のように、なぜなれるのか。
 もしそれが演技以外のなにものでもないのならば、それは酷く哀しいことのように思えた。
 偽りの仮面をアンジェリークから外し、本当の意味で笑っていられるようになって欲しい。アリオスは強い決意の下で、毎日アンジェリークに逢いに行くと決めた。
 病室をノックすると、アンジェリークの愛らしい声が聞こえてくる。
「俺だ。アリオスだ」
 アンジェリークは驚いたのか、息を飲んでいるのが空気の質で解る。
 暫く間があり、ぱたぱたとしているのは、明らかだった。
「…どうぞ」
 慌てているような声で返事が聞こえたのと同時に、アリオスはドアを開けた。
 初夏の光が恵のように降り注ぐ窓辺のベッドで、上半身を起こしている。
「先生、いらっしゃい」
 光を燦々と浴びながら、それに溶け込むようにアンジェリークは笑っている。
一瞬、天使ではないかと見紛った。
「先生、冷たいお茶がいいかな? 外は暑いってお母さんも言ってたから。ずっとここにいると、空調で室温がコントロールされているから、外の様子は解らないんだ」
 アンジェリークは、学校に通っていた時よりもずっと明るい調子で話している。それはもう異様なぐらいの明るさだ。
 アンジェリークがベッドから下りて、アリオスの為に持て成そうとしてくれる。しかし以前よりも弱々しかったので、アリオスは眉を潜めた。
「気を遣うな。疲れているようだったら、俺には気を遣わなくてもいいんだぜ」
「大丈夫。これぐらいはやらないと弱るから。余り動かないとね、足腰が弱るの、アリオス先生は識っているでしょ。ペットボトルの冷たいお茶があるんだ」
 アンジェリークは何時も以上に忙しなく動いている。何かに怯えているような雰囲気が否めない。
 アリオスは胸の奥を、一寸法師の刀で突かれているような痛みを感じながら、アンジェリークを見ていた。
「…先生、有り難うね。病院に訪ねてくれたの、凄く嬉しいです」
 アンジェリークはアリオスの前にある狭いテーブルにお茶を置くと、ベッドの端にちょこんと座った。
「昨日の今日で来てくれるなんて思わなかった。だから、まだ俳句は出来ていないよ」
 アンジェリークはイタズラめいたお茶目な笑みを浮かべたので、アリオスは苦笑いをする。
「そんなに早く出来るとは思ってはいねぇよ」
「いっぱい書き溜めるよ。その材料は沢山あるの。ここの窓からは、季節を感じる庭が見えるの。私みたいな病気になっちゃうと、自然を見て心を慰めないと、飽和状態になるの。だからかな。この病棟はどこもベストポイントが多いわ。俳句もいっぱい作れてしまうわ」
 アンジェリークの言葉は、自慢しているようにも自嘲しているようにも聞こえた。きっと両方なのだろうと、アリオスは思う。
「ここにいた頃、俺もこの下でよく散歩や一服をしたもんだ…。季節によって見られるシーンが違うもんな」
「うん。とっても綺麗にも切なくも見えるよ。この場所は…」
 アンジェリークは静かに笑い、愁いを帯びた大人っぽい表情になる。そこには遺された時間へのジレンマが沢山入れられていた。
「ねぇ先生、この病室、普通のマンションぐらいに凄いでしょ!」
 アンジェリークに言われて、アリオスは改めて辺りを見つめてみる。入院生活が長いせいか、アンジェリークのいる病室は、普通に住めるぐらいに整えられている。ひとりくらしの部屋のようだ。
「こんなに便利だったら、色んな人が訪ねてくるだろう?」
「そうね…。ここに入院しているひとでも、仲良くなって遊びに来てくれるひとは多いわ…」
 アンジェリークはそこまで言って黙り込んでしまった。華奢な肩が震えて止まらない。
 アリオスは悪いことを言ってしまったとほぞを噛んだ。
 きっとこの部屋に遊びに来ていた者たちは、皆いなくなってしまったのだろう。殆どは死という形で。
「これから出来る限り俺がおまえの所に通う。だから心配するな」
「うん。有り難う、先生」
 アンジェリークは寂しく笑うと、瞳に涙を一杯貯めている。滲んだ涙が、愁いを表していた。
「今度は私が先生を置いていっちゃうかも…」
 ふと震える唇から零れた言葉に、アリオスは眉間のシワを深く刻んだ。
 こんなことを口にするアンジェリークが、沫となって消えてしまいそうな気がする。アリオスは手を伸ばして、実体を確認したかった。
「アンジェリーク、気分を変えて散歩に行かねぇか?」
「うん! 行きたい!」
 アンジェリークが身を乗り出して明るく言うものだから、アリオスはフッと笑って、その切ない笑顔を受け取る。
「解った行こう。体調は?」
「散歩ぐらいなら」
「気分が悪くなったら言えよ」
「はい」
 アンジェリークはアリオスの手を借りてベッドから起き上がると、か細い足で立ち上がった。
 スモルニィにいたのは僅か一週間前までのことなのに、アンジェリークが随分と窶れて見えた。
「夕方の散歩は風情があるぜ。俳句を作るのにはうってつけだ」
「そうですね。私も良い俳句が一首浮かぶかもしれません」
「俺もな」
 アリオスは何の気のてらいもなくアンジェリークを支えると、一緒に病室を出た。
 歩くのもどこか弱々しいアンジェリークだったが、少しずつ力を取り戻していく。
 エレベーターに静かに乗り、庭のある1階に向かう。
 病棟を一歩出た時、アンジェリークは感嘆の声を上げた。
「素敵〜!!!」
 丁度夕焼けが茜色から紫色に変化するところだった。木々が見事に萌えるような美しい色を出している。アンジェリークは吸い込まれるように、じっと空を見上げている。その横顔は、無常観が漂っていた。
「お姉さんもこの空を見ているかしら」
 まぶしそうに目を細めながら、アンジェリークは寂しげに呟く。酷く悲しい響きに聞こえる。
「お姉さん?」
「うん。お姉さん…。この病院でのお姉さん…。先生…、今日もまた、よく遊びに来てくれた人が亡くなったの…」
 アンジェリークの淡々とした言葉に、アリオスはビクリとする。
 死ぬ-----その言葉にどれほど自分が敏感になっているかは、背中に流れる汗で知れた。
「-----いつもよく話してるひとだったの…。私より3っつ上のお姉さんで、色々と楽しいことを教えてくれるひとだった…。でも、やっぱり病には勝てなくて…夜中に容体が急変して亡くなったって。この病棟にいるとこんなことばかり…。次は自分なのかなあって、びくびくして生きるの…」
 アンジェリークは瞳に涙を滲ませながら、わざと笑ってみせる。弱々しい笑いは、かえってアリオスの胸に激しい痛みをもたらした。
「…怖いの…」
「え?」
 アリオスは初めて聴くアンジェリークの弱々しい呟きに、顔色をなくす。不安が重くのしかかり、アンジェリークを制止することが出来なかった。
「-----自分がこの世界から、ある日突然姿を消すのが、怖いの…!! 形が亡くなるのが怖いの…!!」
 アンジェリークは唇を噛みしめ血が滲んでるような声で低く言う。空から視線を反らせると、その瞳は涙が溢れていた。
「-----形が亡くなるなら…先生に医者として診て貰いたい…! 診て貰ったら、診て貰えないよりもよほど楽に一生が終えられる…!! 短くても、私は悔いなく生きられる…」
 アンジェリークは瞳に決意を秘めたように、アリオスを強く見据える。
「先生…!! お願い! どうかドクターに戻ってください…!! 戻って、私の残された時間をせめて見つめてください…! 去ったら私、今より強くなれるはずだから」
 アンジェリークの懇願にも、アリオスの足はすくむ。
 手は震えて、過去の想いに息苦しくなる。
 もう一度、あのような想いをするのは耐えられない。
「アンジェリーク…俺は白衣を脱いだ人間だ…」
 苦虫をかみつぶしたように言っても、アンジェリークは聴かずに首を振る。
「大丈夫…先生なら……っ…!!!!!!」
 そこまで言いかけたところで、アンジェリークは胸元を激しく押さえた。呼吸を激しくさせ、そのまま倒れ込んでいく。
「------アンジェリーク!!!!」
 アリオスはすぐにアンジェリークを抱き留め、その様子を診る。
 医師らしく瞳孔をチェックしすぐに抱き上げて、病室に運び、同時に主治医を呼ぶ。
 主治医が駆けつける間に、アリオスはアンジェリークに医師としての応急措置を施す。
 深刻な状態で倒れたのは、明らかだったから。
「どうかしましたか!?」
 走ってきた主治医の声にアリオスははっと背筋を伸ばした。聞き慣れた声。
「オスカー…」
「アリオス…おまえ」
 振り向くと、アンジェリークの主治医としてオスカーが立っていた。
 アリオスをこの病院に戻そうとしている、心の広い親友が-----

TO BE CONTINUED
コメント

愛の劇場です。19回目です。
いよいよ物語は核心に迫っていきます




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