Rainbow Connection

20


「挨拶は後だ。アンジェリークに適切な処置を。点滴と酸素マスク」
 医療現場から永く離れていたというのに、アリオスはテキパキとアンジェリークの病状を見極めていく。直ぐにオスカーが手配をしてくれ、アンジェリークへの救急処置が開始された。
 点滴を打つのも、酸素マスクを被せてやるのも、総てアリオスが行う。
 あれだけのブランクが有りながら、直ぐに対応してしまう自分を、どこか誇らしげに思った。
 アリオスは、アンジェリークに付きっきりになって、看病をする。その眼差しは、医師という立場を越えて、ひとりの男だった。
 ようやくアンジェリークの心拍が安定し、アリオスは胸を撫で下ろす。
「たいしたもんだぜ。全く腕が落ちていないな…」
 オスカーは感心するように言ってくれたが、アリオスは複雑な気分だった。無視するように無反応になる。
 まだ医療現場での話はしたくないのだ。
「オスカー、アンジェリークの発作は頻繁なのか?」
 アリオスの声は自然と厳しい低いものになる。オスカーが浅く呼吸をしたのが解った。
「ああ。最近は頻繁だ。あのメイクアウィッシュから帰ってきてから、確実に感覚が短くなっている」
「そうか…」
 アリオスは唇を噛み、拳を握り締める。アンジェリークは確実に悪い方向へと向かっている。風のようにだ。
 アンジェリークは時間よりも速い速度で、人生を駆け抜けようとしているのだ。誰にも止めることが出来ない程の速さで。
「おまえとアンジェリークは知り合いなのか? ここで出会ったのか?」
「いいや。メイクアウィッシュでスモルニィに来たんだよ。俺は保健医こいつは生徒として出会った」
 アリオスは素直にオスカーへ経緯を伝える。オスカーがアンジェリークの主治医である以上、色々聞き出したいと思っていたからだ。
「そうか…。学校にいる時は、そんなに酷い発作は起こらなかったと聞いている。間隔も短くはなかったと」
「確かにな。直ぐに治まる程度のものだった」
「そうか…」
 オスカーは肺に大きく息を入れ、はく。
「正直、俺は、アンジェリークが”メイクアウィッシュ”に参加するのを渋っていた。確実に悪くなるのは解っていたからな」
 オスカーはアンジェリークの色ない顔を覗き込み、目を閉じる。そこには医師としてのやる瀬なさがある。
「…実際、アンジェリークは、”メイクアウィッシュ”から帰って来た日、大きな発作を起こして、命に関わるほどだった」
 アリオスは、先ほどオスカーが疲労困憊姿で見掛けたことを思い出した。
「…おまえがこの間、徹夜で診ていた患者は、アンジェリークだったのか」
「ああ。この間は、流石に医師として覚悟をした。おまえを呼んで、緊急手術をしてもらいたい程の事態だった」
 アリオスは余計に顔色が失われるのを感じた。背中に嫌な汗が流れる。
「アンジェリークが助かる可能性はもう…、メスによるものしか遺されてはいない。このままでは悪くなる一方だ」
 アリオスは答えられない。この手で再びメスを握るなどということは、考えられない事態だった。
 だが目の前には、アリオスの手術を必要としている生徒がいる。アリオスはジレンマの余りに、唇を更に深く噛んだ。
「おまえがここを辞める前に、俺が頼んだ患者は、アンジェリークだ…」
 衝撃にアリオスは背中をビクリとさせた。あの時は、どんなカルテでも診たくはなかったのだ。たとえそれが、アリオスをどうしても必要とする手術であったとしてもだ。
「アンジェリークは、あの時点では、今ほど悪くなかった…。手術が成功する可能性も僅かだが今よりは高かったんだよ…。あの時、もしおまえが手術を請けていれば、アンジェリークは亡くなっていたかもしれないな…。あの時のおまえは動揺が激しいかったからな」
 アリオスは、忘れたくても忘れられない過去をいじられているようで、気分が悪い。
 だがオスカーが言うことは総て真実のせいか、反論出来なかった。
「…アンジェリークは、このままだと…」
「後半年だろう…。場合によっては、もっと短くなる可能性は高い」
 オスカーは苦悩しながらも、はっきりと自分の見解を伝えてくれた。アリオスはその重さを受け入れたものの、苦しさを感じる。
「救う方向は手術しかねえのか?」
「残念ながらな。抗がん剤が投与が難しい場所に腫瘍が出来ているからな。切るしかない。それもかなりの技術がいる」
 オスカーはアンジェリークの顔を覗き込みながら、切なげに呟く。医師としては誰もが感じる、医学の壁がそこにはあった。
「アリオス、戻ってこいよ」
 オスカーの願をアリオスはまだ聞き入れることが出来ない。アンジェリークの為に、一歩進むことが出来ないでいた。
 ふと時計を見ると、面会時間終了の時刻になっている。医師ではないのだからと自分を言い聞かせ、アリオスは立ち上がった。
「…このまま、アンジェリークは安定するだろう。面会時間は終了だ」
 アリオスは静かに言うと、ドアに向かう。
「アリオス!」
 オスカーは名前を鋭く呼んで引き止めてくる。アリオスはゆっくりと振り向いたが、その顔に表情を写さなかった。
「目覚めるまで、付いてやらなくていいのか?」
「また明日来る。特に残業のない仕事だからな。だが…」
 アリオスは唇をキリリと結ぶと、何の打算もない眼差しでオスカーを見た。
「アンジェリークの容態が思わしくなければ、直ぐに言ってくれ」
「解った」
「じゃあな」
 アリオスは軽くオスカーに手を上げて挨拶をすると、静かに病室から立ち去った。
 アリオスは息が詰まるような白い廊下を歩きながら、じっとアンジェリークの事を考える。
 僅か17歳。
 これからが人生の華だと言うのに、アンジェリークはそれを迎えないままで、人生を終えようとしている。
 そんなことは断じてさせたくない。だが、今の自分にはそんな力はない。アンジェリークを助けてやれる力など。
 アリオスはとうの昔に、メスを握る事を止めてしまった手をじっと見つめた。
 もう誰も、自分の手によって失いたくはないから。
 特にアンジェリークだけは、どうしても失いたくなかった。自分が要因では。

 翌日、アリオスは事有ることに携帯電話を見た。オスカーからの不測事態メールがあるのではないかと、不安に思っていたからだ。
 結局は、何もなく一日が済み、アリオスはアンジェリークの元を見舞った。
 ノックをすると、アンジェリークの愛らしい声が聞こえる。
「アリオスだ」
「どうぞ、入って下さい!!!!!」
 アンジェリークの元気そうな声に、アリオスは安堵を感じながら病室に入った。
 今日のアンジェリークはとても綺麗だ。ほんのりと色づくリップクリームを唇に塗り、髪もきちんととかしている。
「今日は散歩禁止令が出ているので、外には出られませんけれどね」
「昨日の今日だからな」
「そうですね」
 アンジェリークは穏やかに笑うと、ベッドから出て来た。
「おい、あんまり無理するなよ」
「そういう過保護がダメなんですよ。私はこうやってピンピンしてますから。じゃないと、アリオス先生には会えませんよ」
 アンジェリークは笑いながら言うと、冷蔵庫から冷たいお茶を出し、わざわざグラスに入れてくれた。
「どうぞ。私にはこれぐらいしか、出来ませんけれど…」
「サンキュ。外は随分と暑くなっちまったからなぁ」
 アリオスはどっかりと腰を椅子に下ろすと、アンジェリークと向き合う。
「昨日はどうも有り難うございました。オスカー先生から聞きました。アリオス先生が的確な処置で、私を助けて下さったと…」
 お節介な同期は一体何を言い出すのやらと、アリオスは溜め息をついた。昨日口止めをするのをすっかり忘れてしまった。
「俺がしたのは簡単な処置だけだ。あんなこと、インターンでも出来る」
 アリオスは卑下して言ったが、アンジェリークは首を振る。
「あんな処置、インターンの技術では絶対に無理です。私はこの病院にいるのが長いから、それぐらいの事は解るんです!」
 アンジェリークが熱っぽく言う。いくらアンジェリークでも、聞いてやれない願いというものがあるのだ。
「とにかく誰でも出来る処置だ。それだけだ」
「はい…」
 アンジェリークは小さく頷いたが、まだ諦めきられないような視線を向ける。
「どうしてドクターを止められたのですか?」
「今は言う時期じゃねえし、言う気もない」
 アンジェリークに聴かせるにはいささか低すぎる声で、アリオスは言う。不機嫌な表情を見てアンジェリークとりあえずはは諦めたのだろう。小さく溜息を吐くのが聞こえた。

 一通り話し終えて、アリオスは立ち上がる。途端に、アンジェリークが泣きそうな顔をした。まるでとり残された子供のようだ。
「…アリオス先生、今度はいつ来てくれるの?」
「残業や用事がなければ、明日また来る」
 アリオスが後ろ髪を引かれる想いで呟くと、アンジェリークの表情は晴れ上がる。
「待ってますから! アリオス先生!」
 アンジェリークは屈託なくアリオスに言う。その笑顔はかけがえのない美しさだった。
 この笑顔が、早く本物にならないかと、アリオスは思わずにはいられない。
「何か欲しいものでもあったら言え。買ってきてやる」
 アンジェリークは静かに首を横に振る。
「-----私が欲しいものはお金では買えません。生きる、希望だもの…」

TO BE CONTINUED
コメント

愛の劇場です。20回目です。
いよいよ物語は核心に迫っていきます




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