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希望------- その響きは、絶望にも似ていると、アリオスは強く感じる。 アンジェリークはただアリオスを静かに見つめるだけ。優しさと諦めが入り交じった穏やかな顔だ。 「…そんな困った顔はしないで、先生。私にとっての希望は、アリオス先生なのよ。先生が希望なの…」 期待に満ちた澄んだ瞳で見つめられても、今のアリオスには応えてやることが出来ない。ほぞを噛むしかない。 「…先生、先生の医者としての腕は、落ちてなんかいないよ。私をちゃんと助けてくれたじゃない」 アンジェリークは必死になってアリオスに問い掛けてくれるが、答えることなんて出来ない。言葉を上手く言えなくて、アリオスは呼吸困難を感じた。 「あれは、保健医としての経験が役立ったのに過ぎねぇよ」 「そんなことないっ!」 アンジェリークが余りに食い下がってくるものだから、アリオスはつい冷たい眼差しを向ける。外科医アリオスは、死んだのだ。二度と復活しないことを、アンジェリークに教えこまなければならない。 「…諦めてくれ。俺はもう最前線に立つ気はねぇんだよ!」 思わず感情的になった自分を、アリオスは恥じる。アンジェリークが驚いたように躰を震わせたからだ。 「すまねぇ…」 「先生」 アンジェリークはそれでも諦めないような眼差しをしている。アリオスにはそれが痛かった。 「俺に医師としての期待はしないでくれ。ただ、おまえを手術出来るかもしれねぇ医師を探すことには協力してやってもいい」 そうするつもりだったのだ。だがアンジェリークは頑固として首を横に振る。 「先生が手術してくれないと、私には意味がないもの!」 アンジェリークはかなり強情だ。アリオスはつくづく思う。自分の意志で決めたことは誰にも妥協しない。その強さが羨ましかった。 「アリオス先生じゃないとダメなのよ!」 「出来ることと出来ねぇことがあるんだよ。アンジェリーク。今の俺にはおまえのオペは無理だ」 「三年前なら出来たでしょ!? あんなに先生は自信を持っていたんだから…!」 三年前。 忘れたくても忘れられない記憶の渦がキリキリと痛む。 アリオスは自分の手を見るなり、僅かに震えているのを感じた。 「…確かに三年前なら…、おまえのオペを引き受けたかもしれねぇ。あの頃は、自意識過剰な外科医だったからな。大学出て、インターンを終えたばっかの、鼻持ちならねぇガキだったんだから…」 アリオスはアンジェリークをまともに見ることが出来ない。 「どうして…」 アンジェリークは小さく呟く。そこには切ない想いがちりばめられている。 「…これ以上、この手のせいで、誰かが命を失ってしまうのを、見たくねぇだけなんだよ…!!」 魂の根底から絞り出された声だった。 アンジェリークは驚いたようにアリオスを見ている。 「…おまえはいつからここに世話になっている?」 「12歳」 「だったら識っているだろ? 三年前、このホスピスで飛び降り自殺があった事を…」 「-----うん。その頃は入院してたから」 アンジェリークは躊躇いがちに頷いた。少しの動揺が表れている。 「あの自殺した女は俺の患者で、恋人だった」 アンジェリークの躰が揺れ、瞳が僅かに陰る。胸の奥が締め付けられるような顔をするのが、アリオスには辛い。 「そうかなって思ってました…。あの時の先生の様子は、識っていたから…」 「そうか…」 「見てたんですよ。あの頃から私…」 アンジェリークの意外な告白に、アリオスの心は僅かに和む。 「有り難うな」 フッと淋しげに笑うと、アンジェリークは痛々しそうに見つめてきた。 「あいつは末期の子宮がんだった。既に膀胱や腎臓に転移が始まっていて、手術をした時には、既に取り除けないがんがあった…。抗がん剤による辛い治療や、副作用がかなり辛かったんだろうな…。病院に来た頃はあんなに笑っていたあいつが、手術を境に笑わなくなった…。辛い日常で絶望を見出だしてしまったんだろうな。綺麗に澄み渡る青空が灼けに印象的だった日、、あいつが病室の窓枠に座り、飛び降りようとしているのを発見して、数人の医師で病室に駆け付けた。するとあいつは振り向いて、笑ったんだよ…! 穏やかで、今までで一番良い笑顔で。『ごめんなさい。もう頑張れないわ…』ただそれだけを言い残して、あいつは飛び降りた」 アリオスはあの日の状況を生々しく思い出しながら、胸を詰まらせる。思い出すだけで、この身が引き裂かれる想いだ。 だからと言っても、アンジェリークをこのままにしておきたい訳じゃない。手を拱いていたい訳じゃない。最善の方法を見つけてやりたい。ただそれだけを考えていた。 「アンジェリーク…。俺はおまえを失いたいわけじゃねぇ…。おまえをこのままにしたいわけでもな…。だから、解ってくれ。俺は自分の手でおまえを失うのが嫌なんだよ…!」 アリオスは内側に宿る切なさを搾るような声で言う。それをアンジェリークは黙って聞いていた。 「…先生、私が思っていることを言っていい?」 「ああ」 返事をしたものの、アリオスは妙に構えてしまった。 「私は、先生の手にかかるなら、それでもいいって思っているわ」 アンジェリークはピュアだ。まるで空から降り落ち、今だけ誰にも踏まれていない雪のひとひらのように。 綺麗で澄み渡る空のようなアンジェリークの心に、アリオス身につまされる。 「お前は良くても俺は自分が許せなくなるんだよ。今みてぇに命の関わりのない仕事につくのが、一番何だよ…」 「嘘っ!!」 アリオスの卑下するような言葉を、アンジェリークはナイフのように切り裂いた。 「嘘つかないで、先生…」 「嘘じゃねぇよ」 「嘘つきです!!」 アンジェリークは珍しく好戦的で、アリオス相手に喧嘩をしかけている。 アンジェリークは本気だ。 本気でアリオスを言い負かそうとしている。 「嘘よ…」 アンジェリークは自分に言い聞かせるように言うと、涙目でアリオスを見た。切ないだなんて一言では解決出来ない、何かが瞳の中にある。 「先生が…、一生懸命治そうとしていたのは、私が一番良く知っている! いつも難病にも果敢に立ち向かっていたことを、私が一番良くしっているわ! 先生…、雨の日に…、大学実習棟から、実験用の子猫が逃げ出した時、助けたよね? 自分が雨に濡れるのも構わずに、助けたよね? そんな先生だから私は好きになった。今みたいな先生なら、きっと嫌いになっていたよ…!」 アリオスは心臓が止まると思ってしまうほど、驚いていた。 アリオスが今も飼っている愛猫と出会ったことを知っているなんて。もう五年も前の話だというのに。 「…見てたのか」 「見てたよ。だから先生が好きになった…。それからずっと先生の仕事ぶりを見ることになって、もっともっと好きになったんだよ…」 「アンジェリーク…」 真っ直ぐなアンジェリークの眼差しに、ずっと見守ってもらたっていたのだ。それを改めて気付き、心がすうっと軽くなるのを感じた。 「アンジェリーク…。有り難うな…」 今のアリオスにはそれしか言えない。 命をかけてぶつかって来てくれたアンジェリークに、応えるほど自分は人間が出来てはいないから。 アリオスはふと時計を見る。面会終了時間ギリギリになっていた。 「じゃあ、また来る」 アリオスがスツールから立ち上がると、アンジェリークは心許ない顔をする。 「アリオス先生、もう一度”メイク・ア・ウィッシュ”が出来るなら、先生のケーシースタイルを見たいって、心から思うわ」 「アンジェリーク」 それは全く出来ない相談だ、少なくても今のアリオスには。 「また来る」 「うん、また来て下さい。待っていますから」 「サンキュな」 アリオスはアンジェリークの髪をくしゃくしゃに撫でた後、静かに病室から出た。 病棟の外まで出たところで、大きな声が背中を押す。 「アリオス先生!! やっぱりドクターに戻って下さいっ!」 TO BE CONTINUED |
| コメント 結構な回数になってきました。 完結まで真っ直ぐ頑張ります。 |