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「ドクターに戻って下さい!」 アンジェリークの言葉が、アリオスの胸に何度もこだまする。 だが、それを叶えてやれるのは、至難の技に思えた。アリオスには出来ない。 少なくても今はまだ無理かもしれない。 アンジェリークの願いを叶え、病気と医者として一緒に戦ってやれるとは思えなかった。 アリオスは今日もアンジェリークの病室へと向かった。 だが病室の前には、惨たらしい看板がかかっていた。 面会謝絶。 背筋が凍り付く気分になる。 それは容態急変を告げていたからだ。 アリオスは扉の前で凍り付く。もし医師であれば入ることが可能な向こう側。 だが今のアリオスはただの見舞い客なのだ。これ以上踏み込むことは赦されない。 アリオスが扉の前で立ちつくしていると、深刻そうな顔をしたオスカーが、病室から出て来た。 「オスカー!」 「アリオスか…。悪いが、今日のお嬢ちゃんは、おまえに話しかけられる状態じゃない。日を改めてと言いたいが、それも保障しかねる」 オスカーの声のトーンや口調で、アンジェリークの状態がかなり悪いことに気がついた。背筋に冷たい風が吹き抜けるような気がする。どす黒い霧がアリオスを覆った。 「今は…」 「ようやく落ち着いたが、いつ容態悪化で…」 オスカーはそこまで言って、言葉を詰まらせた。それだけ聴けば充分だ。 「つまり、いつ死んでもおかしくない状況なんだな?」 オスカーは暫くリアクションしなかったが、やがてゆっくりと頷いた。 「そういうことだ。”メイク・ア・ウィッシュ”の対象になっていた時点で、その悪さは想像がついただろ?」 オスカーはやる瀬ないとばかりに溜め息をつくと、そっと病室を開けてくれた。 「今は親御さんが付いている。少しだけ顔を見てやってはくれないか。その後に、親御さんに説明しているのと同じ事をおまえさんに伝えてやる。特別にな」 「ああ」 アリオスはそっと病室に足を踏み入れる。いつもよりも更に白に感じた。 医療器具をつけられたまま眠るアンジェリークは、余計に華奢に見える。 顔色も今までで一番悪いように見えた。 もうここには魂がないように感じられる。 アリオスの存在を母親はすぐに気づくと、涙を浮かべながら頷いた。 「先生…有り難うございます。眠っていてもきっと喜んでいると思います」 覚悟がそれなりに出来ているのだろう。母親は蒼白になりながら、優しい悟ったような顔をしている。 アリオスがアンジェリークの前に座ると、僅かに手が揺れたような気がした。自分の手が求められている。 アリオスは白い手を握ってやると、確かにアンジェリークは強く握り返してくれた。 「アンジェリーク…」 名前を呼んだが、一切返事はない。ただ無意識にアリオスの手を握り締めているようだった。 暫くそうしてやると、アンジェリークの状態は落ち着いてきたように思えた。一緒にいたオスカーもホッと胸を撫で下ろしている。 「何とか大丈夫みたいです、お母さん。暫くしたら目覚めるでしょうから、このままみてやって下さい」 オスカーは静かに言うと、アリオスに合図を送った。 「では俺もこれで」 「有り難うございました、アリオス先生」 母親がしっかりと頭を下げたので、アリオスも応えるように頭を下げた。 「俺の部屋でかまわないか? そこだったら、詳しい話をしてやれる」 「ああ」 アリオスは、これからオスカーに何を言われても、覚悟を決めていた。 間隔が短くなる発作やあの状態を見てしまえば、アンジェリークの深刻さは手に取るように解った。 オスカーが使っている部屋に通され、プラカップに懐かしいコーヒーを入れて出してくれた。 「アンジェリークのことだが、このままだと一月もつかどうかってところだ。次の発作が起きたら、場合によっては死に至るだろう。アンジェリークは、極論を言えば、明日亡くなってもおかしくない状況だ。だがこのまま手術なしといったことになれば、一月後には確実に消える命だ」 オスカーは医師として、冷静に告げている。 「俺もアンジェリークの家族も、手術をしてくれるような医師を探したが、勇気のある医師はいなくてね。可能性の低い困難な手術を、みんなやりたがらないんだよ」 オスカーは深い溜め息をつく。アリオスは自分が非難されているような気分になってしまう。 確かにアリオスも、アンジェリークの病気から逃げている一人なのだから。 「もう、あの子もこのことを知っている。誰も手術してくれないことも、自分が長くて一月ぐらいだってこともな」 オスカーはアリオスを責める気など毛頭ないだろうが、アリオスにはそう感じられた。 不意に内線が鳴り、オスカーは受話器を取る。一瞬、嫌な予感が過ぎった。 「はい、アンジェリークが目覚めましたか? はい、直ぐに様子を見に行きます」 オスカーが席から立ち上がると、アリオスも同じように立ち上がる。 「アリオス、お前も行ってやれ。気付いたそうだ」 「ああ」 逢う度に弱っていくアンジェリークを、見る度に苦しい気分になる。アリオスは笑えないような気がした。 病室に入ると、アンジェリークはベッドに横たわっている。今までなら起き上がろうとしていたのに、今はそれすら出来ないようだ。 ベッドに近付くと、アンジェリークが力なく笑った。 「先生…。なんか鼻にチューブを挿したままなんか、カッコ悪いね」 アンジェリークが無理して笑うものだから、アリオスは物悲しくなる。 「アリオス先生に…言いたいことがあって…」 アンジェリークは小さな声で息を乱すように言うものだから、アリオスは心にブリザードが走り抜けるのを感じた。 「勝手なことを言ってごめんなさい。私…、先生が苦しいのに、あんなこと言って…。ごめんなさい…。最後の日まで、またこうして逢いに来てくれると嬉しいです…」 アンジェリークは淡々と言う。まるでもう総てを捨ててしまったように。 生きる希望もかけらすらないような雰囲気だ。 アリオスは悟る。アリオスへの期待も総て、アンジェリークは捨ててしまったのだ。 「アンジェリーク、具合は?」 オスカーが顔を覗きこむように言うと、アンジェリークは笑う。 「気付いたから死んではいないだけ…。明日には躰を起こせるようになりたい…」 「そうだな。もう無理はするな。喋らなくていい」 「ん…オスカー先生…。アリオス先生に話せたから、もう話せなくっていいよ…」 アンジェリークはそれだけを言うと、黙り込んでしまった。 アリオスはじっとその横顔を見つめる。 青緑の瞳は、山奥の人知れない湖のように澄み渡っている。クリアーで美しかった。 現実ではなく、その向こうにあるものを見ているような気がした。 医師として、アリオスには解っていた。 アンジェリークは逝こうとしている。間もなく天寿が尽きる。このまま、消えて無くなってしまうだろう。 そんなことは、赦されない。 アンジェリークがこのまま命を終えるなどと言うことは、耐え切れない。 アリオスの中で過去が音を立てて弾けた。 折角、今という時間を生きているというのに、どうして過去に生きようとしていたのか。 今しかやれないこともせずに。 アリオスが今するべきことは、今しか出来ない、アンジェリークを救おうとすることだけだ。 覚悟が決まった。 アンジェリークを救いたい。 その為なら、過去を捨てるなんて、何でもないことなのだ。 「アンジェリーク、ゆっくりしろ。今日はもう失礼するから」 「うん、有り難う、アリオス先生」 アンジェリークは、穏やかに笑うと目を閉じた。 余りアンジェリークを疲れさせないようにと、ふたりは部屋を去った。 廊下を歩きながら、アリオスはさりげなくオスカーに呟く。 「オスカー、これから外科部長に逢ってくる。その後は高等部に行って話をしてくる」 キッパリと力強く言ったアリオスに、オスカーは信じられないとばかりに見つめてくる。 「いいのか…?」 まるで壊れ物を扱うような眼差しでも詰められたが、アリオスはそれを意志の力ではねのける。 「いいんだ。あいつへの”メイク・ア・ウィッシュ”になるだろうから」 アリオスは外科部長の部屋の前でぴたりと歩みを止めると、覚悟を決めたように手を上げ、オスカー挨拶をした。 「じゃあ」 「ああ。しっかりな。お前の白衣姿をもう一度俺も見たい。楽しみにしてるぜ。外科医アリオスの復活を」」 オスカーが通り過ぎた後、、扉の前でアリオスの顔がひきしまった。 「アリオスです。お目にかかりたい」 快い返事が響き、ドアノブ二手をかける。 「失礼します」 もし、許されるならば、アンジェリークを救いたいと、心から思った。 翌々日、アリオスはアンジェリークの病室前にいた。 扉越しに声が聞こえる。 オスカーだ。今回のことをお膳立てしてくれたのも、この死すべき憎らしい内科医だった。 「アンジェリーク、君に俺とは別に主治医がつく。口は悪いが、良い医者だ。入って貰うぜ」 オスカーが合図をしてくれたので、アリオスは病室に入る。 その瞬間、アンジェリークはなんとも言えないような、泣き笑いの表情をした。 「アリオス先生…外科医に戻ったんだ…」 ケーシー姿のアリオスに、アンジェリークはただ見つめるだけだった。 TO BE CONTINUED |
| コメント 結構な回数になってきました。 完結まで真っ直ぐ頑張ります。 |