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白く無機質な空間が、彩る。 消毒液の香りとモノトーン、そして元気になるはずの場所なのに、誰もが絶望に走ろうとする場所。それが病院。 元気になる場所であると同時に、死と隣り合わせで生きなければならない場所でもあるから。 息が詰まる。 長い間いると、窒息してしまいそうになる。 そんな場所。 だからアンジェリークも酸素が必要だった。「外科医アリオス」の酸素が。 アリオスも酸素が必要だった。「アンジェリーク」と言う名の酸素が。 「先生がドクターに戻ってくれて嬉しいよ! だらんとした白衣より、ケーシースタイルのほうが似合うね」 アンジェリークはまだ躰を起こさずにいたが、嬉しそうにアリオスに微笑みかけた。 アリオスもまた、ベッドの脇にひざまずいて、アンジェリークの穏やかな顔を眺めた。 スモルニィにいた頃よりも、円やかな笑顔になっていた。 まるで天使のようだ。 「先生はやっぱり白衣が似合うね。白衣の天使みたい」 くすくすと笑うと、アンジェリークは穏やかな瞳をアリオスに向ける。 アリオスに向けている笑顔は、嬉しさが滲み出ているというのに、その眼差しには希望のかけらがない。アリオスはそれが気にかかってしょうがなかった。 「アンジェ、お前こそが天使だろ?」 「名前だけだよ」 「名前だけじゃねぇよ。こうやって俺に、再び白衣を着せてくれた」 アリオスは自分のケーシーを親指で指し、その嬉しさを解いた。 アンジェリークは頷いて、頬をほんのり赤らめて笑う。 「かいかぶりよ、先生。先生の外科医姿を見るのは、私の夢だったけれどね」 アンジェリークは躰をゆっくり起こし、アリオスと同じ目線になる。 「これで充分だよ。先生が外科医に戻ってくれた。それだけで、私…嬉しいんだ」 アンジェリークは手術のことには触れないどころか、どこか遠い目をしている。それがアリオスにとっては切なかった。 「アンジェ、車椅子を持ってくるから、散歩しねぇか?」 「散歩?」 「こんなところに閉じこもっていたら、湿っぽい考えかたしか出来ねえだろう?」 アンジェリークは小さく頷き、影なく笑った。 アリオスは車椅子にアンジェリークを乗せ、見事なガーデニングがしてある裏庭に向かう。 ここはホスピス患者の潤いのために作られた場所だ。 「ここは季節の植物が本当に見事だな。色とりどりに見られる」 「俳句の季語も沢山落ちているわ!」 「そうだな」 蒸し暑いせいか、余りアンジェリークを連れ回せないのが、辛い。 短い時間の間で凝縮をして、花花を見る。 「アンジェリーク、ずっとふたりで花を見ていこう。それで季節を感じて、色を感じよう」 ふとアンジェリークの表情が固まった。切なく強張ったと言ってもいい。今にも泣きそうな曇り空のような表情を、哀しく浮かべる。 「アリオス先生…無理だよ…」 笑顔で言う奥に、哀しみと諦めがある。 アンジェリークはよく自分のことを識っているのだ。 「…手術すれば!」 「先生、可能性が殆どないんでしょう? たとえ先生にしてもらっても…。今はね、こうしてスペシャルなものを貰えたからいいんだ」 「スペシャル?」 「先生が私の人生のスペシャル!」 アンジェリークのくしゃくしゃの笑顔を見れば、それが本気で言ってくれていることが解る。 だからこそ余計に胸が苦しかった。 「…そんなことを言うな。お前にはこれからスペシャルが沢山あるはずだ。俺だけじゃなく沢山…。俺も、お前が人生のスペシャルだって思っているぜ」 「有り難う」 木漏れ日が芸術のように零れ落ちる場所で車椅子を止め、アリオスはギュッと抱きしめる。 鼻孔を擽る香りを、ずっと嗅いでいたかった。 甘いアンジェリークの香りを。 「お前の手術は俺がするから。絶対に死なせねぇから。だからお前もそんな顔をするな。泣きそうな顔をするな。もっともっと 生きるように前向きに考えてくれ…」 ふたりしてしっかりと抱き合う。 アンジェリークの肩が震え、アリオスの胸で顔を隠す。涙が溢れ出していた。 「…生きたいよ、ホントは先生と…。健康なこたちみたいに、時間を感じてみたいよ…」 押し殺したような声。 それがアンジェリークの気持ちだった。 「一緒に頑張ろう…」 「うん、うん…」 ふたりの勇気が今重なる。 より大きな勇気へと育っていく。 アリオスは壊れても構わないと思うぐらいに、強く強く抱きしめる。 この命を守るためならば、何だって出来るような気がした。 穏やかに過ぎるようにみえる時間も、アンジェリークにとっては指から砂が零れ落ちるようだ。 アリオスは僅かな時間で、アンジェリークの手術の準備を始める。 世界的にみて、アンジェリークの症状で手術成功例はないのかと、調べてもみた。 あることはあったが、余り件数はなかった。それでも僅かな希望を持ち、アリオスは準備に勤しんだ。 その合間に、アンジェリークを見舞う。 最近は発作もなく、病状も安定している。 「アンジェリーク、具合はどうだ?」 「かなりいいよ。信じられないぐらいに!」 アンジェリークの返事は明るく、希望が見られるものになっている。 ふとアンジェリークの膝の上を見ると、ノートが置かれていた。 「何だ、俳句か?」 「違うわ。勉強してたの。受験とか考えると、勉強しておかないといけないって。志望校もだいたい見つかったし、精を出さないと」 アンジェリークが将来に希望を見出だしてくれているのが、アリオスには嬉しい。 益々、アンジェリークのオペは頑張らなければならないと感じた。 「志望校ってどこだよ?」 「ヒミツ。まだ、先生には教えない」 アンジェリークは鼻にシワを寄せながら、笑って意地悪に言う。 「ケチくせぇ」 「ケチ臭いだなんて、お医者が言うことじゃないわよ」 「お前がケチなことを言うからだろうが」 アリオスはまるで子供みたいにムキになって言う。アンジェリークは更に鼻にシワを寄せた。 「子供っぽい」 「うるせぇ」 アンジェリークにからかわれることが、こんなに楽しいとは思わなかった。アリオスがわざと怒ったような顔をすると、アンジェリークはくすくすと笑う。 「そんな顔をしても教えない」 「いいぜ。お前に勉強は教えない」 「えっ! 嘘!」 アンジェリークが本気でオロオロするものだから、アリオスが今度は逆に笑った。 「冗談だ。すき間時間を作って、勉強ぐれぇ教えてやるよ」 「もうっ! 本気だと思ったじゃない! アリオス先生の馬鹿!」 アンジェリークが必死になって怒る姿に、アリオスは目を細める。 このままずっと行ければいいのにと、思わずにはいられなかった。 「まあ、理数系と語学がいるんなら、教えてやる」 「有り難う、先生」 アンジェリークはアリオスに向日葵のような笑顔を向け、笑ってくれた。 「ねぇアリオス先生、今日って何の日か知ってる?」 「カレーライスの日」 「それは食堂のランチでしょ! 違うの! 今日は花火大会が病院前であるんだよ」 「そうだったか?」 「うん!」 アンジェリークは力強く答えると、アリオスにねだるような眼差しを向けて来た。 「見たいのかよ、花火」 「屋上に行けば見られると思うんだ。だから、お願い!」 アンジェリークはアリオスに小さく拝み、真剣に懇願している。その姿が可愛い。 ついつい甘やかせてしまう。 「解った。ただし、少しだけだからな!」 アリオスの折れた言葉に、アンジェリークは満面の笑みを浮かべた。 「じゃあ夕飯後、約束ね」 「ああ」 ふたりはまるで子供みたいに、指を絡ませ合い「約束」をした。 結ばれた約束。 ふたりにとって、大切な契約だった。 夕食後、アンジェリークはアリオスにおぶられて屋上に出た。 誰もが真夏のショーを楽しみに上がって来ている。 「アリオス! お花みたい! 綺麗!」 「そうだな」 アンジェリークはアリオスの背中に捕まりながら、花火を眺める。 夜空を彩る美しい花火を、アンジェリークはうっとりと見つめる。 「来年も、アリオス先生と、一緒にこの花火が見られたらいい…」 「アンジェリーク」 背中に感じるアンジェリークの軽さが胸を打つ。アリオスは衰え始めていることを、考えたくなかった。 「音は小さいけれど、綺麗…。こういう宇野、遠花火って言うんだって、先生」 「そうか…」 「俳句クラブの顧問なのに知らないの?」 「ああ」 アリオスがきっぱりと答えたので、アンジェリークは呆れたようにため息を吐いた。 花火が次々に打ち上がり、その度にアンジェリークは声を上げる。 この花火こそが、アンジェリークの命の煌めきだった。 TO BE CONTINUED |
| コメント 結構な回数になってきました。 完結まで真っ直ぐ頑張ります。 |