Rainbow Connection

23


 白く無機質な空間が、彩る。
 消毒液の香りとモノトーン、そして元気になるはずの場所なのに、誰もが絶望に走ろうとする場所。それが病院。
 元気になる場所であると同時に、死と隣り合わせで生きなければならない場所でもあるから。
 息が詰まる。
 長い間いると、窒息してしまいそうになる。
 そんな場所。
 だからアンジェリークも酸素が必要だった。「外科医アリオス」の酸素が。
 アリオスも酸素が必要だった。「アンジェリーク」と言う名の酸素が。
「先生がドクターに戻ってくれて嬉しいよ! だらんとした白衣より、ケーシースタイルのほうが似合うね」
 アンジェリークはまだ躰を起こさずにいたが、嬉しそうにアリオスに微笑みかけた。
 アリオスもまた、ベッドの脇にひざまずいて、アンジェリークの穏やかな顔を眺めた。
 スモルニィにいた頃よりも、円やかな笑顔になっていた。
 まるで天使のようだ。
「先生はやっぱり白衣が似合うね。白衣の天使みたい」
 くすくすと笑うと、アンジェリークは穏やかな瞳をアリオスに向ける。
 アリオスに向けている笑顔は、嬉しさが滲み出ているというのに、その眼差しには希望のかけらがない。アリオスはそれが気にかかってしょうがなかった。
「アンジェ、お前こそが天使だろ?」
「名前だけだよ」
「名前だけじゃねぇよ。こうやって俺に、再び白衣を着せてくれた」
 アリオスは自分のケーシーを親指で指し、その嬉しさを解いた。
 アンジェリークは頷いて、頬をほんのり赤らめて笑う。
「かいかぶりよ、先生。先生の外科医姿を見るのは、私の夢だったけれどね」
 アンジェリークは躰をゆっくり起こし、アリオスと同じ目線になる。
「これで充分だよ。先生が外科医に戻ってくれた。それだけで、私…嬉しいんだ」
 アンジェリークは手術のことには触れないどころか、どこか遠い目をしている。それがアリオスにとっては切なかった。
「アンジェ、車椅子を持ってくるから、散歩しねぇか?」
「散歩?」
「こんなところに閉じこもっていたら、湿っぽい考えかたしか出来ねえだろう?」
 アンジェリークは小さく頷き、影なく笑った。
 アリオスは車椅子にアンジェリークを乗せ、見事なガーデニングがしてある裏庭に向かう。
 ここはホスピス患者の潤いのために作られた場所だ。
「ここは季節の植物が本当に見事だな。色とりどりに見られる」
「俳句の季語も沢山落ちているわ!」
「そうだな」
 蒸し暑いせいか、余りアンジェリークを連れ回せないのが、辛い。
 短い時間の間で凝縮をして、花花を見る。
「アンジェリーク、ずっとふたりで花を見ていこう。それで季節を感じて、色を感じよう」
 ふとアンジェリークの表情が固まった。切なく強張ったと言ってもいい。今にも泣きそうな曇り空のような表情を、哀しく浮かべる。
「アリオス先生…無理だよ…」
 笑顔で言う奥に、哀しみと諦めがある。
 アンジェリークはよく自分のことを識っているのだ。
「…手術すれば!」
「先生、可能性が殆どないんでしょう? たとえ先生にしてもらっても…。今はね、こうしてスペシャルなものを貰えたからいいんだ」
「スペシャル?」
「先生が私の人生のスペシャル!」
 アンジェリークのくしゃくしゃの笑顔を見れば、それが本気で言ってくれていることが解る。
 だからこそ余計に胸が苦しかった。
「…そんなことを言うな。お前にはこれからスペシャルが沢山あるはずだ。俺だけじゃなく沢山…。俺も、お前が人生のスペシャルだって思っているぜ」
「有り難う」
 木漏れ日が芸術のように零れ落ちる場所で車椅子を止め、アリオスはギュッと抱きしめる。
 鼻孔を擽る香りを、ずっと嗅いでいたかった。
 甘いアンジェリークの香りを。
「お前の手術は俺がするから。絶対に死なせねぇから。だからお前もそんな顔をするな。泣きそうな顔をするな。もっともっと 生きるように前向きに考えてくれ…」
 ふたりしてしっかりと抱き合う。
 アンジェリークの肩が震え、アリオスの胸で顔を隠す。涙が溢れ出していた。
「…生きたいよ、ホントは先生と…。健康なこたちみたいに、時間を感じてみたいよ…」
 押し殺したような声。
 それがアンジェリークの気持ちだった。
「一緒に頑張ろう…」
「うん、うん…」
 ふたりの勇気が今重なる。
 より大きな勇気へと育っていく。
 アリオスは壊れても構わないと思うぐらいに、強く強く抱きしめる。
 この命を守るためならば、何だって出来るような気がした。

 穏やかに過ぎるようにみえる時間も、アンジェリークにとっては指から砂が零れ落ちるようだ。
 アリオスは僅かな時間で、アンジェリークの手術の準備を始める。
 世界的にみて、アンジェリークの症状で手術成功例はないのかと、調べてもみた。
 あることはあったが、余り件数はなかった。それでも僅かな希望を持ち、アリオスは準備に勤しんだ。
 その合間に、アンジェリークを見舞う。
 最近は発作もなく、病状も安定している。
「アンジェリーク、具合はどうだ?」
「かなりいいよ。信じられないぐらいに!」
 アンジェリークの返事は明るく、希望が見られるものになっている。
 ふとアンジェリークの膝の上を見ると、ノートが置かれていた。
「何だ、俳句か?」
「違うわ。勉強してたの。受験とか考えると、勉強しておかないといけないって。志望校もだいたい見つかったし、精を出さないと」
 アンジェリークが将来に希望を見出だしてくれているのが、アリオスには嬉しい。
 益々、アンジェリークのオペは頑張らなければならないと感じた。
「志望校ってどこだよ?」
「ヒミツ。まだ、先生には教えない」
 アンジェリークは鼻にシワを寄せながら、笑って意地悪に言う。
「ケチくせぇ」
「ケチ臭いだなんて、お医者が言うことじゃないわよ」
「お前がケチなことを言うからだろうが」
 アリオスはまるで子供みたいにムキになって言う。アンジェリークは更に鼻にシワを寄せた。
「子供っぽい」
「うるせぇ」
 アンジェリークにからかわれることが、こんなに楽しいとは思わなかった。アリオスがわざと怒ったような顔をすると、アンジェリークはくすくすと笑う。
「そんな顔をしても教えない」
「いいぜ。お前に勉強は教えない」
「えっ! 嘘!」
 アンジェリークが本気でオロオロするものだから、アリオスが今度は逆に笑った。
「冗談だ。すき間時間を作って、勉強ぐれぇ教えてやるよ」
「もうっ! 本気だと思ったじゃない! アリオス先生の馬鹿!」
 アンジェリークが必死になって怒る姿に、アリオスは目を細める。
 このままずっと行ければいいのにと、思わずにはいられなかった。
「まあ、理数系と語学がいるんなら、教えてやる」
「有り難う、先生」
 アンジェリークはアリオスに向日葵のような笑顔を向け、笑ってくれた。
「ねぇアリオス先生、今日って何の日か知ってる?」
「カレーライスの日」
「それは食堂のランチでしょ! 違うの! 今日は花火大会が病院前であるんだよ」
「そうだったか?」
「うん!」
 アンジェリークは力強く答えると、アリオスにねだるような眼差しを向けて来た。
「見たいのかよ、花火」
「屋上に行けば見られると思うんだ。だから、お願い!」
 アンジェリークはアリオスに小さく拝み、真剣に懇願している。その姿が可愛い。
 ついつい甘やかせてしまう。
「解った。ただし、少しだけだからな!」
 アリオスの折れた言葉に、アンジェリークは満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ夕飯後、約束ね」
「ああ」
 ふたりはまるで子供みたいに、指を絡ませ合い「約束」をした。
 結ばれた約束。
 ふたりにとって、大切な契約だった。

 夕食後、アンジェリークはアリオスにおぶられて屋上に出た。
 誰もが真夏のショーを楽しみに上がって来ている。
「アリオス! お花みたい! 綺麗!」
「そうだな」
 アンジェリークはアリオスの背中に捕まりながら、花火を眺める。
 夜空を彩る美しい花火を、アンジェリークはうっとりと見つめる。
「来年も、アリオス先生と、一緒にこの花火が見られたらいい…」
「アンジェリーク」
 背中に感じるアンジェリークの軽さが胸を打つ。アリオスは衰え始めていることを、考えたくなかった。
「音は小さいけれど、綺麗…。こういう宇野、遠花火って言うんだって、先生」
「そうか…」
「俳句クラブの顧問なのに知らないの?」
「ああ」
 アリオスがきっぱりと答えたので、アンジェリークは呆れたようにため息を吐いた。
 花火が次々に打ち上がり、その度にアンジェリークは声を上げる。
 この花火こそが、アンジェリークの命の煌めきだった。

TO BE CONTINUED
コメント

結構な回数になってきました。
完結まで真っ直ぐ頑張ります。




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