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あの音がない花火大会の日が、思えば調子が良かった最後の日だったのかもしれない。 音なき空に見た花火は、何の変哲もない、ごくごく普通の花火であったのに、アンジェリークには珠玉の思い出として、焼き付いていた。 ナイヤガラも派手なメッセージもない花火。だが、アンジェリークにはかけがえのないもののようであった。 あれを境にアンジェリークの体力は、日に日になくなってきている。 この夏を乗り切られないと言うのが、医師としての見解だった。 認めたくないのに、認めざるをおえない。 複雑で痛い心が辛い。だがそれよりも、アンジェリークが辛いのは、十二分に理解をしていた。 アンジェリークを外に連れ出すことも出来なくなり、勉強もこんをつめては出来なくなっていた。 病室を訪ねる度に、小さく透明になっていくアンジェリークを見るのは、胸に少しずつナイフを入れられるのに似ていた。 「具合はどうだ?」 「平気。こうやっていると随分マシなんだよ。みんなが頑張ってくれているのに、頑張らないとね。勉強も、本を読むことぐらいはやっているよ。飽きたら、絵を書いたり、俳句を作ったり!」 アンジェリークは笑ったが、今までのような生命力が感じられなかった。 無理をしているのは明らかだ。 「気分が悪いのか?」 アリオスはじっとアンジェリークを凝視する。 「先生には何でもばれちゃう。お母さんになら、これぐらいのごまかしは出来るんだけれど、先生には無理だね。甘えちゃうもん。甘えが出ちゃう」 アンジェリークはぺろりと舌を出して、苦笑いしている。 母親には、悟られないように必死なのだろう。アンジェリークは誰にも心配をかけないように奮闘する娘だからだ。 「そんなに気ばっか張ってたら疲れるだろうが。俺には素直になれ。俺に正面からぶつかってきてくれたあの時みてえにな」 「うん。有り難う」 アンジェリークが、まるで母親にだっこを迫る子供のように手を伸ばしてくる。 アリオスは黙って躰を屈めると、そのままアンジェリークを受け止めた。 元々かなり華奢だったが、それが際立ってしまっている。以前にも増して、骨と皮だけになってしまったような気がした。 「私、骨張ってゴツゴツしているでしょ?」 「そうだな」 「普通、そこでは否定するもんでしょうが!」 アンジェリークはくすくすと笑いながら、拗ねたふりをした。 「そこはこう言うのよ。”お前の躰はすげぇ柔らかい”って。解った? アリオス先生!」 「はい、はい。”お前の躰、スゲー柔らかい”」 わざと棒読みにすると、またぷくりと頬が膨らむ。 「感情こもってないよ、それ!」 「じゃあ、感情を込めて。ムーディーにな」 アリオスは意地悪な笑みを浮かべると、アンジェリークを強く抱き寄せた。 首筋に唇を宛て、そこで掠れた声を出す。 「アンジェリーク、お前の躰、スゲー柔らかい…」 白いうなじが震える。 痩せていたとしても、アンジェリークの躰は、アリオスにとって柔らかいものだった。 優しい柔らかさと香りをもったものだった。 誰にも渡したくない。 そして今後も、自分以外の人間が、アンジェリークに印をつけることは、許されなかった。 最初で最後の印を、自ら付けてやるのだ。 アリオスは、アンジェリークの首筋を強く吸い上げた。 夢中になって、汚れの知らない白い肌に、自分の痕跡を色濃く遺す。 唇を離した時、アンジェリークが苦しそうに胸を押さえているのが見えた。 「アンジェリーク!!!」 「大丈夫だよ…」 アンジェリークは大きな深呼吸をして、アリオスに笑いかけた。 「ドキドキしただけなんだ。少しだけね」 アリオスは唇を噛む。医師として配慮にかけた行為だった。 「すまねぇ」 「先生、凄くね、嬉しかったんだよ…」 ニッコリとアンジェリークが笑ってくれる。 そこにはもう、苦しみは見られなかった。 代わりに、少女としての華やぎがあるだけだ。 「ホントに嬉しかったよ…」 アンジェリークは笑うと、アリオスの手を握り締めた。 「アンジェ!!!」 ノックと共に、派手な声が響いた。レイチェルとエンジュに間違いない。 「入って!」 アンジェリークが明るく招き入れると、賑やかに友人たちがどかどかと入ってきた。 「よぉ、アリオス先生、ケーシー、ケーシー、ベン・ケーシーがお似合いよぉ。ひょっとして、アイビキの邪魔した?」 レオナードが合いも変わらず派手な明るさで、ふたりの生徒と共に病室に入ってきた。 「ったく相変わらずだぜ。レオナードは」 アリオスは呆れ返りながらも、その言葉尻には、友情をたっぷり含ませていた。 「アンジェ! 校庭に咲いていた向日葵をね、先生に言って貰って来たんだよ! ね! 可愛いでしょ!」 エンジュが両手いっぱいに咲き誇る向日葵を、アンジェリークに手渡してくれた。 「有り難う…」 眩しいほどに輝きを放つ花を受け取り、アンジェリークは優しく愛でた。 向日葵。太陽に恋をした花。太陽を恋うる余りに、太陽に向かってしか首を向けない、眩しい花。 明るく、決して泣かない。 アリオスはそれが自分に見えると同時に、アンジェリークにも見えた。 「可愛くて、太陽の匂いがする…」 目を深く閉じて香りを楽しむアンジェリークは、花の園にいる天使のように見える。 誰もがそう思ったのか、しんとした雰囲気のなかで、ただアンジェリークを見つめている。 「アリオス、一緒に煙草吸いにいかねぇか? 愛しのアリオスちゃんとふたりきりで、久し振りに愛を育みあいたいのよ。俺様は!」 レオナードはトレードマークの小意気なウィンクをしながら、特有のおどけた態度を出している。 「キモチワルー」 レイチェルが悍ましいとばかりに眉を寄せると、誰もが笑う。 「ホント! レオナードがこんなのは馴れてるけれどね!」 エンジュもまた、首を傾げ、場の雰囲気を盛り上げていた。 「ったくしょうがねぇ男だぜ。お前らも積もる話があるだろうから、ゆっくりしておけ」 アリオスはレオナードの提案を受け入れ、ふたりして病室を出た。 「ドラマみてぇに屋上で構わないか?」 「ふぅ! ロマンティック!」 レオナードはふざけるように言うと、アリオスの後に着いていった。 ふたりは、余りひとのいない端に陣取り、煙草を口に押し込めた。 「アリオス…。正直、あれほどまでとは思わなかったぜ。アンジェリークがあんなに痩せちまっているなんてな…。正直、どうなんだよ? 医師としての見解は? あのまんま消えちまいそうな気がして、見ていてたまらねぇよ…」 レオナードは切なそうに深い溜め息をつくと、アリオスを苦しそうに見た。 暫くアリオスは黙っていたが、あのアンジェリークに逢った以上、ごまかしはきかないだろう。 「医者としての見解では…、アンジェリークはこの夏を越せねぇ。越せれば奇跡だ。一か八かの手術が成功すれば、この先も生きていけるが…」 アリオスは言葉のトーンがどんどん暗くなるのを感じる。 自らの手を見つめ、これが限界だと思うと泣けてくる。 だが泣くわけにはいかないのだ。アンジェリークが笑っている以上、主治医の自分がくじけて泣くわけには、いかなかった。 「アリオス…。助けてやってくれ…! 頼む」 レオナードが心から望んでいることは、その声を聴けば解る。 アンジェリークは幸福ものだ。こんなにも様々なひとから愛され、死なないで欲しいと思われている。 受け止める勇気に手を伸ばそうとした時だった。 「第一外科アリオス先生、至急病棟ナースセンターへお戻り下さい!」 緊急事態を示すアナウンスが響き渡る。 アリオスは背筋が凍りつき、世の中の総てが音を立てて壊れてしまうような気がした。 レオナードも茫然となる。 アナウンスを聴くなり、アリオスは脇目も触れずに、ナースセンターへと向かった。 ここまでどうして辿り着いたのか、覚えてもいない…。 アンジェリークの病室前にあるそこで、看護婦がアリオスを待ち構えていた。 「コレットさんが今までで一番の発作を起こして!」 アリオスは総てを聴き終える前に、アンジェリークの病室に駆け込む。 音に反応したオスカーが、直ぐに振り返った。 「…アリオス…。もう…、遅いかもしれない…」 TO BE CONTINUED |
| コメント 結構な回数になってきました。 完結まで真っ直ぐ頑張ります。 |