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アリオスが顧問を務める「俳句クラブ」の活動日、アンジェリークは指定された教室に行ってみることにした。 アリオスの傍にいられる。それだけで胸がときめいた。 「…こんにちは…」 そっと教室の引き戸を開けると、数人の生徒が席に着いている。アンジェリークは恐縮をしながら、教室の中に入った。 「今日、見学させてもらいますアンジェリーク・コレットです」 「見学生ね。歓迎するよ。あんたは後ろの席で見てるといいよ」 いかにも活発そうな少年が出て来てくれて案内してくれる。アンジェリークは彼なら運動部に似つかわしいのではないかと思わずにはいられなかった。 「俺はユーイって言うんだ。普段は水泳部に所属しているけど、練習のないこの日は俳句部の部員兼世話係だ。宜しくな」 「宜しく」 輝ける若さと命の輝きと明るさが漲っている少年。アンジェリークは眩しく感じながら、心地良さにも似た安堵感を覚えた。 「アンジェリーク、もうすぐアリオスのヤツ来ると思うからな」 「有り難う」 暫く椅子に座って待っていると、アリオスが白衣姿で現れた。相変わらず素敵だが、やる気のなさそうなところも同じだ。 思わずくすりと笑ってしまう。 「じゃあ、今日は”桜”について俳句を詠んで、発表。そこの窓からも桜が見えるからな」 「はい!」 誰もがめいめいに俳句を詠む。 アンジェリークも見よう見真似で、俳句を詠んでみることにする。 「コレット」 アンジェリークの姿を見つけるなり、アリオスが近づいてきてくれる。 「来てくれたんだな」 「はい!」 先生に逢いたかったから。言葉を飲み込んで、アンジェリークは笑った。 「うちのクラブは結構いい加減に活動している。顧問が俺だからしょうがねえけどな」 「でもみんな楽しそうだわ」 アンジェリークは憧れにも似た眼差しを、俳句を考える生徒たちに向ける。この空間に居続けることが出来る彼等が、アンジェリークに羨ましかった。 「おまえも俳句を考えてみたらどうだ? 折角、俳号もおまえにはやったんだからさ」 「はい」 アンジェリークはアリオスの視線をほんの少しだけ意識をしながら、桜をじっと見つめる。 春のひと時にしか咲かない桜。それ故に美しいのか…。 アンジェリークは暫く桜を観察した後、さらさらとノートに書き留めた。 人生の 節目に桜 愛を知る。 「…ナカナカまあ、初めてにしてはいいんじゃねえの」 アリオスが俳句を覗き込んで見ていたものだから、アンジェリークはドキリとした。 いきなりこんな近くにアリオスの整った顔があるものだから、ついつい意識をしてしまう。 「…え、あ、こんなのヘボ俳句ですよ」 「そうか? ユーイのを見てみろよ?」 アンジェリークはアリオスに言われて、ユーイのノートを覗き込んでみる。 桜咲く 桜餅の次は サクランボだ。 可笑しくてアンジェリークは思わず笑った。彼らしさが出ている俳句だ。 「たったら私も!」 桜ジャム 桜シャーベットは 美味しいな。 アンジェリークは今年食べた桜物をさらさらと俳句にしてみた。 「ったく、食い意地が張っているな、二人とも!」 アリオスは口調は呆れてはいたが、その目は笑っていた。 桜をテーマに俳句を作るのは、中々楽しい作業だ。アンジェリークは夢中になりながら、いくつも俳句を作った。 最初は随分と枯れた趣味のクラブだと思っていたが、いざ参加してみると、本当に楽しい。 ずっとクラブ活動というものをしたかった。憧れは体育会系のクラブだったが、文化系クラブも悪くないと思う。 願事がひとつずつ叶っていく。 普通の学校生活、クラブ活動…。そして、アリオスに出会えたこと。 きっと宝物になる。アンジェリークは幸せに思いながら、一瞬、一瞬に自分の想いを投影していった。 「よし、今日はここまでだな。俳句を書いたノートや紙を提出して帰ってくれ」 「先生、良い俳句はどうするんですか?」 ユーイの質問に、クラブメンバーはくすくすと笑う。 「大龍園の新俳句大賞に応募しておいてやるよ!」 「えー! それだけ!!」 不満そうなユーイにアリオスは笑いながらげんこつをかませて、みんなを笑わせる。 クールでぐうたらなアリオスしか知らない生徒は、きっとびっくりしてしまうだろうと、アンジェリークは思う。 ここに来てよかった…。 アンジェリークは心からそう思えた。 短いクラブ活動も終わり、部員が教室を去った後、アリオスが声をかけてきてくれる。 「どうだ、うちのクラブは?」 「はい。とっても楽しいです! 来週もまた来たいと思いました!」 本当に楽しいひと時だった。それが自然に表情に出て笑顔になる。 「それは良かった…。じゃあ、来週も来るか?」 「はい!」 アンジェリークが歯切れの良い返事をすると、アリオスも僅かだが微笑んでくれた。 「だったら、入部は決定だな」 「そうですね。入部させて頂きたいです。週一回ペースだったら、私にはちょうど良いですし…」 「なら、決まりだな」 アリオスは白衣から書類を取り出すと、それをアンジェリークに渡してくれた。 「入部届けだ。俺に出してくれたらいいから」 「有り難うございます」 アンジェリークはしっかりと受け取り、ニコリと微笑む。大切な書類。しっかりと何度も見つめた後に、直した。 「じゃあ明日、直接、先生のところに持って行きます」 「ああ。宜しく頼む」 ふとアリオスが頬を指先で触れて来た。甘い行為にアンジェリークは驚いたが、決して嫌ではなかった。 「顔色…、この間よりは少しはマシだな…」 「…何でもないんです、ホントに…。烈しい運動さえしなければ、昨日のようなことは有り得ないです。まあ、あの日は寝 不足だったので、いつもよりは体調が悪かったってこともあります…」 アリオス指先が余りにも温かかったから、アンジェリークは声を震わせた。 「余り無理するなよ。まあ、うちのクラブに入っている限りは、少なくても無理するなんてことはねえからな…」 「そうですね…。先生がちゃんと見てて下さるもの、無理をするなんてことは、有り得ないです。 「そうだな…」 ふっと笑いながら、アリオスの指先が頬から離れていく。アンジェリークは切なさの余り、そっと目を伏せた。 「それじゃあ、先生…」 「ああ。気をつけて帰れよ」 「はいっ!」 アンジェリークは元気いっぱいに返事をすると、アリオスに深々と礼をして、教室から出る。 帰る途中に口笛が出るほど、アンジェリークは幸せだった。 翌日は散々な始まりだった。昨日、嬉しさの余り、少し興奮していたせいか、旨く寝付くことが出来なかった。 その結果が寝坊だ。 持病があるせいでアンジェリークは走ることが出来ない。だからタクシーで学校の前まで走ってもらったのだ。 しかし、無情にも予鈴が聞こえる。アンジェリークの学校は予鈴の時点で遅刻になる。 どうしようかと考えあぐねた結果、アンジェリークは塀を上がることを選択した。 そんなに高くないところが一箇所だけある。そこを攀じ登れば何とかなるだろう。 これぐらいの運動なら、どうということはないはずだ。瞬発力には自信があるから。 アンジェリークは一念発起して、塀を攀じ登る。 こんな情けない目に遇っても、楽しくてしょうがなかった。 誰もが当たり前に経験することを経験するのが、アンジェリークには素晴らしいことだったからだ。 「よっこいしょっ!」 少しオバサン臭い掛け声もご愛嬌で、一生懸命攀じ登る。瞬発力の良さというのは、どうやら少しだけ過信だったようだ が、えっちらおっちらと何とか昇ることが出来た。 「…良かった!」 これだけのことでかなり息があがる。心臓の鼓動が早く打つのを感じながら、塀の上で一息をついた。 早く降りなければ。 そう思って足元を見ると、足がすくんだ。すごい高さを昇ってしまったのだ。ここを降りるには、かなりの勇気をかき集める必要がある。 「…恐い…」 震えて、もう一度下を見てみた。 「おい、どうしたんだよ!?」 聞き慣れた声。 そこにいたのは確かにアリオスだった。 白衣を春風に靡かせながら、アンジェリークを面白そうに見ている。その姿すらも素敵だと思うのは、好きだからだろうか。 「どうした、遅刻か…?」 アンジェリークは素直に頷く。更にアリオスは可笑しそうに喉を鳴らして笑った。 「昇ったはいいが、おまえひとりじゃ降りられなくなった。そうだろ…?」 悔しかったが、アンジェリークは頷くしかなかった。ここで反発をしてしまえば、アリオスには助けてもらえなくなる。それだけは嫌だった。 「…もうすぐ、本鈴何です。ホームルームに間に合いません。お願いですから、下ろして頂けませんか?」 アンジェリークは必死に懇願した。その様子をアリオスが楽しそうに眺めている。 「構わねえぜ。ほら、下りてこいよ!」 アリオスはいきなり大きな手を広げて、胸を開く。 「ここに向かって飛び降りろよ!」 アリオスの胸はとても精悍で広そうに見える。だが、そこに飛び込む勇気はまだ見つからない。 「ほら、遅刻するぞ!」 「あっ、はい…っ!!」 もう背に腹は変えられない。アンジェリークは重いきり目をつむると、アリオスに向かって飛び降りた。 「きゃん!」 しっかりと逞しい腕に支えられる。アンジェリークはその力強さに胸をときめかせながら、ゆっくりと瞳を開ける。 アリオスの横顔が、やけに素敵に思えるのだった。 TO BE CONTINUED |
| コメント 愛の劇場です。 新連載3回目です。 久しぶりに教師と教え子。 頑張ります。 |