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春は少しずつ周りが色づいてくる。アンジェリークの世界は、今、桜の花だけがカラーで色めいている。 ぼんやりと授業を受けながら、そういえば今日は、午後一番に体育の授業があったと何となく思った。 今朝のアリオスの広い背中を意識すると、ときめきの余りに舌の根から渇いてくる。 肌が自分の意思に逆らって、温かな陽射しに広がる花びらと同じ色になった。 心臓の音に敏感なアンジェリークは、自分がいかに動揺していることを知る。 モノクロームから桜色になり、白らんだ空には薄っぺらい太陽が張り付いている。 この太陽が、強く熱くなれば、ここにはいられない。 季節の一部の色になれればいいのに----焦らなければならなくなった自分の時間が本当に切なくて、アンジェリークはきりりとシャープペンシルの頭を噛む。 だが季節の一部になどなれない。 ここにいられる時間もリミットがある。 煩いまでの色づく季節を迎えたくないと、ぼんやりと思った。 ノートの端には真面目に書いた黒板の写しと、さらさらと流れるようにそれとは異なる言葉を薄くシャープペンシルで書く。 ------何時でもあなたが好き。 自分でも書いていて恥ずかしくなり、アンジェリークは慌ててそれを消した。 楽しみな体育の時間がやってきた。 アンジェリークは授業に参加せずに保健室行き。それでも一番楽しみな授業には違いがなかった。 片手にノートと筆記用具だけを持って、この瞬間だけは華やいだ気分になる。敏感な心臓の動きも、随分とリズミカルでダンスをするかのように楽しげだった。 「アンジェ、昨日から始まった月9ドラマ見た?」 「ごめん、私は連続ドラマを最近は見ないたちなんだ。何だかまどろっこしくて」 保健室の前に差し掛かりながら、アンジェリークはにっこりと落ち着いて呟いた。 「確かにね。まどろっこしいからねえ。でもハラハラ出来るところが凄く楽しいんだけれどね」 「そうね」 落ち着きを払った声でアンジェリークは言うと、幾分か表情に影を落とす。 続きが見られなくなった時のことを、きっと彼女たちは考えない----- ふと、そんな言葉を脳裏に思い浮かべながら、のっぺりとしたベージュのドアを静かにノックする。 「アンジェリークです」 「ああ、入れ」 アリオスの声を聞くと同時に、アンジェリークは引き戸タイプのドアをスムーズに開けた。 「じゃあ後の授業で!」 「うん、じゃあね!」 更衣室に向かった級友たちを見送った後、そっと部屋の中に入った。 保健室だけを見れば、相変わらず息が詰まりそうな白い空間。深呼吸も出来そうにない無機質な部屋だ。白過ぎて、頭の芯が痛くなる。 「おう、来たか。ベッドで横になってもいいし、そこの固い椅子に座ってもいいし」 白衣姿のアリオスを目に止めた瞬間から、部屋に酸素が行き渡り、呼吸がとてもしやすくなる。まるで華やいだ楽園のように、無機質な場所がカラフルな温かな場所に変質する。 「固い椅子に座っています」 「固いが俺のクッション付きだからな。我慢しろ」 「有り難うございます」 書類の整理をしていたアリオスは腰を上げると、ポットが置いてある古びた冷蔵庫の前に移動する。ぐあんぐあんと酷い音を鳴らす冷蔵庫と、古びた旅館にあるようなポットは、まるで働くのが嫌みたいだ。きっと自分たちを奴隷のようにでも思っているのだろう。 「おまえは何を飲む」 「お構いなく」 「遠慮するな。何を飲む?」 有無を言わせないアリオスの口調に、アンジェリークは透明の溜め息をつきながら、従うことにした。 部屋の持ち主が昔からボスだと、世の中では決まっているような気がする。アンジェリークは、じゃあお茶が欲しいと、ぽつりと言った。 普段は余り饒舌ではないのだろうが(アンジェリークが色々と聞いた噂を総合すると)、アンジェリークの前では比較的よく話してくれた。クラブの時もそうだった。 そして、アンジェリークが『白い檻』にいた時もだ。 それはきっと、今はアンジェリークにしか判らない秘密だ。 「おまえさ、連続ドラマは見ねえんだってな」 「はい、何だかまどろっこしくて。同じ理由で、続きのありそうなシリーズものの映画や本も見たり読んだりしません。何だか 続きが見られなくなったら、切ないですもの。だから、シリーズものでも、きちんと完結しているものしか、見ないわ」 アンジェリークは友達といる前よりもよく話し、正直になれた。 「そういうもんかよ。だが、完結していなくてもおもしろいもんはおもしれえだろ?それにハラハラドキドキしながら 続きを楽しみにするのも、また良いもんだけれどな」 「そうですね」 アンジェリークは曖昧に笑った。 子供の頃は続き物も屈託無く見ることが出来た。だが、今は違う。 「でも最近は映画だとか、余り見ていないですね。映画館とか行かなくなってしまって、久しいから…」 「おまえはカウチポテト派か?」 「微妙ですね。でもイエスって事なんでしょうけれどね」 アンジェリークは外の鈍色のまだ色付いてはいない光に目を細めながら、ぼんやりと言った。 これから命に躍動感を与えていく光を見つめると、胸の奥が油の足りない車輪のように軋む。切ないだとか、哀しいだとか、そんな感情は遠い所に置き去りにしたような、ある意味達観してしまった寂しい感情が、アンジェリークには渦巻いていた。 ただじっと外を見る。 そうすると、この空間には自分しかいないような気分になる。 遠くに聞こえるクラスメイトたちの明るくて、命が漲る元気な声も別世界から聞こえるような気がする。 足の先が、違和感にむずむずとした。 イタズラな休息が楽しいのではなく、あの世界に永遠にいられなくなったことが、孤立を深めていた。 「ところで、俳句ちゃんと考えたか」 ぼんやりとしていたせいで、アンジェリークははっと瞳を見開くはめになった。 「俳句ですか…。そうですね…。春はモノクロームから少しずつ色付いてくる季節だって思っていたんです…。キャンバスに画家が色を乗せていくみたいに…」 「詩人だな、やっぱりおまえさんは。俳句クラブに誘ったかいがあるぜ」 「そうですか? 普通です。だけど、普通の方々よりは、季節の流れにはかなり敏感だと思いますよ」 「普通の人? おまえは少し敏感かもしれねえが、普通だろ?」 桜の香りがするお茶を目の前に置きながら、アリオスは怪訝そうに言った。 「そうですね。センシティブなだけかも…。あ、お茶を頂きますね?」 アンジェリークはごまかすように言い、熱いお茶に意識を集中する。ほんわりと香るお茶の香りは、忘れていた花のそれを思い起こさせた。 アリオスがまた自分のデスクに付き仕事を始める。アンジェリークの席から見える背中は、逞しくも傷つく易くにも見えた。 春の香りを微かに運んでくれる風が窓から忍び込む。口の中に広がる桜を感じながら、来年は恐らく風になっているかもしれないと、ふと感じていた。 柔らかな沈黙。まるでシルクのようだ。アンジェリークはそれを身に纏ってぼんやりとする。 ふと、シルクの時間の流れを裂くようなノックが響き渡った。 アンジェリークがドアを注目すると、初日アリオスと抱き合っていた女が入ってくる。 ここの職員には違いないだろう。 「あら、先客がいたのね」 ぽってりとした唇にはねっとりとした真っ赤なルージュが塗られている。それが意識して動いているのが解った。 「先生、私、ちょっと横になりますね」 アンジェリークは逃げるようにそっと奥にあるベッドに向かい、カーテンを引いて引っ込んだ。 自分だけの空間が切なくなって、ただベッドの上に腰を下ろすだけ。 アンジェリークは、次第に喉の奥が熱くなり、鳴咽が込み上げてきた。 目が赤くなり喉がひりひりする。今まで、ずっとそれをしてきたのだから、忍ぶ泣くのには自信があった。 アリオスに恋をしてはいけないのに、恋に落ちてしまった。それ故に今、ここにいる。 アンジェリークは上掛けを頭から被ると、鼻をしゅんしゅん言わせながら泣いた。 まるで性能の悪い瞬間湯沸かし器みたいだ。 泣いてもどうにも出来ないのは解ってはいたが、どうしてもそうしなければ感情の起伏が上手く治まりそうになかった。 アリオスに近付けるだけで、何も望まないと思っていたのに、近付けば大それたことを考えてしまう。 女性の影を切なく感じながら、アンジェリークは肩を震わせた。 興奮してはいけないのは解っているのに、妙にそうなってしまう。 いつの間にか、世界がぐるりと回って、自分がこの世界にたったひとりになってしまったように感じた。 何をアリオスたちが話しているかを聞きたくもなく、アンジェリークはただ貝のように丸くなった。 何時しか泣いたせいで、しゃくり上げて気分が悪くなってしまった。 チャイムが鳴り、アンジェリークは起き上がろうとしたが、苦しくて自分の思うようにいかない。 「コレット、時間だ」 アンジェリークは躰を振ることで、アリオスに気分の悪さを伝えた。今話せば、おばあちゃんのようにしわがれた声になる。 「気分が悪いのか?」 「少し休めば、大丈夫だと思います」 「そうか…。担任に連絡をしておく」 「有り難うございます」 今日の授業は後1時間だ。このまま寝ていても構わないだろう。深呼吸をすると、気分がまた悪くなってしまった。 アリオスが連絡している間、するすると起きて、制服のポケットから緊急用のタブレットを取り出し、それを口に含んだ。飲まないのにこしたことはないのだが、今の気分の悪さは飲まずにいられなかった。 アリオスがきた気配がしたので、またシーツに頭ごと隠れる。 それをアリオスは逐一見逃さなかった。 「アンジェリーク・コレット。狸寝入りか? おまえが仮病な…」 アリオスは大胆にシーツをめくったが、直ぐにアンジェリークの表情を見て口ごもる。 「…おまえ、直ぐに家に帰ったほうがいい! 直ぐに支度しろ!」 アリオスはアンジェリークを見るなり即座に判断し、躰を抱き上げてくる。 余りの突然の仕種に、アンジェリークは言葉を紡げなかった。 「家まで送ってやる…おまえ…、今日はちゃんと病院に行け」 「…先生は治してくれないの?」 涙で潤んだ瞳をアリオスに向けると、視線を厳しく逸らされる。 アンジェリークは自分を否定されたような気がした。 アリオスはまるで水だ。つかみ所がない……。 TO BE CONTINUED |
| コメント 愛の劇場です。5回目です。久しぶり更新。 久しぶりに教師と教え子。 頑張ります。 |