Rainbow Connection


 アンジェリークが現れてからと言うもの、アリオスはずっとその瞳に陰るものが気になっていた。
 青緑な南の海の蜃気楼のような瞳は、愁いや哀しみが似合うと同時に、明るい光を映すにもおあつらえむきだ。
 そのせいか、笑ってはしゃいでいる時も、ずっとその影を引きずっているのが目立った。アリオスはそればかりについつい意識がいってしまう。
 陰る理由をアリオスは知りたかった。こんなことは不遜かもしれないが、できる限りのことをして、アンジェリークの影を拭い去りたかった。
 アンジェリークの透明な硝子のような感性を、曇りのないものにしたかった。
 思えば、いつも希有な感性には優しさと物悲しさがついて回っている。死を意識したり、季節にひどく敏感であったり…。
 それに、たった一秒であっても、ときめきと煌めきを感じて大切にしているように思える。
 どうしてそうなのか。アリオスは知りたい。
 アンジェリーク・コレットがどのような人間であるかどうかを。
 今、自分がアンジェリークについて知っていることと言えば、ここの生徒である事ぐらいだ。
 そんなことここの職員なら、誰でも判ること。それどころか、この辺りの人間ならば、その身に纏う制服で理解出来る。あれほどいつも離すのに、アリオスが知っていることは通りすがりレベルだった。
 アリオスは早速探りを入れる為に、職員室に向かった。アンジェリークの副担任である飲み仲間レオナードに頼むのが良いようだ。
 早速レオナードの席に行くと、スポーツ新聞を読んでいる。これほどスポーツ新聞が似合う男もいないだろうと思う。
「レオナード」
「おう」
 レオナードは相変わらず、わざと風俗ページを見ては喜んでいる。三文小説的な動きが何よりも好きな男だ。そこが見ていても飽きないレオナードのおもしろさなのだが。
「今日、ヒマだったら飲みに行かねえか?」
「アリオス先生! こりゃァ珍しいこともあるもんだなァ。俺様の肝臓ちゃんはいつでもスタンバイ出来ているぜェ」
「なら良かったぜ。おやぢの店な!」
「おう!」
 レオナードは煙草代わりにボールペンをくわえながら愉快そうに呟いた。
 明るく豪快に返事をしてくれたレオナードには些かの後ろ暗い気持ちがあった。
 アリオスは手を上げて返事をした後、保健室に戻り、一息をつく。
 窓の外を見ると、青空のキャンバスに描かれた虹は、もうほとんど消えかかっていた。消えかかって空に滲んだ色が、アリオスの胸を得体の知れない不安で焦がした。
「虹は天国への階段か…」
 アリオスはアンジェリークの言葉を反芻しながら、胸の奥が余り歓迎したくない痛みで、覆われるのを感じた。
 禁煙場所であるにも関わらず、煙草を吸わずにはいられない気分になる。
 煙では虹の煌めきを表現することは、出来なかった。

 何時ものようにきっちりと定時に仕事が終わり、アリオスはレオナードと落ち合った。今夜は馴染みの居酒屋に行くのだ。
「おまえが誘ってくるなんたァ、何か魂胆があるんだ。アリオス、コレの悩みか?」
 ニシシと綺麗な白い歯を見せながら、レオナードがからかうように笑ってくる。だがそれはちっとも清潔感を感じなかった。少しスポーツ新聞の芸能欄的な下世話な香りがする。
「とにかく、おまえしか知らねえ事で、まあ、いくつかききたいこともあるからな」
 アリオスは、茶化すようなレオナードの口ぶりは無視をして、淡々と言う。
 アンジェリークの事を知りたい。ただそれだけがアリオスを動かしていた。
 小さな居酒屋に入り、飲みすけであるふたりは、焼酎と酒の肴を僅かに頼む。潰れずにアリオスの付き合いが出来る貴重な相手でもあるレオナードは、てぐすねを引いて待っている。
 酒が入った所で、アリオスは早速切り出した。じっくりと悠長に構えて聞き出すことなど、アリオスには出来なかった。珍しく、そんな余裕などなかったのである。
 アンジェリークの事なら、激しく何でも知りたかったのだから…。
「なあ、おまえが副担任しているクラスに、アンジェリーク・コレットってやつがいるだろう?」
「ああ。エンジュと仲の良い、虚弱の娘だろう? あいつがどうしたんだ? かなりの割合で保健室に行っているのは知っているが、おまえとなんかあるのか? あいつの成績は文句ねェぜェ」
 レオナードはそれがどうかしたのかと、塩を舐めながら言う。だが、塩のお陰で頭が冴えたのか、ぽんと手を叩いた。
「おまえ、あの栗っ子に惚れているのかァ?」
「そんなんじゃねえよ。どうしてあんなに躰が弱いのに、学校にしっかり通っていられるのか知りたいんだよ。保健医としては、今後の手当てをする為にも、情報が欲しいんだよ」
 アリオスはもっともらしいことを言って、レオナードを納得させる。だが、イタズラなニヤニヤは治まらない。
「まあ、保健医ならではの言い訳だなァ」
「言い訳なんかじゃねえよ。おまえじゃあるめえし」
 レオナードはあからさまにムスッとして眉間を寄せたが、アリオスはそんなことなど構わなかった。
「おまえは副担任だろうから、アンジェリークが何らかの病気にかかっていることは、知らされているだろう?」
 レオナードは不意に顔をシリアスに引き締めると、焼酎を軽く煽った。
「実の所、俺もあいつの病気は何かは解らない。だがエンジュの言うところでは、難しそうな薬をいつも食後に飲んでいるらしいんだよ。あれを見ると、やはりすげえ悪いなんじゃねェかと、いつも考えるそうだ」
「そうか…。おまえは副担任だからある程度は知らされているかと」
「確かに人よりは病弱だと言うことは聞いていた。病み上がりだからってな。体育科もそんな説明だったと聞いたぜ」
「体育をそんなに休むんなら、医師からの診断書がいるだろう?」
 アリオスは普通に考えて頭を捻った。「虚弱」ぐらいでは体育科を納得させることは出来ないだろう。レオナードは同意をするかのように頷く。
「まァ、担任・学院長・理事長決裁がきっちり下りているからなァ、体育科としても信じるしかなかったみてえだし」
 レオナードは本当に何も知らないのだろう。不思議だと言わんばかりに首を何度も捻り、焼酎を飲んだ。
「アンジェリーク・コレットの事は、担任であるルヴァにしか解らないのは確かだ。俺は”人より躰が弱い”しか聞かされていねェしな。それに、アリオスのが保健医なんだから、聞いねェ自体がおかしい。おまえがあいつの病状をきちんと理解してねェと、いざというときに困るだろうになァ」
 レオナードは確かに最もだと思われることを言いながら、つまみである焼鳥を豪快に頬張る。
「そうだよな、普通。だが本人は病気のことについては、するりとはぐらかすばかりだし、何の連絡も来ねえしな」
 アリオスは思考をめまぐるしく動かしながら、寂しさを滲ませて呟く。
 きっと誰よりも学校では近しい存在で あるはずなのに。
「何だか、”風の又三郎”みてェなやつだよなァ。突如やってきて、恋には純情なアリオス先生をたぶらかすんだからなァ」
「んなんじゃねえよ」
 アリオスはまた焼酎を胃の中にしっかりと流し込むと、酔えない瞳を宙に向けた。
 切ないのか、空きっ腹に焼酎のせいなのか、やけに胃がじんとして熱い。
「ルヴァにきくのが一番だと思うぜ。だが、あいつがそう簡単に教えてくれるとは思わないがなァ」
「そうだな…」
 アリオスまた視線を焼酎に送る。液体が、波立つ心のように思えてしまう。アリオスは自分の苛立ち、弱々しく見える心を消し去るかのように、ぐっと飲み干した。
「とにかくルヴァが、アンジェリークのことを一番知っているように思う。あいつが手続きも全部しているらしいからな」
「ああ。事務の女もそんなことを言っていたような気がする」
「あの朱いルージュの女だよな。おまえに御執着の」
 レオナードは鼻でせせら笑い、蛸ワサビで鼻をつんとさせている。
「副担任のおまえにも何も話さねえなんて、なんかおかしくはねえか?」
「そうだな。拒食症、…いや神経性食欲不振症ってやつだが、そのエンジュがここに転入してきた時には、事前に俺達だけにミーティングが取られたが、アンジェリークの時にはそれはなかった。完全に秘密主義だ。それもまたおかしい話だな」
 レオナードもしたり顔で頷き、それが何を意味するかを必死になって考えている。
「ルヴァに訊くのが一番だとは思うが…、あいつの口が固いのは有名だからなァ、聞き出せねェとは思うぜ?」
 全くレオナードの言う通りだ。また、振り出しに戻ってしまった恰好になる。
「しっかしおまえがなァ」
 余りにも好奇心一杯でレオナードがアリオスを見つめてくるものだから、流石にアリオスも険しく眉を寄せた。
 女にならともかく、男からは熱っぽく見られたくはない。
「気持ち悪ィから、んな目で俺を見るな」
 威すよう低い声で言っても、レオナードはせせら笑っている。おもしろがっているのだ。全く、質が悪い男だ。
「あら、いやだ、アリオスちゃあん、俺様が愛していることに気付いてた!?」
「バカかおまえは…」
 怒る気にも全くなれなくて、アリオスは溜め息しか吐けない。
「とにかく、おまえが誰かに興味を持ったっていうのは、初めてじゃあねェのか?」
「そうかよ」
 アリオスは罰が悪い気分になりながら、珍しく拗ねるように呟いた。
「そうだ。それが生徒であろうと、関係ねェ。誰かを愛する姿勢が大事だぜ?」
 レオナードが惚気も覚悟で、いけしゃあしゃあと言ってのけるので、アリオスは苦笑する。この男もエンジュと共に闘ったことで変わったものだと思う。
 それがレオナードにとっては良い変化だったと言うことは、聞かなくても解った。瞳が生気に溢れ、いきいきとした野生の光が明るく宿っている。
「おまえこそすげえ変わったぜ。これもエンジュのお陰だな」
「まァ、そういうことにしておいてやるよ」
 レオナードの照れ臭さそうにする仕種に、アリオスもつられて笑った。


 翌日は、俳句クラブのやる気のない活動日だった。
 アリオスは、アンジェリークが来ないのかと内心ハラハラしながら、指定の教室に向かう。
 期待もせずにドアを開けるなり、はっと虚を突かれてしまった。
 そこにはアンジェリークがいた。
 ただ真っ直ぐ、空(くう)を見ている。
 なにを考えているかは解らない。だが、瞳は相変わらず虚ろな影を宿していた。
 じっと見つめているとこちらの気配に気付いたのか、アンジェリークは風のように振り返る。それはよくよく印象に残るスローモーションとなった。
 アリオスを見つけると、アンジェリークはにこりと愁いなどを吹き飛ばす勢いで笑う。
「先生、一杯俳句を考えて来ました! 良いものがあったら、大龍園の新俳句大賞に出して下さい!」
 イキナリ唐突に俳句の書かれたノートを差し出されて、目を見張る。
 温かな春風が心に吹き抜けるような気分になりながら、アリオスはそれを受け取った。
「それは私の命の俳句です!」
 アンジェリークはおどけたピエロのように言い、明るく笑う。
 その瞬間気付いた。
 春風はアンジェリーク自身だったことを

TO BE CONTINUED
コメント

愛の劇場です。8回目です。久しぶり更新。
久しぶりに教師と教え子。
頑張ります。




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