Tears In Heaven
〜天使様の指紋〜

2


 初夏の早朝、俺は”天使”に出会った。
 不思議な縁で出会った少女は、俺に本当の意味での人を愛することを教えてくれた。
 俺を愛し、癒し、包みこんでくれた。
 本当の意味での、”生と死”を教えてくれた。
 俺にとっては唯一無二の恋だった・・・。
 だが、彼女が本当に”天の使い”だったと知ったのは、出会ってからいくらか経ってのことだった。

「…今の声、すげえいいぜ」
「有り難うございます」
 アンジェリークは緊張気味に答える。
 まさか、ずっと憧れていた人が、目の前にいるとは信じられなかった。
 その上自分の声を褒めてくれているのだ。

 天使になったはずなのに、こんなにどきどきしちゃうんだ・・・。

 息を大きく吸い込んだ後、アンジェリークはじっとアリオスを見つめる。

 どのジャケットにも、こんなに哀しそうな瞳で写っていた・・・。

 今まで、ファンとして描いていたアリオスのイメージよりも、より心が繊細なのではないかと、感じずにはいられない。
「俺の顔に何か付いてるか?」
「あ、いえ・・・」
 真っ赤になって俯くアンジェリークに、アリオスは僅かに微笑んだ。
「じろじろ見られるのは慣れてるからな」
「ごめんなさい…。まさか、こんなところで、アリオス…さんに出会えるなんて思えなかったから・・・」
「俺も、こんな朝早くに、あんたみたいな女の子に出会うとは思わなかったぜ。でもあんたは、朝帰りじゃなさそうだもんな」
 アンジェリークはどきどきしながら、一生懸命頷く。
 本当に胸の鼓動が高まって、動くだけでやっとだった。
「座れよ、ここに突っ立ってるんじゃなくて」
「はい。あ、じゃあお邪魔虫で」
 アンジェリークはもじもじとしながら椅子に座る。
 こんなことが現実に起こるとは、正直思っていなかった。
 病気で外出もままならず、ベッドに縛りつけられていた頃、よく夢想したものだ。
 病気が治り、偶然街中でアリオスと出会い、お互いに一目で恋に落ちる・・・。
 そんな夢を見ていた頃を思いだし、アンジェリークはほろりと来た。
「おい、そんな端に座るなんて、よそよそしいな。もっとこっちに座れよ」
 歌とはまた違った魅力のある染み入るような深い声で、アリオスに近くで囁かれれば、アンジェリークは甘い緊張を感じずにはいられない。
「なんか、緊張しちゃって」
 小さくなっていると、アリオスは僅かに微笑んでいる。「
俺は緊張するような、大した人間じゃねえよ」
「私にとってはそうですよ! ずっと、ずっと大好きだったんですから・・・」
 耳まで真っ赤になりながら、アンジェリークはファンとしての心中を思いを込めて語った。
「サンキュ・・・」
 アリオスはそれだけを言うと、朝焼けをじっと見つめたまま黙り込む。
 朝焼けに照らされる横顔が、妙に寂しそうに感じて、アンジェリークは胸を痛めた。
 しばらく、ふたりは話さなかった。
 それでも温かな気分で落ち着いていられるのはなぜだろうか。
 ただ、活動の時間に向けて活発になる太陽の光を見ているだけ。
 そろそろ、普通の生活パターンの人々が活動する時間になった。
「-----さて、俺はそろそろ帰る」
 立ち上がるアリオスにつられて、アンジェリークも立ち上がる。
「サンキュ。いいものを聴かせてもらった。俺はまたここに来るから、見つけたら声をかけてくれ」
「だったら、私、毎日ここに散歩に来ます! だからアリオスさんも来て下さいっ!」
 アンジェリークは思わずアリオスのシャツを引っ張って、力強く勢いで話した。
「ああ。その声をまた聴かせてくれ」
「はいっ!」
「じゃあな」
 アリオスが余りにも寂しげな表情をするので、アンジェリークはしゅんとして彼を見送る。
「明日、待ってますから!!」
 アリオスは軽く手を上げて去っていく。気分は先程よりも悪くなかった。
 アリオスを見えなくなるまで見送った後、アンジェリークは泣きそうになる。

 あの表情・・・。
 いつも瞳の奥が寂しそうに輝いているのが、凄く気になっていた・・・。
 その哀しみを、一生懸命癒してあげたい・・・。

 アンジェリークは決意を込めて、自分に言い聞かせるかのようにしっかりと頷いた。

 アリオスは何もないがらんとしたマンションに帰り、シャワーを浴びた後不思議とベッドに入り、すぐに眠気を催す。
 睡眠薬に頼る日々が続いていた彼にとっては、驚くべきことだった。

 あの声を聴いたからか・・・。

 アリオスは、今朝聴いた澄んだ声を思い出し、心が癒される。あの声が心に残り、何度も思い出す。
 深く目を閉じる。
 起きた後で、今日は、いつにも増して、頑張れるような気がした。

 アリオスに逢えたことは、アンジェリークにとっては、最高にご機嫌な出来ごとの一つだ。
 まだ、”ひと”としていた頃、地方の会場の後ろの方で見たものだ。
 ファンクラブにも入り、勇んでチケットを取りながらも、大きな会場のいつも後ろだった。
 そこで豆つぶほどのアリオスをいつも見ていたが、幸せだった。
 同じ会場にいて、同じ空気を吸えるだけで幸せだ。
 アリオスの心に染み入る声を聴きながら、彼は絶対に自分だけを見つめ、歌い聴かせてくれていると、ずっと信じていた。
 夢を見られたあの頃・・・。
 アンジェリークは、うっとりとその頃のことを思い出して、幸せに浸っていた。

 久し振りに”人間”として生活するのは、何もかも新鮮で楽しい。
 スーパーに買い物に行って、特価のチーズ、パン、牛乳と、野菜を買う。
 ”天使”なので、肉魚介は食べない。それでもアンジェリークはちっとも構わなかった。
 質素な食事の後は、風呂に入る。
 パジャマに着替えた後は早々に祈りの時間に入った。
「神様、私にこのような機会をお与え下さいまして、有り難うございます。今日はアリオスに逢えました。リュミエール様のおっしゃるように、心に深い傷を負っているようでした。頑張って、アリオスを癒したいって思います!! 私にお任せ下さいっ!!」
 アンジェリークが力強く祈りを捧げていると、不意に優しい気配を感じた。
「頑張っているようですね、アンジェリーク」
「リュミエール様っ!!」
 上級天使であるリュミエールの光臨に、アンジェリークは飛び上がって驚く。
「はいっ!! アリオスを癒すように頑張ります!!!」
「良い心掛けですよ、アンジェリーク」
 リュミエールはいつものように、穏やかな微笑みを唇にたたえた。
「アンジェリーク・・・」
 だが、不意に切ない表情をすると、リュミエールはアンジェリークのまろやかな頬に手を置いた。
「いいですか? 私たち天使は、人の心を癒すのが仕事です。決して人の深みにはまってはいけません。アリオスに恋をしてはいけません・・・。夏が終われば、あなたは天界に帰るのだということを、忘れないで下さい」
「…リュミエール様・・・」
 アンジェリークはリュミエールの手の温かさを感じながらも、切ない思いで胸が一杯になり、泣きたくなる。
「いいですね、アンジェリーク。このことを肝に銘じて頑張るのですよ?」
 ゆっくりと頬からリュミエールの手が離れた瞬間、その姿は消えていた。

 恋をしてはいけない・・・。

 その一言がアンジェリークの心に重くのしかかるのだった------

 翌日、昨日と同じ時間に起き、アンジェリークはアリオスに初めて逢った公園に向かう。
 初めは半信半疑だったが、それはすぐに杞憂に終わる。
「あ・・・」
「よお、またおまえの声を聴きにきたぜ?」
 アリオスの姿に、アンジェリーク恋信号は青になる。
 奇跡の恋の始まりだった。
コメント

「愛の劇場」の新しいシリーズです。
今回は、天使と男の恋愛物語。
今までとは少し毛色の違う物語です。
切ないアンジェリークとアリオスのシーンを展開していきます。

アリオスとアンジェの出会いです。
これからふたりの恋物語はスタートします




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