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自分の叔父について、知っていることは数少ない。 銀色の髪をしたとても綺麗な男性であるということ。 そしてアリオスという名前ぐらいだ。 ラムシチューを食べさせてくれる老舗レストランに入っても、お互いに様子ばかりを見てていた。 緊張してしまう。 綺麗に整った横顔をした男性だから、無表情だと本当に怒っているように見えた。 嫌われているのではないか。それとも引き取ることをよく思っていないのではないか。 そればかりを考えてしまっていた。 ひたすら弁護士のレオナードが、場を和ませるように話してくれたのが、唯一の笑えることで、それ以外は緊張ばかりが先走っていた。 「アリオスちゃん、そんな不機嫌な顔ばっかしていたら、アンジェちゃんが怖がるぜぇ」 「五月蠅い。この顔は生れつきだ」 アリオスは不機嫌にテノールを揺らしながら、レオナードを軽く睨んだ。 「きっつー、アリオスちゃんみたいな美人ちゃんが睨むと、本当にキツいわ」 レオナードは豪快さのなかに大胆な優しさを秘めた笑顔で、同意を求めるようにちらりとアンジェリークを見つめてきた。 「…あ、あの、その…」 これから一緒に暮らしていく叔父と波風を立てたくないアンジェリークは、どう答えて良いのかが解らなかった。 「…五月蠅い、少しは黙れ」 アリオスはレオナードにフォークを突き付け、更に厳しい視線を送る。 「アリオスちゃーん、暴力反対っ!」 「…お前が悪い」 アリオスはムスッとした顔をすると、ちらりとアンジェリークを見つめた。 ドキリと音を立てて、心臓が跳ね上がった。 こんなにもドキドキしてしまうまなざしに、今まで出会ったことはなかった。 冷たさのなかに垣間見える色気に、アンジェリークは呼吸困難になってしまう。 緊張が余計に高まってしまった。 このドキドキが、ただの緊張でないことぐらいは、アンジェリークは充分に解っている。 叔父さんなのに。 ときめいてはいけない相手であるはずなのに。 どうしようも出来ないほどの甘い感情が競り上がってきて、アンジェリークを苦しくさせた。 何だか落ち着かない。 熱に冒されてしまったかのように頭がぼんやりとして、食事に手が付かなかった。 「…どうした? 食べねぇのか?」 アリオスに矛先を向けられ、アンジェリークは躰を跳ね上げさせた。 「あ、は、はい」 しどろもどろにナイフとフォークを動かそうとして、不作法にもカチャカチャとした良くない音を立ててしまう。 「アリオスちゃーん、そんなキツい瞳で見たら、アンジェちゃんでなくても恐ろしくなるって! まるでエクソシストを 退治に行く神父さんみたいだぜー」 「馬鹿な表現はするな。アンジェリーク、こんな馬鹿男のことなど気にせずに、食べろ。だからそんなに痩せているんだ」 「はい」 アリオスに父親のように言われて、どこか切ない失望を感じながら、アンジェリークはラムシチューに手をつけた。 食いしん坊で食べるのは何よりも大好きなことであるが、緊張感の漂うひとと一緒の食事は、流石のアンジェリークも食欲をなくしてしまっていた。 アリオスの監視するような視線の下で、アンジェリークは全く味を感じない食事をする。 これからこの男性と“家族”としてやっていくことになるのだ。 アンジェリークにとっては唯一の肉親。 甘くて切なくて、そしてどこかときめきをくれるひととの同居生活。 アンジェリークは不安と甘い緊張感で、こころが身動きを取れなくなっていた。 「じゃあアンジェリーク、この男が変なことをした暁には、ちゃーんと俺様に連絡をするんだぜぇ。いいな?」 別れ際、豪快な優しさと懐の大きさを垣間見せるような笑顔を浮かべながら、レオナードがアリオスを牽制するかのように言った。 そこには全く深刻さはなく、底抜けに明るくてアリオスに信頼を与えているような雰囲気があった。 「はい」 アンジェリークが素直に笑いながら返事をすると、アリオスは苦笑いを浮かべる。 一瞬、その笑顔にアンジェリークは春の花を見つめた時のような甘い気分を感じた。 あんなに冷たい雰囲気をたたえていたのに、苦笑いを浮かべるアリオスは、温かな雰囲気すら感じられる。 意外に優しい笑みを零すひとだと、アンジェリークは思った。 どこか少年のようにも見えるアリオスの微笑みは、アンジェリークに新鮮なときめきを感じさせた。 「…じゃあアンジェリーク、ヒマだったらうちの事務所に来いや。また遊び相手になってやるから」 「はい、レオナードさん、有り難うございました」 アンジェリークが深々と礼をすると、レオナードはまるで妹を見つめるかのような慈しみ溢れたまなざしをくれた。 「じゃあアリオスちゃーん、またな? 飲み屋で逢おうや」 「ああ」 アリオスはフッと目を細めて笑うが、そこには信頼が滲んでいた。 ふたりで並んでレオナードを見送った後、アリオスは覚悟を決めるかのように大きな深呼吸をする。 「行くぜ、アンジェリーク。着いて来い」 「はい」 アリオスはアンジェリークよりも三歩ほど先に歩いて行く。 背中すらも綺麗だと、アンジェリークは思った。 無駄なくついた筋肉は精悍で、誰かを守ることが出来るように見える。 この背中で守るべき特別なひとが、アリオスにはいるのだろうか。 そう考えるだけで、胸の奥がチクリと痛むのを感じた。 駅から桜のトンネルと表現しても良いぐらいの大聖堂前の道を抜けて、緑が溢れた静かな通りに入って行く。 駅前の喧騒が別世界で繰り広げられていると感じずにはいられないほどに、心地よい静けさが辺りを包み込んでいた。 住居や洒落た店が建ち並んではいるが、どの建て物も歴史を感じさせてくれる。 石造り、あるいは味のある木で造られた建造物は、古き良きロマンティックを感じさせた。 そのなかでも、クラシカルとモダンが嫌味なく融合した建物が目を引いた。 まるで映画にでも出てくるような建物に、アンジェリークは魂を奪われていた。 使い込んだ石の質感、温かな雰囲気のディテールに、こんなに素敵な住居はないと、アンジェリークは思った。 「ここが今日からお前のうちだ」 「え…?」 まさか一番素敵だと思っていた住居に住めるなんて、アンジェリークは思いもよらなかった。 「建物はかなり古いし、俺の事務所も兼ねているから住みにくいかもしれねえが、ちゃんとお前の居住空間も確保出来るから、多少の不便は我慢してくれ」 アリオスの無機質な言葉に、アンジェリークは首を横に振る。 「…凄く素敵なお家だと思います」 「そうか? 古き良き家を改造して住んでいるだけだからな。だが、やりがいのある改造だし、住みがいのある改造だ」 アリオスはまるで我が子を慈しむかのように、我が家を見つめている。 「ひょっとして、アリオス叔父さんがリフォームを手掛けた家…?」 「“叔父さん”はヤメロ。アリオスで良い。その通りだ。俺が設計から関わった家だ…」 アリオスはとても良い表情で家を見ている。少年のような魅力的な笑みに、アンジェリークは魂を揺さぶられる。 こんなにも眩しい笑顔が出来る男性が、とても素敵に見える。 「俺は設計士で、ここを事務所にして設計が手掛けている」 アリオスが愛して止まない家に、今日から暮らしていく。 この素敵な家で、素晴らしい笑顔をしたアリオスとともに暮らす未来に、アンジェリークは明るい春の陽射しを感じていた。 |