Summer Holiday

2


 どんなアドベンチャーが待っているのか、アンジェリークは期待半分で青年に着いていく。
「おまえ、名前は?」
「アンジェリーク」
「ふうん。お転婆に似合わねぇな。”天使”だなんて」
 からかうように言われて、アンジェリークは憤慨する。鼻息を荒くする勢いだ。
「でも気に入っているもん。そういうあなたこそ名前はなんて言うのよ」
「俺? 俺はアリオスだ」
 名前を聞くだけで、懐かしい痛みを感じる。ずっと前に置き忘れてしまった胸の痛みが、アンジェリークの心をえぐった。
 どうして名前だけで、こんなに切ない気分になるのだろうか。
「アリオス…。何だかカッコつけた名前」
 アンジェリークは照れ隠しにわざとふざけたように言う。するとアリオスはムッとして唇をへの字に曲げた。
「ほっとけよ。名前なんか関係ねえだろ? 俺達には。だって、名前なんかを知らなくっても、こうしていられるんだからな」
「確かに。だけど、”あなた”と”おまえ”じゃ、味気ないわよ」
「確かに」
 話しているだけで、暑さが飛んでしまうぐらいに楽しい。アンジェリークはくすくすと常に笑っていた。
 暑さでアスファルトがぐにゃぐにゃになろうとも、そんなことはどうでも良かった。
 暑くても、熱くても、今のアンジェリークには歓迎が出来た。
「熱いな。冷たいもんでも食うか?」
「ジェラートがいい!」
「じゃあ、それ食おうぜ」
 アリオスはさりげなくアンジェリークの手を握り、ごく自然に引っ張ってくれる。
 触れ合う掌に汗が滲んでも、決して不快とは思わなかった。
 誰かの温もりをダイレクトに感じることが、こんなにときめきを生むとは、アンジェリークは今まで知らなかった。
 ジェラートの屋台前まで行き、アンジェリークは目をくるくると回しながら、美味しそうなジェラートを探し回った。
 真剣に悩んでいると、アリオスが横で笑う。
「お前の顔を見ていると、タヌキみてぇでおかしいぜ」
「ほっといてよ! えっとおじさん、バニラちょうだい!」
「こんなに迷ってバニラかよ」
「バニラは王道なの!」
「はい、はい」
 アリオスはくつくつと愉快そうに笑いながら、アンジェリークを見守ってくれる。さりげなく、お金も出してくれ、あくまで自分のミネラルウォーターのついでのようにしてくれた。
 バニラ味のジェラートを受け取った後、ふたりであてどなく石畳を歩く。
「暑いな…」
「暑いね」
 だけど絡み合う手は離したくはない。しっかりと握りあって、同じ空間にいることを確かめたい。
 アリオスはミネラルウォーターで喉を潤し、アンジェリークはジェラートを食べる。
 甘いバニラが舌先に乗ると、ひんやりとして美味しかった。
「美味しい…」
「暑い日には、ジェラートは良いからな。だが、腹を壊すなよ? おまえのことだから、ジェラート食い過ぎた上に、腹とか出して タヌキみてえに寝ているだろうしな」
「タヌキみたいってのは、余分よ! だいたい、私はタヌキみたいじゃないもん!」
 頬を膨らませて拗ねても、アリオスは取り合わずに笑うだけ。
「だろうな。タヌキみたいじゃなくて、タヌキそのものだからな。おまえ」
 アリオスはとことんまでアンジェリークをからかわないと気がすまないようだ。わざと憤慨してみせた。
 ふたりで石畳を歩き、小さな広場に出た。
 子供たちが、噴水の周りで水遊びをしている。
「気持ち良さそう!」
「おまえもまじったら? ちょうど釣り合う年齢だろ?」
「釣り合わないよ!」
 アンジェリークはちらりと横にいるアリオスを見つめる。
 どうせ釣り合うなら、アリオスみたいなひとがいい。
 そこまで考えたところで、アンジェリークは絶句する。
 いつの間にか、そんなに毒されていたのだろうか。
 アンジェリークはわざと憤慨するようにジェラートを食べた。
「美味しい〜!」
「そんなに美味いかよ?」
「美味しいから、アリオスにはあげないっ」
 わざとジェラートを隠すふりをすると、アリオスはアンジェリークに顔を向けてくる。
「隠されても、こうやれば食えるんだからな」
「え…」
 アップで見ると、なんて綺麗で精悍な顔つきをしているのかと思う。
 胸の鼓動が煩いぐらいに高まり、アンジェリークは全身を震わせた。
 唇が触れたのは僅かな時間だったのに、そこに永遠があるかのように思えた。
「まあまあじゃねえの? ご馳走さん」
「キスどろぼー」
 もっと気の利いた言葉が言えたらいいのに、今のアンジェリークにはこれが精一杯だった。
 アリオスは涼しげに笑うと、アンジェリークを連れて子供たちの輪に入っていった。
「冷たいか?」
「気持ち良いよー!」
 子供たちの歓声に誘われて、アンジェリークも噴水の周りに寄っていく。ちょうど砂漠でオアシスを見つけた旅人のような恰好だ。
 今日はサンダルだし、何の気兼ねもいらない。こんなに暑いのだ。遠慮なんていらない。
 アンジェリークはサンダルを脱ぎ捨て、石畳の上に裸足で降り立った。
 少しだけ熱いが気持ちが良い。
 まるでダンスをするかのように、ワンピースの裾を翻しながら、アンジェリークは噴水へと近付いていく。
 噴水に脚をつけると、ひんやりとして気持ちが良かった。
 陽射しを浴びながら、水しぶきを上げながら踊れば、無邪気な頃に還ることが出来る。
 それがとても気持ち良かった。
「アリオス! アリオスもおいでよ! 楽しいよっ!」
 手を振ると、アリオスは苦笑しながら近付いてくる。それがとても嬉しい。
「しょうがねえぐれえにガキだな、おまえ」
 呆れ返りながらも、アリオスの瞳は笑っている。
「ガキでいいんだもん!」ふわふわと笑いながら踊ると、アリオスが見守るように近くまで来てくれた。
「おまえの独壇場だな? 見ろよ、ガキどもが呆れているぐらいだぜ?」
「そんなことありませんよーだ!」
 アンジェリークは更に歓声を上げて、水遊びを楽しんだ。
「わっ!」
「おい!? アンジェリーク!」
 お約束にもつるりと底で滑ってしまい、アンジェリークはバランスを崩す。
 アリオスが咄嗟に腕を掴んでくれたが、巻き込むようにして、こける一歩手前の水しぶきを上げた。
 アリオスもアンジェリークも、すっかりずぶ濡れだ。
 アンジェリークは申し訳なくて、アリオスを上目使いで見つめた。
「ごめんなさい…」
「ったく…」
 濡れネズミになったアリオスが不機嫌な顔をしたのもつかの間。纏わっていた冷たい空気を削ぎ落とすと、アリオスは崩れ落ちるように笑った。
 首をのけ反らせ、それは可笑しいそうに。
「ったくおまえは愉快極まりないやつだぜ!」
「そ、そうかな」
 アンジェリークは驚く余りに、舌足らずになってしまう。
「ああ。おまえみたいにおもしろいことをする女は初めてだ。おまえはホントにおもしれえ」
「失礼よー」
 アリオスがあまりに笑うものだから、アンジェリークもつられて笑ってしまう。ここまで来たら、もうたまらなくなった。
 ふたりして指を差し合って、大いに笑う。こんなに楽しいことはないとばかりに。
「おら、お姫様、お手をどうぞ」
 アリオスが手を差し延べてくれると、アンジェリークは素直にそれを取った。
「有り難う! 王子様」
 王子様。ただそう言っただけなのに、アリオスの唇が僅かに歪んだことを、アンジェリークは見逃さなかった。
「さあ、サンダル履いて行くぜ? これぐらい濡れたぐれえじゃ、今の時期は風邪も引かねえからな」
「確かに」
 ふたりはくすくす笑いながら、噴水から出て歩き出す。
 アンジェリークは、真夏の陽射しのなかに、確かな幸せを見出だした。

 ゆっくりと石畳を歩いていると、急にアリオスが背後を気にしだした。
「どうしたの?」
「アンジェリーク、こっちだ」
「えっ! あ!?」
 アリオスはアンジェリークを強引に路地に引き込むと、いきなり覆いかぶさるようなキスをしてきた。
 先程のキスとは比べものにならないくらいに、濃厚だ。
 舌が深く口の中に入り込み、生きているみたいにうごめいている。
 アリオスに強く抱きしめられて、呼吸すらも自分でコントロールが出来ない。
 アリオスのキスが終わった時には、アンジェリークはへろへろになってしまっていた。
「アリオス…」
「もう、いい、有り難うな」
「う、うん」
 アンジェリークはたじろぎながら、ただ頷くしかなかった。
 ぶらぶらとふたりでただ歩いていると、家電量販店の前に通り掛かる。ちょうどニュースの時間だった。
「アリオス、ニュースだよ。薄型テレビってかっこいい…」
 そこまで言ったところで、アンジェリークははっと胸を掴まれる思いをする。
 テレビの画面には、アリオスが正装で写っており、紹介されていた。
「アルビース王国のアリオス皇子は、我が国をご訪問され…」
 ちらりと横を見ると、アリオスの表情は強張っていた。
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夏の日の物語です。





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