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契約成立。何だか恋というよりは、どこかビジネスライクな気がする。 それにアリオスのことなんて、殆ど知らないと言うのに。 アンジェリークは早まったのか、決断が完璧だったのか、自分では良く解らなかった。 初デート。というか、『契約成立』後に初めてスポーツクラブでアリオスに逢い、アンジェリークは思い切ってきいてみた。 「あ、あの、デートとかが普通にあるお付き合いなのでしょうか」 不安になり、アンジェリークは妙にしおらしく硬い感じで話をする。まるで教師に質問する時のようだ。妙ちきりん。 「おまえへんなことを聞くな?」 小刻みに喉を鳴らし、アリオスは全く愉快そうだ。リズムカルな笑いに、アンジェリークは拗ねた。 「契約書がいりそうな勢いだよな、おまえの言い草」 「でも、何が何だか解らなくて…。アリオスさんはおモテになるから馴れているかもしれないけれど、私には初めて何です!」 アンジェリークは恥ずかしさを感じながら、俯きかげんで言う。言葉の持つ強さとは裏腹に、態度はしおらしかった。 「あのな、恋愛にマニュアルなんて作ったり、段取りを書いた報告書や、契約書は必要ねえんだよ。自分たちでその都度総てを作っていく。最初は真っ白のままだ。ステップだって、慎重に踏んでいくところもあれば、全く飛ばしていくところもあるんだからな。レジュメなんかいるかよ」 アリオスは淡々と言いながら、自動販売機でスポーツドリンクを買う。アンジェリークにも一本奢ってくれた。 「ほら」 「有り難う」 「とにかく。おまえは真っ白い状態なんだから、そこに字を埋める手伝いは俺がしてやる」 「うん…」 アンジェリークは小首を傾げた。 何だかオートマティックな恋愛のような気がする。恋愛専用の教習所にでも、入り込んだ気分だ。 「アリオス恋愛教習所!」 「A級ライセンスを取れる事をお約束するぜ」 「有り難う」 何だかしっくり来ない。 アンジェリークの恋愛哲学やモラルなどは、大好きなロマンス小説で培われたものだ。アリオスの実践的なものとは少し違うような気がした。 「俺に着いてこい」 アンジェリークは旨く返事が出来ない。何だかひとが敷いたレール喉を上を歩くような気がしているからだ。 「手探りで頑張る」 本当に手探り。 アリオスは一応ファーストキスの相手だが、掴み所がない。それどころか、本当に何も知らないのだ。 「私ってアリオスさんのこと、本当に何も知らないわよね…」 しみじみと言うと、アリオスはただ笑った。 「まァ、恋愛分野のヒキンズ教授だと思ってくれ」 「ヒキンズ教授?」 「マイフェアレディ」 「成る程」 アンジェリークはスポーツドリンクを飲み干した後、しっかりと頷いた。 「だから俺がちゃんとホンモノのキスと恋愛を教えてやるよ」 「はあ」 アンジェリークは気のない返事しか出来ない。 本当の恋愛だとかキスだとか、一体どんなものかが想像できないから。 「でも、私はアリオスさんが何者かを知らないわ。契約はどさくさに甘いもので釣られて…、その…、成立したけれども…」 食べ物に釣られたことは、流石に口ごもる。 「おまえ、本を読むか?」 「恋愛小説なら! ロマンス小説が大好きなんです!」 「成る程。じゃあ知らねえな」 「え?」 アリオスは煙草を口にくわえながら、アンジェリークをじっと見た。 「俺は、サスペンスやハードボイルド専用に執筆しているからな」 「しょ、小説家先生!?」 アンジェリークは声を裏返しながら、本当に驚いているといった雰囲気を出す。まさか小説家だとは、アンジェリークの想像範囲を越えていた。 「本屋さんで捜してみます!」 「ああ。恋愛大好きなおまえには少しハードな、男の美学を描いている」 「アリオスさん、ホモ小説ですか!」 男の美学イコールホモ。アンジェリークの浅はかな考えはその程度のものだ。 「んなわけねえだろうが」 ツッコミ宜しく、アンジェリークの肩をアリオスは叩いてきた。痛くない「なんでやねん」程度のツッコミ暴力。 「とにかく、『俺は本屋で落ちている』からな」 「よ、読んでみます」 「ああ。読んだら感想をくれ」 謎の相手の正体は、小説家だったのか。つまらないような安心したような、良く解らない感情が渦巻いてくる。 アンジェリークは溜め息をひとつだけまたはいた。 「きちんと汗を流した後は、ホンモノとニセモノの見分け方を教えてやるよ」 「ホンモノとニセモノ? ブランドバッグみたいな?」 「まあな。ホンモノをきちんと理解をしていれば、ニセモノなんて簡単に見分けられるんだぜ?」 「はあ」 ホンモノとニセモノ。 アンジェリークにはどういうことだか、今一つ理解する事が難しい。 だがきっとアリオスが教えてくれるだろう。 アンジェリークは楽天的に物事を考えていた。 アリオスと楽しくマシーンで躰を動かした後、シャワーに入り、着替えて入口で落ち合った。 アリオスが現れるなり、じっとその姿を見つめる。 アリオスはよくよく見れば上質なものを身につけている。さりげなさがホンモノを見分けるコツなのだろうか。 「何だよ?」 アンジェリークの凝視に気付き、アリオスが声をかけてきた。 「アリオスさんはホンモノなのかなあって」 アンジェリークは本当に純粋素朴にきいてみた。アリオスの瞳の奥に光る何かが、一瞬、動いたような気がした。 「俺は限りなくホンモノに近いまがい物だ」 アリオスはきっぱりと言う。 「本当に見分けがつくようになれば、俺がまがい物であることは解る。ちゃんとした目を持っていればな。キスも同じだ。ホンモノのキスとニセモノのキスの見分けがちゃんとつくようになるから、心配するな」 「うん」 ホンモノのキスとニセモノのキス。 その違いが、アンジェリークにはまだ明確にははっきりとはしない。 きっとアリオスと交わしたというか事故のようなキスがニセモノであることを教える為だろうか。 そうだとしたら、少し哀しいような気がした。 「今日は居酒屋で軽く飯を食うか」 「わーい!」 居酒屋。その響きのなんてマーベラスなことか。アンジェリークは居酒屋の御飯が大好きなのだ。 両親にも食事を外でする際には、いつもリクエストするぐらいなのだ。 「今日はちゃんとホンモノとニセモノのレッスンをしようぜ」 「はい」 ホンモノとニセモノ。食べ物だったら、高いものと安いものだろうか。 アリオスに引っ張られて辿り着いたところは、古びた居酒屋で、いかにも美味しそうなものがありそうだ。 「ヴィクトールおやぢの店だ。魚介類は新鮮かつ気取らずに食べられる。ルヴァとユーイのフィッシャーマンズクラブで水揚げされた、とれとれぴちぴちだ」 「わーい!」 アンジェリークは早速、いろり端のある個室に案内してもらう。 「ワクワクする」 「おう、おやぢ、さっき電話で頼んでおいたやつを頼む」 「ああ」 いかにもクマさんで、ダンディさと野性が混在した店主がやってきて、いろり端に火を入れてくれる。その周りに串刺しの魚を並べてくれたので、アンジェリークはいやがおうでも、期待は高まった。 じゅうっと素敵な音が聞こえて、アンジェリークは喉を鳴らした。 本当に美味しそうだ。 「ほら、これと、これを食ってみろ」 「わあいっ!」 アリオスに二本の魚を貰い、アンジェリークは金串ごと食いちぎる。 「食いちぎれ! サファリワールドのライオンのように!」 はふはふと息を弾ませながら、アンジェリークはどんどん食べる。美味しくてたまらない。 「美味しい!」 この世の春。野良猫が餌にありついたような格好だ。 「美味そうに食うな」 アリオスは感心するように言う。 「美味しいもん!」 アンジェリークは言っている間に、綺麗に食べ終わってしまった。 「最初にこれだと、後が期待出来る! 美味しい子持ちししゃもでした」 アンジェリークは食いしんぼうらしく、口の周りを舌なめずりする。猫の『美味しい口』に似ていた。 「美味かったみてえだな。味の違いは解ったか?」 「へ?」 アンジェリークはアリオスが何を言っているのか、一瞬、解らなかった。 二匹ともとても美味しい頂いた。違いなんかは全く解らない。 「実はな、片方かが本物のししゃもで、もうひとつは、スーパーとかで『ししゃも』と表示されている、カペラという魚だ」 アンジェリークは全く驚いたとばかりに、目をまあるく見開いた。 「スーパーで売っているのが本物だと思ってた…」 「安いのはカペラだ。高い高級ししゃもは、本物のししゃもだ」 アンジェリークは感心したように頷く。本当に目から鱗とはこのことを言うのだろう。 「同じような似た食感であっても、まがい物は本物には敵わない。おまえもこの魚みてえにちゃんと見極められるようにならねえとな」 「うん」 返事をしたものの、アンジェリークはまだいまひとつ理解が出来ない。 だが、アリオスと一緒にいれば、いつかは見分けをつけることが出来るような気がした。 キスやひとを------ |
| コメント 性懲りもなく、ロマンティックコメディをまた。 愉しんで読んで頂けると嬉しいです。 キスをテーマにしたお話し。 |