Cinderella Game

10


 折角、アリオスと上手くいきかけたと思っていたのに、思わぬところで崩れてしまった。
 まだ腫れ上がる唇を、アンジェリークは痛々しくケアしながら、溜め息を吐く。
 あれからアリオスとは余り話をしていないし、彼もまたずっと不機嫌なままだ。
 契約解消を言い渡されるかもしれない…。そんな不安がアンジェリークを苦しめていた。
 夜も余り帰って来ない。けれども、逢いたくてしょうがなくて、アンジェリークはアリオスを無駄に待つ日を続ける。早く寝てもいいものの、どうせ眠るにも眠れないから、これの方がいい。
 ドアが開く音がして、アンジェリークが玄関に出ると、アリオスは少しだけ彼女の顔を見て、そのまま素通りする。冷たい表情に、アンジェリークは泣きそうになった。
「おかえりなさい…」
 返事をせずに横を通ったアリオスからは、ほんのりと香水の香りがする。
 アンジェリークは嫉妬の炎に、切なく身を焦がした。
 アリオスはもう”ニセモノ婚約者”なんていらないと想っているかもしれない…。
 胸が痛かった。もう泣くことが出来ないぐらいに、苦しかった。

 アリオスとは擦れ違いの生活が随分と続く。
 最近言葉を交わしたのはいつだろうか? 最近キスを交わしたのはいつだろうか?
 じっと考えなければ、思い出せないほど、触れ合ったり、話したりはしていないかもしれない。
 触れてくれていた日が、アンジェリークには懐かしくてしょうがなかった。
 恋とはこんなに切ないものなのか…。
 初めての感情に、アンジェリークは戸惑っていた。
 もう、アリオスに付けられた、唇の傷は癒えている。唯一、アリオスが遺した傷をアンジェリークは消したくはなかった。だが時間とは 無情なもので、跡形もなく消し去ってしまう。
 恋の切ない重さで、アンジェリークは既に押し潰されそうになってしまっていた。

 ようやく、アンジェリークがアリオスと口を聞いたのは、パーティーへの同伴依頼だった。
「とりあえず、これで、おまえを開放してやれる。一番重要なパーティーだ。ここで俺の婚約者のふりをしてくれたら、おまえの仕事は終わりだ。俺にしつこく結婚を迫りやがる一団が、このパーティーにやってくる。失敗は許されねえからな」
「はい…」
 これでもう”同棲”もおしまい。
 アンジェリークの胸は烈しくきしんだ。
 嬉しくない。絶対に嬉しくない。
 アリオスが傍にいれば、何もいらない。報酬すらも必要ないというのに…。
 アンジェリークは上手く笑えなかった。
「パーティー当日は、ちゃんとしたところでドレスアップしてもらうから、そのつもりでな」
 一瞬、アリオスの手が、アンジェリークの円やかな頬を掠める。
 だがアリオスはしっかり触れることはなく、直ぐに手を引っ込めてしまった。
「…それだけだ」
 アリオスはよそよそしく一言だけ言うと、そのまま部屋に戻ってしまう。
 触れて欲しかった。
 その手で優しく頬を撫でてほしかった。
「…これだったら、もっとペナルティポイントを貯めていれば良かった…」
 アンジェリークは切なさに身をよじりながら、咽び泣いた。

 アリオスとの距離を縮めることが出来ないまま、パーティーの当日を迎えた。
 エステからメイクアップ、ドレス選び迄トータルにサポートしてくれるブティックへ、アンジェリークは連れて行かれた。
もう、これで最後…。
 そう思うと切なくてしょうがない。
 昨日は、別れの日が来たら静かに出て行けるように、使っていた部屋を総て片付け、私物をスーツケースに詰め込んだ。
 直ぐに出ていける。
 準備万端なところもまた、哀しかった。
「ここで綺麗にしてもらえ。そのしけたツラも少しはマシになるだろうからな」
「そうですね。最後のお仕事をしっかりと頑張ってきます」
 アンジェリークが淡々と話すと、アリオスが舌打ちをしたような気がした。
 車から降りると、少し乱暴なアリオスの運転を見送って、建物に入った。
 結局…。アリオスが求めていたのは、従順に自分の言うことを聞いてくれる女性だったかもしれない。だったら私には到底無理だもの。生身の人間だから。
 受付に行って名前を名乗ると、直ぐにエステを施される。最近、寝不足のせいで肌がかなりボロボロだったので、アンジェリークには有り難かった。
 心地良いエステで肌を磨いた後、プロの手によってメイクがなされる。やはり自分でするより比べものにならないほど、美しくして貰えた。
 その後は、ブティックで選んでくれた白いドレスを身に纏う。
 誰よりも気品のあるように見せることが出来る魔法のドレスだと、アンジェリークは思わずにはいられなかった。
 まるで映画に出てくる貴婦人のような出来栄えに、少なからずも驚く。
「お綺麗ですよ、まるでロイヤルプリンセスのようですわ! アンジェリーク様」 
鏡を見るなり、これが本当の自分なのかと、アンジェリークは何度となく思う。余りにも美し過ぎて、周りの者たちが溜め息をついていた。
「本当にお美しい…」
「有り難う…」
 これは夢の中の出来事なのは判っている。
 だがアリオスに見てもらいたい。
 せめて最後は綺麗な婚約者を演じてお別れがしたい…。
 アンジェリークはただじっとアリオスが迎えに来るまで、ロビーで待つことにした。
 早くアリオスに見せたい…。
 ようやく、あなたにほんの少しだけでも、釣り合うような気がするから…。
「おひとりですか?」
 聞き慣れない声に顔を上げると、そこには穏やかそうな青年が立っていた。
「…いえ、人を待っています…」
 アンジェリークは戸惑いながら、青年に答えた。
「すみません、不躾にもお声をおかけしたりして。あなたが余りにも美しくていらっしゃったので、つい…。どちらかの貴族の姫君でいらっしゃいますか?」
「…いえ、私はそんな大それたものでは…」
 真っ直ぐと爽やかに見つめてくる青年を、アンジェリークはまともに見ることが出来ない。何だか疚しくすらあった。
「おい、待たせたな」
 大好きだが、かなり不機嫌そうなアリオスの声に、アンジェリークは顔を上げる。
「アリオス…」
「悪いな。コイツは俺のもんなんだ」
 アリオスはそれだけを青年に言うと、アンジェリークの手を強引に撮る。
「行くぞ。パーティーが始まる」
「はい」
 青年の優しい手よりも、少しぐらい強引であっても、アリオスの手が良かった。温かく強く包み込んでくれる手が。
 会場に入るとかなり広くて、ダンスが出来るほどだ。
「今日はダンスパーティーがあるのですか?」
「ああ。正式なパーティーだからな」
「私…踊れません…」
 アリオスが機嫌悪いのだけでも辛いのに、ダンスをするのは酷く苦行に思えた。
「おまえはダンスをする必要はねえ」
 きっぱりとアリオスが言った言葉は、明らかに拒絶のように思える。アンジェリークは更に暗い気分になった。
 アリオスに連れられて、また、様々な人々に挨拶をする。これがきっと最後だ。そんなことを思いながら、アンジェリークは笑顔で挨拶をした。
「とても綺麗な方ね!」
「どんな女性を選んだかた思ったが、こんなに愛らしい女性をお選びになったのね!」
 誰もが賞賛をしてくれる度に、アンジェリークの心は沈んでいく。
 どうあがいても自分は詐りの存在だ。決してホンモノになれるはずはない。
 賞賛が大きければ大きいほど、アンジェリークは闇の部分が重くのしかかるのを感じた。
 様々な人々と話している間、アリオスはぴったりと躰を寄せてくれている。僅かな隙間にある空虚感が、辛かった。
「お似合いね、本当に。アリオスさん、ホントに良い女性を見つけられたわ!」
 初老の落ち着いた女性が穏やかに微笑むと、アリオスは柔らかな笑みを浮かべる。
 アリオスのこんな笑顔を見たのは久しぶりだった。
 あの喧嘩が起こるまでは、アリオスはよく笑ってくれたし、セクハラに近いお触りもあった。だがそれが今や懐かしい。
 ようやく、挨拶は終わり、アンジェリークは一息つくことが出来た。アリオスは以前のように離れることはなく、じっと付いてくれている。それは嬉しかった。
 殆ど話すことはないせいか、重い沈黙の中を過ごす。ただ、婚約者らしいことと言えば、アリオスが腰を抱いて傍にいてることぐらいだった。
 ただじっと、ダンスの様子を見つめる。
「…踊りたいのかよ?」
 ようやくアリオスが重々しく口を開く。
「別に踊りたいとは思いません…。見ているのが、好きなんです。まるでしゃぼん玉の中の出来事みたいにきらきらしているから」
「アンジェリーク…」
 アリオスの腰に置く手が、ほんの少し強くなったような気がした。
「私にとっては夢の世界のように想えるのです…。きらきらしていて…。きっともう、こんな光景を見るのは、最初で最後だと想うから…」
 ぐいっとアリオスに抱き寄せられて、アンジェリークは喘いだ。
 結局、ラストダンスの時間まで、ふたりはじっとしている。
「次はラストダンスだぜ?みんな一番踊りたいと思う相手と踊るんだ」
 アリオスがじっと見つめてくる。アンジェリークが「踊って欲しい」という一言を、発しようとした時だった。
「…アリオス様…」
 可憐な声にアンジェリークが前を見ると、声に相応しい愛らしい少女がそこに立っている。
 年の頃はアンジェリークよりほんの少しぐらい上だろうか。
 まるで童話に出てくるお姫様のようで、アンジェリークは見つめずにはいられない。
 彼女は思い詰めたように、アリオスを見つめている。潤んだ瞳は、美しくて吸い込まれそうだった。
「…一度だけ、一度だけで良いのです…。ダンスをして頂けませんか?」
 本当に心からの懇願だったが、アンジェリークは受けて欲しくなかった。
 アリオスへの恋心が嫉妬心を産む。
 醜い気持ちなのは解ってはいたが、どうしても感情を燻らせてしまう。
「-------いいぜ」
 沈黙の後のアリオスの言葉は、アンジェリークに胸を切り裂くような痛みを覚える。
 アリオスの手がゆっくりと離れていき、少女の手に重なる。
 アンジェリークは深い絶望の余り、このまま消えてしまいたかった。
コメント

タイトル通りのシンデレラ物語を書きたかったので書きました。
楽しんでくださると嬉しいです。
さて。
今回は、独占欲の強いアリオスさんです。





back top next