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折角、アリオスと上手くいきかけたと思っていたのに、思わぬところで崩れてしまった。 まだ腫れ上がる唇を、アンジェリークは痛々しくケアしながら、溜め息を吐く。 あれからアリオスとは余り話をしていないし、彼もまたずっと不機嫌なままだ。 契約解消を言い渡されるかもしれない…。そんな不安がアンジェリークを苦しめていた。 夜も余り帰って来ない。けれども、逢いたくてしょうがなくて、アンジェリークはアリオスを無駄に待つ日を続ける。早く寝てもいいものの、どうせ眠るにも眠れないから、これの方がいい。 ドアが開く音がして、アンジェリークが玄関に出ると、アリオスは少しだけ彼女の顔を見て、そのまま素通りする。冷たい表情に、アンジェリークは泣きそうになった。 「おかえりなさい…」 返事をせずに横を通ったアリオスからは、ほんのりと香水の香りがする。 アンジェリークは嫉妬の炎に、切なく身を焦がした。 アリオスはもう”ニセモノ婚約者”なんていらないと想っているかもしれない…。 胸が痛かった。もう泣くことが出来ないぐらいに、苦しかった。 アリオスとは擦れ違いの生活が随分と続く。 最近言葉を交わしたのはいつだろうか? 最近キスを交わしたのはいつだろうか? じっと考えなければ、思い出せないほど、触れ合ったり、話したりはしていないかもしれない。 触れてくれていた日が、アンジェリークには懐かしくてしょうがなかった。 恋とはこんなに切ないものなのか…。 初めての感情に、アンジェリークは戸惑っていた。 もう、アリオスに付けられた、唇の傷は癒えている。唯一、アリオスが遺した傷をアンジェリークは消したくはなかった。だが時間とは 無情なもので、跡形もなく消し去ってしまう。 恋の切ない重さで、アンジェリークは既に押し潰されそうになってしまっていた。 ようやく、アンジェリークがアリオスと口を聞いたのは、パーティーへの同伴依頼だった。 「とりあえず、これで、おまえを開放してやれる。一番重要なパーティーだ。ここで俺の婚約者のふりをしてくれたら、おまえの仕事は終わりだ。俺にしつこく結婚を迫りやがる一団が、このパーティーにやってくる。失敗は許されねえからな」 「はい…」 これでもう”同棲”もおしまい。 アンジェリークの胸は烈しくきしんだ。 嬉しくない。絶対に嬉しくない。 アリオスが傍にいれば、何もいらない。報酬すらも必要ないというのに…。 アンジェリークは上手く笑えなかった。 「パーティー当日は、ちゃんとしたところでドレスアップしてもらうから、そのつもりでな」 一瞬、アリオスの手が、アンジェリークの円やかな頬を掠める。 だがアリオスはしっかり触れることはなく、直ぐに手を引っ込めてしまった。 「…それだけだ」 アリオスはよそよそしく一言だけ言うと、そのまま部屋に戻ってしまう。 触れて欲しかった。 その手で優しく頬を撫でてほしかった。 「…これだったら、もっとペナルティポイントを貯めていれば良かった…」 アンジェリークは切なさに身をよじりながら、咽び泣いた。 アリオスとの距離を縮めることが出来ないまま、パーティーの当日を迎えた。 エステからメイクアップ、ドレス選び迄トータルにサポートしてくれるブティックへ、アンジェリークは連れて行かれた。 もう、これで最後…。 そう思うと切なくてしょうがない。 昨日は、別れの日が来たら静かに出て行けるように、使っていた部屋を総て片付け、私物をスーツケースに詰め込んだ。 直ぐに出ていける。 準備万端なところもまた、哀しかった。 「ここで綺麗にしてもらえ。そのしけたツラも少しはマシになるだろうからな」 「そうですね。最後のお仕事をしっかりと頑張ってきます」 アンジェリークが淡々と話すと、アリオスが舌打ちをしたような気がした。 車から降りると、少し乱暴なアリオスの運転を見送って、建物に入った。 結局…。アリオスが求めていたのは、従順に自分の言うことを聞いてくれる女性だったかもしれない。だったら私には到底無理だもの。生身の人間だから。 受付に行って名前を名乗ると、直ぐにエステを施される。最近、寝不足のせいで肌がかなりボロボロだったので、アンジェリークには有り難かった。 心地良いエステで肌を磨いた後、プロの手によってメイクがなされる。やはり自分でするより比べものにならないほど、美しくして貰えた。 その後は、ブティックで選んでくれた白いドレスを身に纏う。 誰よりも気品のあるように見せることが出来る魔法のドレスだと、アンジェリークは思わずにはいられなかった。 まるで映画に出てくる貴婦人のような出来栄えに、少なからずも驚く。 「お綺麗ですよ、まるでロイヤルプリンセスのようですわ! アンジェリーク様」 鏡を見るなり、これが本当の自分なのかと、アンジェリークは何度となく思う。余りにも美し過ぎて、周りの者たちが溜め息をついていた。 「本当にお美しい…」 「有り難う…」 これは夢の中の出来事なのは判っている。 だがアリオスに見てもらいたい。 せめて最後は綺麗な婚約者を演じてお別れがしたい…。 アンジェリークはただじっとアリオスが迎えに来るまで、ロビーで待つことにした。 早くアリオスに見せたい…。 ようやく、あなたにほんの少しだけでも、釣り合うような気がするから…。 「おひとりですか?」 聞き慣れない声に顔を上げると、そこには穏やかそうな青年が立っていた。 「…いえ、人を待っています…」 アンジェリークは戸惑いながら、青年に答えた。 「すみません、不躾にもお声をおかけしたりして。あなたが余りにも美しくていらっしゃったので、つい…。どちらかの貴族の姫君でいらっしゃいますか?」 「…いえ、私はそんな大それたものでは…」 真っ直ぐと爽やかに見つめてくる青年を、アンジェリークはまともに見ることが出来ない。何だか疚しくすらあった。 「おい、待たせたな」 大好きだが、かなり不機嫌そうなアリオスの声に、アンジェリークは顔を上げる。 「アリオス…」 「悪いな。コイツは俺のもんなんだ」 アリオスはそれだけを青年に言うと、アンジェリークの手を強引に撮る。 「行くぞ。パーティーが始まる」 「はい」 青年の優しい手よりも、少しぐらい強引であっても、アリオスの手が良かった。温かく強く包み込んでくれる手が。 会場に入るとかなり広くて、ダンスが出来るほどだ。 「今日はダンスパーティーがあるのですか?」 「ああ。正式なパーティーだからな」 「私…踊れません…」 アリオスが機嫌悪いのだけでも辛いのに、ダンスをするのは酷く苦行に思えた。 「おまえはダンスをする必要はねえ」 きっぱりとアリオスが言った言葉は、明らかに拒絶のように思える。アンジェリークは更に暗い気分になった。 アリオスに連れられて、また、様々な人々に挨拶をする。これがきっと最後だ。そんなことを思いながら、アンジェリークは笑顔で挨拶をした。 「とても綺麗な方ね!」 「どんな女性を選んだかた思ったが、こんなに愛らしい女性をお選びになったのね!」 誰もが賞賛をしてくれる度に、アンジェリークの心は沈んでいく。 どうあがいても自分は詐りの存在だ。決してホンモノになれるはずはない。 賞賛が大きければ大きいほど、アンジェリークは闇の部分が重くのしかかるのを感じた。 様々な人々と話している間、アリオスはぴったりと躰を寄せてくれている。僅かな隙間にある空虚感が、辛かった。 「お似合いね、本当に。アリオスさん、ホントに良い女性を見つけられたわ!」 初老の落ち着いた女性が穏やかに微笑むと、アリオスは柔らかな笑みを浮かべる。 アリオスのこんな笑顔を見たのは久しぶりだった。 あの喧嘩が起こるまでは、アリオスはよく笑ってくれたし、セクハラに近いお触りもあった。だがそれが今や懐かしい。 ようやく、挨拶は終わり、アンジェリークは一息つくことが出来た。アリオスは以前のように離れることはなく、じっと付いてくれている。それは嬉しかった。 殆ど話すことはないせいか、重い沈黙の中を過ごす。ただ、婚約者らしいことと言えば、アリオスが腰を抱いて傍にいてることぐらいだった。 ただじっと、ダンスの様子を見つめる。 「…踊りたいのかよ?」 ようやくアリオスが重々しく口を開く。 「別に踊りたいとは思いません…。見ているのが、好きなんです。まるでしゃぼん玉の中の出来事みたいにきらきらしているから」 「アンジェリーク…」 アリオスの腰に置く手が、ほんの少し強くなったような気がした。 「私にとっては夢の世界のように想えるのです…。きらきらしていて…。きっともう、こんな光景を見るのは、最初で最後だと想うから…」 ぐいっとアリオスに抱き寄せられて、アンジェリークは喘いだ。 結局、ラストダンスの時間まで、ふたりはじっとしている。 「次はラストダンスだぜ?みんな一番踊りたいと思う相手と踊るんだ」 アリオスがじっと見つめてくる。アンジェリークが「踊って欲しい」という一言を、発しようとした時だった。 「…アリオス様…」 可憐な声にアンジェリークが前を見ると、声に相応しい愛らしい少女がそこに立っている。 年の頃はアンジェリークよりほんの少しぐらい上だろうか。 まるで童話に出てくるお姫様のようで、アンジェリークは見つめずにはいられない。 彼女は思い詰めたように、アリオスを見つめている。潤んだ瞳は、美しくて吸い込まれそうだった。 「…一度だけ、一度だけで良いのです…。ダンスをして頂けませんか?」 本当に心からの懇願だったが、アンジェリークは受けて欲しくなかった。 アリオスへの恋心が嫉妬心を産む。 醜い気持ちなのは解ってはいたが、どうしても感情を燻らせてしまう。 「-------いいぜ」 沈黙の後のアリオスの言葉は、アンジェリークに胸を切り裂くような痛みを覚える。 アリオスの手がゆっくりと離れていき、少女の手に重なる。 アンジェリークは深い絶望の余り、このまま消えてしまいたかった。 |
| コメント タイトル通りのシンデレラ物語を書きたかったので書きました。 楽しんでくださると嬉しいです。 さて。 今回は、独占欲の強いアリオスさんです。 |