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アリオスと婚約してしまった…。 ”偽”だけれでも。 左手の薬指にはまる”真実”の輝きが嬉しいと同時に、少し胸が痛い。 これが”本物”の契りであったら、どれほど嬉しかったことだろうか。 アンジェリークに輝きに切なさを感じながら溜め息をついた。 婚約者とは言え、偽物のせいか、ときめく行為は何もない。 今までと変わったことを上げてみれば、アリオスと暮らすようになったこと、通信制高校の勉強がしやすくなったこと、アリオスが気まぐれにキスをしてくること…。それだけだ。 アリオスの部屋を掃除したりして、倹しく暮らしているのは同じだ。 ふつうの婚約者としての、喜びに裏打ちされたときめきは一切ない。 仕事だと割り切っているのに、それがないのは酷く心許ないものだと、アンジェリークは思っていた。 アンジェリークが独りの時、不意に玄関のドアが開いた。 ピッキングかもしれない…。 そんな不安を感じながら、アンジェリークは伯耆を片手にそっと玄関先に向かう。恐かったが、仕方がなかった。 「泥棒っ!!!」 大きな声で叫んで玄関に出ると、次の瞬間、アンジェリークは驚いて口をあんぐりと空けた。 ブロンドの真っ赤なルージュが似合う大人の女性が立っている。たじろくしかなかった。 「こんにちは、あなた、誰?」 それはこっちが聞きたいとアンジェリークは思う。 「私は…アリオスの婚約者です」 女は僅かに口角を上げると頷く。その目線はアンジェリークが左手にしている指輪に向けられていた。 ブロンド。 アンジェリークはひっかかるものがあった。 掃除婦の頃、アリオスのベッドの目キングをしたことが頭によぎる。 ベッドメイクをするというのは、ある意味プライベートの中に入っていくことを意味する。 アリオスの銀色の髪とブロンドの髪がいやらしく絡まって落ちていたことを、アンジェリークは思い出した。 その女性だ。 そうに違いない。 アンジェリークの唇はわなわなと震え、どす黒い感情が沸き上がってくるのを感じた。 「…やっぱり、ホントだったのね」 だが女は驚くどころか、笑みすら口許に浮かべて、余裕を持った表情をしている。 「あなたがどう思っていようと、私には関係ないわ。私はあなたを見て安心したってこと。あなたのような子供には負けないってことを、ちゃんと言いたかっただけ」 アンジェリークは反論できなかった。喉の奥まで出かかった言葉を、飲み込んだ。 本物ではないから、反論することは出来ない。 後ろめたい切なさが、アンジェリークの躰を覆いつくした。 「じゃあね。あなたとはまた逢うことになると思うけど、その時はお手柔らかにね。アリオスから貰った鍵は返しておくわ。また、ここに戻ってこれるだろうし…」 ちらりと女はアンジェリークを見つめた後、嘲笑しながら帰っていった。 ドアが締まってしばらくしてから、アンジェリークはドアにクッションを投げ付ける。 悔しくて涙が出た。 女がいるなら、その女性に”婚約者”役を頼めばいい。 アンジェリークははらわたが煮えくりかえる気分だった。 アリオスが部屋に帰って来た時、アンジェリークは抵抗するかのように自分の服を着て用事をしていた。 今日は安いラム肉があったので、ラムシチューを作ったが、きっとアリオスには口に合わないだろうと、すっかり拗ねた気持ちでいた。 「ただいま」 「お帰りなさい」 アリオスの姿を見るだけで嬉しくて、先程の切なさをしばしではあるが忘れてしまう。 恋をしている------胸が甘酸っぱい感覚に震える。恋をするなら、総てを許せてしまうのだろうか。過去のことならば、許せてしまうかも知れない----- 「美味そうな匂いがするな」 「ラムシチューを煮たんです。お口に合わないかもしれませんが、もしよかったら…」 「貰おう。堅苦しい料理よりも、心のこもった物が、俺は好きだからな」 「アリオスさん…」 アリオスの言葉は真実のように思えた。だから素直に嬉しい。 アリオスが着替えに行っている間、アンジェリークはテーブルのセッティングをする。 誰かのために何かをするというのは、本当に楽しい。特にアリオスの為ならば…。 「アンジェリーク、待たせた」 「はい、どうぞ」 アリオスに給仕をしながら、また昼間の女のことが蘇る。 胸が痛いが、嫉妬することが出来ない。自分はあくまで、雇われの身なのだから…。 アリオスと他愛ないことを話す間は、自分が所詮は”掃除婦”の枠からは出ていないことを、思い知らされずに済むのに。 アリオスはシチューを一口食べるなり、ただ黙って食べ続ける。 特売肉だったので口に合わなかったのではないだろうかと危惧していたところで、皿がそっと出された。 「おかわり」 「はい、はいっ!」 素直に嬉しかった。 ”美味しい”と言って食べて貰っても、結局はお代わりもしてもらえないより、今のようにお代わりしてもらえるほうが嬉しかった。 結局、明日のランチ用に多めに炊いておいたシチューが全て空になった。 「また、作ってくれ」 「はい!」 言葉の称賛よりも、アリオスのように行動で示してくれるのが嬉しかった。 食事の後、アンジェリークは恐る恐る預かったカードキーを渡す。 「…これ、預かりました」 アリオスは視線を落として僅かに眉根を寄せる。だが、表情は全く変わることはなかった。 「カードキー変えるの忘れてしまってたな。変えておく。おまえにも嫌な想いをさせて悪かったな」 アリオスはさらりとカードキーを手に取ると、それを胸元にしまう。 ぱふり。 アリオスの繊細で大きな手を頭の上に乗せられる。撫でられる仕草が心地良かった。 だが切ない。 自分が子供扱いされているのがまる解りで、嫌だった。 「…あの女性はアリオスさんの恋人ですか?」 アンジェリークはよそよそしい敬語で言う。 「恋人じゃない」 アリオスの答えはきっぱりしていた。どうして恋人ではない女性にキーを渡すことが出来るのだろうか。アンジェリークはアリオスを不安な眼差しで見つめた。 「ただの躰の友達だ。それ以上でも以下でもない。アイツもそのあたりは割り切っているだろうよ」 アリオスは煙草を口に押し込めると、少し不機嫌なようだった。アンジェリークは嫌なしゅんとした気分になる。自分は悪くないのにも関わらず、自分が彼に怒られた気分になる。 「躰の友達?」 「俗に言うセフレってやつだ」 アンジェリークは俯いた。ショック過ぎて何も言えない。 「…軽蔑したか?」 アンジェリークは首を横に振った。少なくとも今はそうは思ってはいない。 「いいえ…。お互いに割り切っていらっしゃるなら、それはお互いのことだから、私が何かを言う権利も資格もありません」 ましてや相手がとても美しい女性であったなら。 「そうか…。おまえが理解のある相手で助かった。キーの件だが、あいつとは事情でここでしか会えなかったからな。だから鍵を渡しただけだ」 「信用していらっしゃるんですね」 「まあな」 あっさりとアリオスは言うが、アンジェリークは胸が苦しい。 ベッドの上のふたりを想像して、涙が出そうだった。 アリオスの余裕な表情には苛々する。 「だが、もう終わったことだ。あいつは結婚するからな。俺よりも大富豪と。だから鍵を返しに来たんだぜ。あいつも俺が婚約したと嘘をついていねえかと、ちゃんと調べたくなったかもな」 アンジェリークは何も言えない。ただ上流社会の流儀等くそくらえと想った。 「念のため鍵は明日変えるからな。安心しろ」 「…はい」 アンジェリークはただ頷いて、部屋に戻ろうとしたが、アリオスに腕を取られて引き留められてしまった。 「アンジェリーク、そんなよそよそしいままで、おまえを部屋に帰す訳にはいかねえ」 「よそよそしくなんてしていません」 アリオスの腕が熱い。アンジェリークは甘く喘いだ。 「その敬語が何よりも証拠だ」 アリオスにそのまま腕の中で閉じ込められる。腕の力強さが、今は哀しい。 「アンジェリーク、ペナルティ、覚えているだろう?」 「あっ! んんっ…」 顔を背けようとしても遅くて、アンジェリークは唇を乱暴に奪われる。 こんなに強引なキスは初めてだ。アリオスは唇でアンジェリークを支配して行った。 「…んんっ!」 烈し過ぎて唾液が唇から零れ落ちる。アリオスの舌がそれを巧みに掬い上げた。 「んん…」 ようやく解放された時には、アンジェリークはぐったりとしていた。 「俺達は、今は”熱い婚約者”同士だ。しっかりとお互いに発情していなきゃならねえからな」 「アリオス…」 「お互いのことをちゃんとお互いに知っていないといけねえとは思う。だが、完全なプライベートはお互いに観察するのは止めようぜ」 アリオスの声は厳しく、暗に、アンジェリークに私生活には入って来るなという警告に聞こえた。 「弁護士を通じて、今回の婚約者の契約と報酬について話し合った。書類をきちんと作ったから、ちゃんと読んだ上でサインをしてくれ」 アリオスは淡々と話すと、アンジェリークに書類を突き付ける。 正式に文書でのビジネスの香りがする行為に、胸が苦しかった。 「はい…」 「それだけだ。部屋に戻っていいぞ」 「有り難う…」 アンジェリークはアリオスから貰った紙をくしゃりと握り締めると、恨めしそうにアリオスを見送る。 ”好き”という言葉が、喉の奥から出かかっていた。 |
| コメント タイトル通りのシンデレラ物語を書きたかったので書きました。 楽しんでくださると嬉しいです。 さて。 アリオスさんのお願いの訳は次回に |