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部屋に戻ると、アンジェリークはアリオスから貰った契約書をじっくりと読むことにする。 視界が涙で滲む。 ビジネスライクな契約書を読むだけで、頭がくらくらして。愛のかけらすら見つけられない。 アンジェリークは鼻をすすりながら、契約内容をじっくり読む。 ”お互いにプライベートに関しては、一切関知しない” その一言が重くて、辛かった。 他にも細かな指定が書かれてはいたが、先程のプライベートに関するものよりも重くはなく、アンジェリークはさらりと読み下す。 「セクハラ禁止の条項はないのかな…」 本当はアリオスにキスをしてもらえるのは嬉しい。だがそこに愛がこもっていないのが嫌だった。 セクハラを禁止して欲しいと言っても、きっとアリオスは聞いてはくれないだろう。大体、”愛し合うふり”をしなければならないのだから。 ふりじゃなかったら…。 アンジェリークはそんなことを思いながら、涙が枯れない自分が悔しかった。 成功した暁に支払われる金額は莫大なもので、そのあたりはきちんとなっている。 セックスだとかそんなことは全くせずに、これだけの金額が入るのだ。 だがお金の条項を見る度に、アンジェリークは空しくなるのだった。 愛があればお金なんていらないのに…。 アリオスへの切ない恋心が育っている証拠であった。 翌朝、アンジェリークは書類にサインをしておいた。これでいい。アリオスと会えなくなるより、今の状況がましなように思えたから。 誰かが自分の役をするのも、堪らなく嫌だったから。 アリオスの世話をするという条項は含まれてはいなかったが、アンジェリークは積極的に世話をする。 そうしなければ、申し訳ないような気がしたから。 アリオスの朝食を作り、彼が起きてくるタイミングで熱々を出してやる。 「おはよう、アンジェリーク」 「おはよう、アリオス」 抱き寄せられて、アンジェリークはキスを受ける。朝からの刺激的な挨拶に少し戸惑った。 アンジェリークの初々しい反応に、アリオスは笑うと、朝食の席につく。 「いただきます」 アンジェリークもアリオスから少し遅れて、朝食を食べ始めた。 「今日、午前中にカードキーを取り替えに着てもらうから。俺も立ち会うから心配するな」 「はい…」 アンジェリークはキーを取り替えて貰えることに、正直、ほっとしていた。アリオスを信じていないわけではないが、あんなことはもう懲り懲りだと思う。これ以上、アリオスのセフレと顔を合わせたくはなかった。 食事を取った後、アリオスは身仕度をし、ダイニングテーブルでパソコンを片手に仕事をし始める。 仕事をしている間のアリオスは凄く精悍で、アンジェリークは素敵に思う。 彼の邪魔をしない程度に、ベッドメイクや掃除を出来るところからやっていった。 そうしているうちに鍵屋がやってきて、キーを変えて行った。 簡単な取り替えだったので、アリオスの立ち会いもすぐに終わった。 「アンジェリーク、ほら、新しいキーだ。これを持っているのは、俺とおまえだけだ」 「有り難うございます」 持っているのはふたりだけ…。 その言葉の響きが、アンジェリークにはとても嬉しい。大切な物を受け取ったように、ぎゅっと胸で抱きしめた。 「これで一安心だな。おまえも安心してくれていいからな」 「有り難う」 アリオスは少しだけ遅れて出社してくれる。 だがお約束にも、”いってらっしゃい”のキスをされてしまい、アンジェリークは真っ赤になって見送るしかなかった。 だけれど幸せ。 アリオスの後ろ姿を見送りながら、アンジェリークはほのぼのとした幸せを噛み締めていた。 アリオスと夕食を取っている時、アンジェリークはいきなり言われた。 「アンジェリーク、明日、家族と顔合わせをするからな。家族にも婚約を信じこまさねえといけねえからな」 「え!? 明日ですか!」 いきなり過ぎて、アンジェリークにも心の準備というのが、全く取れていなかった。 ただ不安げにアリオスを見つめる。 眼差しで全てを理解してくれたのか、アリオスは髪を緩やかに撫でてくれた。 「心配するな。おまえを食ったりだとかそんなことをうちの家族はしねえから。ちゃんと今のおまえでいれば、うちの家族は大丈夫だ」 「はい…。アリオスが恥をかかないように、頑張ります」 アンジェリークは些か硬くなりながら、頷くしかなかった。雇われた婚約者である以上、アリオスに忠実でないといけない。ちゃんと契約を交わしたのだからしょうがない。 「また、半分敬語になってるぜ?」 「あ…」 頬を大きな手で捕らえられたかと思うと、アリオスの親指がアンジェリークのぽってりとした唇の上を滑って往復する。 官能な仕種に、アンジェリークは甘い吐息を吐いた。 「あんまりペナルティばっかりだと、ペナルティポイントが溜まったらお触り放題だとか、考えねえといけねえな」 アリオスが余りにも真剣に見つめるものだから、アンジェリークは目を旨く合わせることが出来なかった。 「セクハラです…、そんなの…」 甘く拗ねた声で言うと、アリオスは更におもしろそうに見つめてくる。その眼差しが魅力的過ぎて、くらくらする。 「婚約をしている以上は同意の上だろ? アンジェリーク」 「だって…」 言い訳しようとして、唇を塞がれた。 この短い間に、きっと普通の恋人同士ぐらいは唇を重ねているだろう。 キスが心地良い日常になってしまっているのが、危うい。 これが消えたら、私はどうなるんだろうか。 アンジェリークは胸に喪失感を感じて、辛かった。 「これからキスポイントを重ねて一杯になったら、ホントにお触り放題だからな。アンジェリーク」 「え…、あ…」 アリオスの意地悪な視線を見ていると、からかわれているのがすぐに解る。 「ポイントカード作ってやるよ。そこに正の字を書いてカウントして、溜まったら触り放題だ」 「やっ…」 意味深に躰のラインを撫でられて、アンジェリークは甘い声を発した。 「俺的にはおまえのペナルティが沢山あればいいけれどな」 「…もう」 アリオスの手が離れるのが、凄く切なかった。 「とにかく、俺の家族に逢うからと言っても、緊張しねえようにな。いつものおまえでいいんだから」 「はい」 アリオスが頬に手で触れてくれて、アンジェリークは何よりも安心した。 日曜日、あの指輪を左手薬指に付けて、アリオスの実家を訪問する。 周囲を欺く為の、偽りの婚約者を演じるのだ。 アリオスの家族に逢うのは、少し恐かった。嘘がばれてしまうかもしれないから。 「…私みたいな三文芝居でも、ご家族に、婚約者だと信じこませることが、出来るかしら…」 「心配するな。そんなことはありえねえと、俺が保証するぜ」 「有り難う」 アリオスが手を握ってくれる。それだけで安心するのは恋をしているからだ。 アリオスの温もりを感じれば、自然と落ち着くのを感じた。 車は大きな邸宅に到着した。今まで、アンジェリークが知らなかった世界だ。 住む世界がアリオスとは違う。アンジェリークはそう思わずにいられなかった。 城のような邸宅。今まで間近にリアルに見たことはなくて、あんぐりと口を開けて見る。 驚いて目を白黒させていると、アリオスが不意に抱き寄せて来た。 「あ……」 アリオスはそのままうなじに手を差し入れると、唇を奪ってくる。甘く激しい感覚に、アンジェリークは喘いだ。 唇が腫れ上がるまで吸い上げられる。舌を差し入れられて、絡められる。 夢中になって何もかも忘れたところで、アリオスは唇を離した。 「アリオス…」 アンジェリークはぷっくりと唇を腫れ上がらせて、潤んだ瞳でアリオスを見つめる。 「すげえ色っぽいぜ、アンジェリーク。それだけみりゃあ、恋をする女だ」 アリオスに言われて、アンジェリークは俯く。実際、アリオスに恋をしている。だから、これは真実だ。婚約をしていることは偽りだが、 アンジェリークにアリオスへの愛情があるのは真実だった。 「さあ、行くか」 「はい…」 アンジェリークは返事をすると、車から出る。意味ありげに腰をアリオスに抱かれて、アンジェリークは甘い息を吐いた。 「やっぱり! アナタがアニキの婚約者だったんだ!!」 声を上げたのは、この間アリオスのフラットで逢った妹のレイチェルだった。 本当に純粋な想いで言ってくれたようで、それがアンジェリークには嬉しい。 「アニキはどんな女を連れて来るかと想ってたけど、アナタなら安心だよ」 レイチェルのとても好意的な振る舞いに、ひとまずアンジェリークは安堵する。 「有り難うございます」 「俺がおまえに紹介した女の中で1番良い女だろ?」 「あっ……!」 アンジェリークはアリオスに意味深に腰を抱かれて、呼吸を乱した。 頬が赤くなって鼓動が上がる。 「ほら、みんなに紹介だ」 「あっ、はい…」 アリオスに連れられて、家族と対面したが、概ね好意的に受け入れて貰える。やはり、アリオスの結婚は、財産面でうるおいがあるからであろう。 色々話しながらも、アンジェリークは笑顔で対応し、精一杯の婚約者としての振る舞いをした。 その間、アリオスは終始アンジェリークの華奢な腰を抱えていた。 ようやく解放されて、アンジェリークが一息をついていると、レイチェルがそっと横に座って来た。 「有り難う、アニキの婚約者役を買って出てくれて…。ワタシもアナタしかいないって思っていたから…」 レイチェルの衝撃告白に、アンジェリークはただその瞳を見つめた。 |
| コメント タイトル通りのシンデレラ物語を書きたかったので書きました。 楽しんでくださると嬉しいです。 |