Daddy Long Legs

13


 アンジェリークの相続が正式に認められてからというもの、慌ただしい日々に変わった。
 慌ただしい-------実際にアンジェリークが慌ただしいのではなく、アリオスが慌ただしいのだけれども。
 父親の遺産を受け継ぐにあたり、相続税や名義変更といった色々とややこしい手続きが必要であったが、それらは総てアリオスがきちんと説明をしてくれながら、対応してくれたので、特にアンジェリークが頭を悩ますといった心配はなかった。
 総ての手続きが終了しても、大学に行ってギリギリの生活が出来るぐらいの資金は出来あがった。これもアリオスのお陰だと、感謝せずにはいられなかった。
「アンジェリーク、飯を食い終わったら話がある」
「解りました」
 アンジェリークは何だろうと小首を傾げながら、アリオスにしっかりと頷く。最近の二人は、一緒に食事を取るようになり、あたかも家族のような雰囲気すらある。偽装家族にしては、あまりにも温かな二人家族であった。
 夕食後、少し落ち着いてから、アンジェリークはアリオスと向かい合わせにリビングのソファに座る。
「アンジェリーク、総ての手続きと準備が完了した。おまえはもうあの狭いアパートではなく、ちゃんと家に帰ることが出来るぜ。良かったな」
 そう言ってアリオスは書類を目の前に差し出す。
「おまえの家の権利証だ。名義もきちんとおまえに書き換えてある。これは銀行預金。おまえが大学卒業するまでなら、何とか食べ繋げられるだろう。まあ多少はアルバイトをしてもらわねえといけねえけれどな」
 アンジェリーク・コレットと書かれた預金通帳もアリオスは示してくれる。通帳の中を見ると、充分過ぎる現金が入っていた。
「アンジェリーク、これが総ての内訳になる。納税などは税理士のエルンストが行ってくれた」
 アンジェリークはアリオスが作ってくれた内訳を見る。きちんと父親の財産を管理査定し、アンジェリークが損にならない形で、手続きを踏んでくれたことが解った。
 一つずつの項目を見るたびに、感謝とアリオスへの想いが溢れ出て心が震える。
「有り難うございます。これだけあれば私は大学を卒業するまで、充分にやっていけるでしょう。本当に有り難うございました」
 アンジェリークは嬉しさとアリオスの本当の優しさに感化されて泣きそうになっていたが、何とか涙を堪える。
「アンジェリーク、ようやく長い苦しみは終わったな。もう将来のことを、少なくとも経済的なことでは悩まなくても良くなったんだからな」
「はい…!!! これもアリオスさんのお陰です。アリオスさんがいなければ私はどうなっていたか…」
「おまえが頑張ったからだ。歯を食いしばって必死に頑張ったのが報われたからだ。良くやったなアンジェリーク。おまえは本当に頑張った。俺がしたことと言えば、おまえをほんの少し手伝ったのに過ぎないぜ」
 アリオスはあくまでアンジェリークの頑張りがあったからだと言ってくれる。だがアンジェリークには、そんなことはないと充分過ぎるほど解っていた。アリオスがいなければ、自分は今頃酷いことになっていただろう。
 それをアンジェリークは視線で訴えた。アリオスの視線はそれを受け取ってくれたかのように、ほんの少しだけ慈悲深く光った。
「俺は弁護士として当然のことをしたまでだ。それに、おまえの父親には、生前贔屓をしてもらっていたから、せめてもの恩返しだ。気にするんじゃねえ」
 アリオスはいつものように当たり前だからと言う。だが、だれがここまでしてくれるだろうか。きっとアリオス以外の弁護士であれば、無理な相談だったことだろう。
「アリオスさんが頑張って下さったからです。私は、一生かかっても、このご恩をお返しすることは、出来ないかもしれません…」
 アンジェリークは唇を噛み、アリオスにこの感謝の気持ちをどのように伝えればうまくいくのか、迷わずにはいられなかった。
「アンジェリーク。俺は弁護士だ。そうである以上、法律で困った人間を救うのが俺の仕事だ。おまえが気にすることじゃねえ。それにおまえは弁護士になりてえんだろ?」
 アリオスの問い掛けに、アンジェリークは深くしっかりと頷く。
「だったら、俺への直接的な恩返し等考えずに、大きな意味で考えろ。おまえが弁護士になり法律で沢山の困った人間を救うことが出来れば、これ以上の恩返しはねえぞ。大きな意味で法曹界と、しいては俺に恩返しをすることになるんだからな」
 アリオスの言葉に感化されると共に、確かにその通りだとアンジェリークは思った。
「アリオスさん、私もアリオスさんみたいな立派な弁護士になれるように頑張ります!」
 アンジェリークがきっぱりと宣言すると、アリオスも僅かな笑顔で頷いてくれる。それがアンジェリークには嬉しくてしょうがなかった。
「アンジェリーク、しっかりとその為には勉強しねえとダメだぜ? まあ、おまえならしっかりやるだろうがな。学生時代の俺よりも、数倍真面目なようだしな」
 ほんの少しの意地悪の含んだアリオスの笑顔が、憎らしいほど素敵に思える。アンジェリークにとってはなによりもの笑顔だった。
「…これで新しい一歩を進むことが出来るな」
「はい」
 新しい一歩------それは明らかにアリオスから離れなければならないことを示している。アンジェリークはそう考えると、切なくて重いものが重くのしかかっているように思えた。

 アリオスさんと離れなければならない…。
 いつかそうなると解っていたのに、いつかひとりで生きていかなければならないことは、解っていたのに…。

 アンジェリークは切なさの余りに表情がかげり、自然と唇を噛み締めていた。
「どうした? せっかくのおまえの門出だ。もっと笑顔が出るはずだろ? ダメだぜ」
「解っています。笑わないといけないことは…」
 小さな声で力無く呟いた後、アンジェリークは頭を振る。
「…そうですね。私の新たな旅立ちなんですから、もっと笑って頑張らないといけませんね」
 アンジェリークは気を取り直したように微笑むと、アリオスに元気そうに振る舞って見せる。
「これから大変ですからね! 沢山やらなければならないことが山積みですから! …お引越の準備も…」
 わざと笑って明るく振る舞う。自分がここを離れがたく想っていることは、ついぞ言うことは出来ない。
「アリオスさん、おっしゃるように沢山、沢山、恩返しが出来るように、しっかりと勉強をします」
「ああ。しっかりな」
 アリオスがしっかりと頷いてくれたのが凄く嬉しい。自然と頑張ろうという意欲が沢山沸いて来た。
「アリオスさん、これ大事にします」
「おまえの全財産だからな。ちゃんと自分で管理しろよ。それを基にしっかりと勉強をして、独り立ちをするんだぜ」
「はいっ!」
 アンジェリークは聞き分けの良い娘のふりをわざとして、しっかりと大きな声で返事をした。
 本当は独り立ちなんてしたくはない。だがそれでは、アリオスが頑張ってくれたことを総て仇にしてしまうような気がして、アンジェリークは言い出せない。

 これ以上ここにいても、迷惑がかかるだけ…。
 アリオスさんを自由に、幸せにしてあげなくっちゃ…。

 アンジェリークは心の奥が寂しいことを隠しながら、アリオスには表面上は笑顔で接するのだった。
「大切なものは放すなよ、アンジェリーク」
「はいっ! しっかりと放しません」
「その勢いだ」
 アリオスはふっと笑うと、自分の部屋に行ってしまう。

 大事なものは放すなか…。
 私は今一番大事なものを、手放そうとしている…。

 アンジェリークは妙に泣きたくなって、自分の部屋にひっこんだ。
 ベッドの上にばたりと倒れて、意味もなく泣く。そのまま疲れてしまったのかその日は眠ってしまった。


 少しずつ、家に戻るための準備が始まる。
 しっかりと防犯面はしなければならないと、先ず家の鍵を変えて、そのうえ、幾つか鍵を加えた。更には、セキュリティシステムを導入し、防犯面では万全の体制を整えていく。
 アリオスがアドバイスしてくれたからだ。
 元々マンションなので、こだてに比べるとセキュリティはしやすい。
 アンジェリークの家は襲われにくい場所にあることも助かった。
 マンションには既に継母の荷物はなに一つない。きちんと片付けられた状態だ。恐らくアリオスがこの状態にリセットしてくれたのだろう。それがアンジェリークにはどこか物悲しい気分だった。
 アパートに残していた荷物も総て運び終わり、いよいよいつでもマンションに帰る準備が調う。
 嬉しいはずだし、ずっとこれを自分は望んでいたと思っていたのに、いざ叶うとなると酷く寂しい。
 とうとうアリオスのマンションが綺麗に片付く日が来てしまった。

 当然よね…。
 真面目に準備したんだから…。
 けれども今日はそれが酷く辛く思える。
 アリオスさんの側を本当に離れなければならないんだ…。

 涙が自然に溢れ出ていた。
 不意に部屋のノックがされ、アンジェリークは慌てて涙を拭う。
「俺だ。今、かまわねえか?」
「はいどうぞ」
 アリオスがゆっくりと部屋に入ってくる。様子を見に来てくれたようだった。
「アンジェリーク、随分仕度が済んだようだな」
「はい。殆ど済みました」
 先程まで泣いていたことを知られたくなくて、アンジェリークはわざと明るく笑う。
 アリオスはただ微笑むと、珍しくもアリオスの横に腰を下ろす。
「ようやくおまえさんも、自分の進みたい道にいけるな。良かったな?」
「はい…」
 アリオスの隣にある温もりが苦しくて、アンジェリークは弱々しく呟く。
「何だ、全然嬉しそうじゃねえな。どうしたんだ?」
「…嬉しそうには見えないですか?」
 アンジェリークはアリオスをまともに見ることが出来ず、ただ俯く。
「そうだな。おまえは何か心のこりがあるように見えるがな」
 アリオスの異色の瞳を見せ付けられて、アンジェリークはどきりとする。
「どうして…、そう思われるんですか?」
 胸をどきどきと高ならせながら、アンジェリークは聞いてみる。
「さあな。俺みたいにおまえが大事なものをみすみす失うような気がした。それだけだ」
 アリオスはそれだけを言うと、すっと立ち上がる。
「今夜は早く寝ろ。明日は早いんだろ?」
「…はい」
 アリオスは頷くと、部屋から出ていく。
 その瞬間、アンジェリークの瞳にはおおつぶの涙が零れ落ちた。
コメント

星の王女の古賀さんと未来ちゃんのお話をモチーフにしたアリコレです。
短い間よろしくです〜

あしながおじさんちっくな夢物語になっていきます。
アンジェリークが幸せになるのをおたのしみになさって下さい。




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