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とうとうアリオスの元を去る日がやって来てしまった。 部屋にはもうどこにも自分の荷物はない。来た時と同じように、小さなトランクがひとつあるだけだ。 朝早く起き、部屋の中央に座って、アンジェリークは感慨ふかげに、辺りを見渡してみた。 短い間だったけれども、この部屋には沢山の物が詰まっている。 それは絶望だとかそんなものではなくて、私にとっては大きな希望…。 恋を知ったのも、全部この部屋でだった…。 ノックがした。 「アンジェリーク、起きているか?」 「はい!」 いつもの調子のアリオスの声だ。アンジェリークはそれすらも愛しくて、微笑みすら浮かぶ。 「朝メシでも一緒にどうだ? 準備出来てるぜ」 「はい、喜んで!」 アンジェリークは笑顔で返事をすると、部屋のドアを開ける。そこにはもちろんアリオスがいた。 休日なので、とてもラフなスタイルだ。ありきたりなシャツにヴィンテージもののジーンズ。それがアンジェリークの雌としての血潮を騒がせる。 余りに素敵過ぎて、余りに胸の奥が締め付けられて、アンジェリークは息苦しさすら感じた。 もう…、アリオスさんのこんな姿を間近で見ることなんて、ないんだな…。 不意に締めっぽい気持ちになって、アンジェリークは俯いてしまった。 「ほら、何ぼやっとしてやがるんだ? メシが冷めちまうからな。ダイニングにとっとと来いよ」 「はいっ!」 旅立ちの日に湿っぽくなっていてはいけない。アンジェリークはわざと明るくアリオスに返事をした。 ダイニングに行くと、本当に美味しそうな匂いが漂い、それを示すかのようにー大量の温かな食事が並べられていた。 パンは焼きたてで四角いバターが上を滑っていたし、スクランブルエッグにバリッとした皮が美味しそうなソーセージ、サラダは新鮮な野菜がたっぷりだったし、温かなスープは本当に美味しそうだ。フルーツヨーグルトやジュースまでがあり、本当に至れり尽くせりのメニューだった。 「凄い! これ全部アリオスさんが!?」 「いつも美味い朝メシを作ってくれていてくれたからな。俺からのせめてものお礼だ」 ア リオスは少し照れ臭そうな表情をしていたが、アンジェリークにとってはとても好ましいことであった。 「ほら、今朝の主役はおまえだぜ? 席について、メシをとっとと食え」 「有り難うございます! うわ〜嬉しいなあ!!」 アンジェリークはアリオスに言われるまま席につく。最高に幸せでまた切ない瞬間であった。 「いただきます!」 「どうぞ。今日は体力がいるだろうからな沢山食え。おまえの食いっぷりは悪くねえからな」 「はいっ! 本当にいっぱい食べちゃいますからね!」 「俺の分まで喰うなよ」 「さあ?」 アリオスが心を込めて作ってくれたものだ。そう思えばこそ、食欲も沸いてくるというものだ。大きな口を開けて、アンジェリークは豪快に食べ始めた。 「美味しい!」 「どれも即席だがな。気に入ってもらえて嬉しいぜ」 「本当に美味しいんです! いつもと逆だから更に美味しいのかなあ」 「言ってろ」」 アンジェリークは未だかつてないほどに朝食を食べる。アリオスが心を込めて作ってくれたものは、どれも本当にもったいなくて残すのは惜しく思われたから。 食事中も笑顔が零れる。アリオスが珍しく可笑しなことを言うものだから、アンジェリークはお腹がぐにょぐにょによじれるぐらいに笑った。瞳に涙が浮かんだが、それが笑いによるものなのか、アリオスに会えなくなる寂しさなのか、アンジェリーク自身が一番良く解っていた。 朝食も終わり、いつもと同じようにふたりで仲良く並んで片付けをする。もう馴染みきった日常風景になりつつある。 アンジェリークはいつもより丁寧に食器を洗う余りに、ついつい力を入れ過ぎてしまう。 「そんなに磨くと、逆に割れちまうぜ?」 「あ!」 アリオスに笑いながら指摘されて、アンジェリークもつい苦笑いをしてしまう。 「最後だから、つい…」 言葉に切なさが滲み出てしまい、思わず素直に自分の気持ちが出てしまった。 一瞬、ふたりの間に重い緊張が走る。 崩してくれたのは、やはりアリオスだった。 「皿研きぐらいはいつでも出来るだろうが」 「そうですね」 アンジェリークは泣き笑いの表情をアリオスに向けた。 とうとう最後の時間が訪れた。 アンジェリークは心のこりがないように、しっかりと部屋の風景を脳裏に焼き付けていく。 ここに何時でも心は戻って来れますように…。 何時でもアリオスさんに会えますように…。 この部屋で過ごした輝ける日々が、走馬灯のようにアンジェリークの脳裏を過ぎる。 アリオスと過ごした数々の想い出が胸を突き上げ切なくさせるが、アンジェリークは涙を流さず、穏やかな笑顔で不思議といられる。 再びノックが響く。アリオスがしてくれるだろう最後のノックだ。 それが胸にずんと音を立てて響いた。 「アンジェリーク、仕度は出来たか?」 「はい」 良く響く声でアンジェリークは答えると、部屋を出る。 アリオスと一瞬視線が合いふたりは見つめ合う。ほんの短い時間で総ての想いをそこに投影して、アンジェリークはアリオスに自分なりの想いを伝えた。 「…行くか」 「はい」 アリオスの広い背中を視線に縫い止めながら、アンジェリークは万感の想いを腕に抱く。 特に何も話さなかった。話さなくても、想いが通じ合える空間のように思えた。 アリオスの車に乗り、ほんの僅かの間だったが安らぎを与えてくれた場所に別れを告げる。 記憶の中に総ての想い出を詰め込んで、アンジェリークは大切な場所を後にした。 さよなら…。 私の想い出が沢山詰まった場所…。 アリオスとふたり何も話さぬまま、アンジェリークの本来の場所であるマンションに到着した。 「有り難うございました!」 車を降り、荷物を持つなりアンジェリークはアリオスに深々と頭を下げた。 「おまえはここからまた新しい人生を始めていく。おまえには出発点だ。しっかりと頑張るんだぜ」 アリオスに見つめられて、アンジェリークはしっかりと頷く。 「本当に有り難うございました」 「振り返るなよ。おまえは真っ直ぐ前だけを見つめていればいろ」 アリオスの言葉をしっかりと胸に受け止めて、アンジェリークはしっかりと背筋を伸ばす。 アンジェリークはそのまま振り返らずに歩いていく。風が背中を押してくれる。一筋の涙が頬を伝ったが、決して拭うことはしなかった。 アリオスさん…。あなたのことをアンジェは本当に大好きでした…。 振り返らずにそのままエレベーターに乗り込む。懐かしいはずの部屋に違和感を覚えながら、ドアを開けて振り返ってみた。 遠くからであるが、部屋に入るまでアリオスが見ていてくれたことが、確認することが出来る。 アンジェリークはそのまま部屋に入り、一番外が確認しやすい窓から、アリオスの様子を覗き見た。 確認をしたアリオスは、煙草を一服してから、愛車に乗り込む。 車が立ち去る姿と音を見聞きしながら、アンジェリークは咽び泣いた。 その夜、ひとりでいることをいやがおうでも感じながら、アンジェリークは久々に”あしながおじさん”に近況のメールを送ることにし、携帯を開けてみると、送りたい相手からメールが来ていた。 あしながおじさん…! アンジェリークは慌ててメールを貧るように一生懸命読む。 アンジェリークへ。 久し振りに、私からメールをしてみることにした。 元気にしているだろうか。 色々と困難があるかもしれないが、君はそれを乗り越えていける人だと、私は信じている。明るい笑顔できっとどんなことにも立ち向かっていけることだろう。 そういう君だから、私から金銭的な援助をさせてもらおうと思ったのだ。 これからひとりで生きていくには、様々な苦境があると思う。孤独も感じることがあるだろう。 だが、君はひとりじゃない。 少なくても私はいつでも心は君の側にいるつもりだから。それだけは解って欲しい。 どんなに、たとえどんなに遠く離れていても、私達は心が通い合っていることを、信じているから。 君はひとりじゃない。手を延ばせば、私や君を助けてくれた弁護士、友達がいるだろう。 孤独じゃないのだから、真っ直ぐ自分の信じる道を行きなさい。 いつまでも見守っているから。 アンジェリークは余りにも今の自分には必要な言葉だと思った。恐らくこれ以上のものはないだろう。 「あしながおじさん…。どうしてあなたには今の私の気持ちや状況が…、こんなに簡単に解ってしまうの…」 声を涙のせいで震わせて、アンジェリークは呟く。本当にあしながおじさんは魔法でもあるかのようだ。 余りに欲しかった言葉だったせいか、嬉しさと感動の余りにわんわん声を出して泣いた。 泣きに泣いて、ようやくあしながおじさんにメールの返事をすることが出来る。 私のあしながおじさん。 メールどうも有り難うございました。 あしながおじさんは凄く不思議な方ですね。私が今置かれている状況を、的確に言い当てられるなんて、本当に驚きました。 今、私は再びひとり暮しを始めました。 正式に相続をし、以前父親と住んでいたマンションに暮らせることになったからです。 担当弁護士さんのご尽力で、大学まで頑張れば行けるようになる資金も得られました。 そのために、独り立ちを始められました。 今日から本当にひとりぼっちになりました。孤独も感じていました。 けれどもあしながおじさんの一言で、私は孤独から簡単に立ち上がることが出来そうです。 いつでもあしながおじさんや私を支えて下さる方が近くにいると想うと、もう切なくなんかありません。 メールを有り難うございました。そのお陰で何とか頑張れそうです。 本当にどうも有り難うございました。 もし機会があれば、是非とも逢わせてください。沢山のお礼をあなた様には言いたいのです。 アンジェリーク。 アンジェリークは何度もメールを読み返し、ちゃんと書けているかを確かめた後、あしながおじさんにメールを送信した。 翌朝こそ、ひとりであることを感じたことはなかった。 ついついくせで朝食は二人分作ってしまう。目の前でその量を見るなり、自嘲するアンジェリークだ。 「こんなに作ったって誰も食べてくれないのにね…」 アンジェリークはそう寂しく呟くと、余った朝食をアレンジしお弁当に持って行くことにした。 放課後、アルバイトに入ると、アリオスがレストランにやって来た。 アリオスに会えるのが凄く嬉しい。姿を遠くから確認するだけでも嬉しかった。 「アンジェリーク」 いきなアリオスに呼び止められて、アンジェリークはどきりとする。同時に嬉しくて、いそいそとアリオスの側に向かった。 「アリオスさん! 何でしょう?」 明るく返事をしたが、アンジェリークはアリオスの眼差しが深く真摯なものであることを悟る。 「…アンジェリーク。おまえの継母とその弟が、ようやく吐いた。おまえの父親の殺害をな…」 「…!」 次の瞬間、アンジェリークは目の前が真っ白になるような気がした。 |
| コメント 星の王女の古賀さんと未来ちゃんのお話をモチーフにしたアリコレです。 短い間よろしくです〜 あしながおじさんちっくな夢物語になっていきます。 アンジェリークが幸せになるのをおたのしみになさって下さい。 |