Daddy Long Legs

16


 アリオスと定食屋に入り、アンジェリークは少しだけ落ち着いた気分になる。やはり、拘置所での対面では厳しいものがあった。
「ここの昼定食はなかなかいけるんだぜ? 俺も口頭弁論がある時はいつも利用する」
 アンジェリークは店の雰囲気をじっくりと見つめてから、コクリ頷く。なるほどこれならばかなり落ち着いて食事が出来るようだ。
 給仕の女が乱暴に置いた波立つ緑茶を、アリオスは落ち着いた風に啜った。
「ここの定食は善い味してるぜ。俺も家庭の味ってやつに飢えた時には、ここに来ることにしている」
「アリオスさんは、独身生活が長いからですね…」
 アリオスはふと淋しそうな眼差しを宙に向ける。
「言わなかったか…。俺は孤児院育ちの完全なる孤児だってこと」
 これにはアンジェリークも息を飲む。余りに驚いたせいか、次の言葉が出てこなかった。
 見た目と仕事ぶりでは、ずっと温かな日の当たる道を歩いてきたと思っていたが、まさかアリオスに限ってそんな事実があろうとは。アンジェリークは目の前にいた本当の意味での人生の先輩を、まじまじと凝視した。
「そんなに見るなよ。人間死ぬ気で頑張れば、何だって出来るぜ。おまえも頑張れば、きっと道は開ける。信じることだな、自分自身を」
 アリオスの言葉が説得力が何時もあるのは、やはり並ならぬ努力でここまではい上がってきたからではないからであろうか。
 アンジェリークは唇を噛み締めながら、深い意味を持つ相槌を打った。
「…そうですね。私もこんなことでめげてちゃだめですね。真っ直ぐ先を見据えなければ」
 真剣な眼差しで、きまじめに言ったアンジェリークを、アリオスは温かな笑みで包み込んでくれた。
「有り難うございます。お陰で元気が出てきました!」
「元気が出るついでに、しっかりと先ずは飯食ってパワーをつけなくっちゃな。特におまえは」
「そうですね」
 ちょうどタイミングが良く注文したものが届いたので、アンジェリークはぱくぱくと素直にがっつく。
 食べている間にアリオスと目が合うことがあったが、妙に照れ臭い感じが否めなかった。
「ホントに美味しいです」
「そいつはよかった。人間、腹一杯だったら前向きに物事を考えられるからな。飯を食うのは大事だぜ? まあ最も、おまえなら言わなくてもたっぷりと飯は食うだろうがな。中々の食いっぷりだぜ、アンジェリーク」
「もう!」
 アンジェリークは真っ赤になりながら抗議をしたが、アリオスはただ笑っているだけであった。

 お腹一杯になると、不思議とマイナスなことを考えなくなる。それはその通りだったと、食事後のアンジェリークは思った。
 食事をゆっくりと取った後、アリオスが車でマンションまで送ってくれる。車内では、自分がどうしようもないお喋りだと思ってしまうほど、アリオス相手に飽くまで話し倒した。
 だが楽しい時間はあっという間で、自宅に近づくにつれて、アンジェリークは淋しくて急に黙った。
 このままずっと一緒に居たい…。
 そう願っても、時間は無常にもやってくる。
「着いたぜ?」
「…はい…」
 アンジェリークはアリオスの側から酷く離れがたく、いつまで経っても立ち上がることが出来ない。
 アリオスはただ黙ったままで、アンジェリークが車を降りることを促したりはしなかった。
 時計を見ると、まだまだ二時過ぎで、きっとこの後も沢山仕事を熟すことを、アンジェリークは容易に想像できる。
 だが降りられなかった。降りてしまえば、アリオスとの絆がぷつりと音を立てて消えてしまうようで、恐かった。
 何も言えないまま数分が過ぎ、ようやくアリオスが口を開く。
「もう一回りするか?」
 とたんにアンジェリークの表情は明るくなり、気持ちも弾むように明るくなったが、アリオスの仕事のことが心配でちらりと見た。
「お仕事…大丈夫ですか?」
「心配するな。今日はたいした忙しさじゃなかったから、おまえを接見に連れていった」
 あくまで淡々と呟きながら、アリオスは再び車を出した。
「有り難うございます」
 再び車窓から自宅マンションが遠ざかっていく。アンジェリークは何故だかホッとした気分になった。あの場所が、自分が孤独だということを象徴している場所だからかもしれなかった。
 車はどこを宛にすることなく、走っているような気がする。だがそれでも良かった。車だろうと、どこだろうとアリオスと一緒にいられれば、アンジェリークにはどこだって良かった。
「…アンジェリーク、おまえはひとりぼっちなんかじゃねえことを、良く覚えておけよ?」
 アリオスの低く深みのある声が、心の中を染み通ってくる。
「アリオスさん…」
 アリオスの言葉は本当に胸を突いてくる。
「何時だって、俺を呼べば俺はおまえに駆け付ける。おまえには友達も、”あしながおじさん”もいるだろう? 決してひとりじゃねえんだぜ」
 アンジェリークは何度もアリオスから聞いた”ひとりじゃない”という言葉が、今日ほど心に染み入る日はないだろうと感じた。アリオスはひとりだったからこそ、きっと言うことが出来る言葉なのだと、アンジェリークはつくづく感じた。

 私ったら…、沢山頼る人がいるくせに、凄く周りに甘えている。
 アリオスさんに比べたら、いっぱい助けがあるというのに…。

 横目でちらりと見たアリオスの眼差しは、今までに増してとても優しいもののように思える。
「肩肘はらなくたっていいんだぜ。両手を広げれば助けてくれる手はいっぱいおまえにはある。それを 忘れるんじゃないぞ」
「はい」
 アンジェリークは頷いた後、それを実感する。隣にはアリオスがいる。

 私は…、ちゃんと隣にアリオスさんがいる。何時でも手を延ばせば、引きあげてくれる。
 あしながおじさんは私を低いところから支えてくれて、アリオスさんは高いところから引き上げてくれる。私にとってはふたりは掛け替えのない人達…。

 いつしか、車がマンションの周りをぐるぐると回っているのに気付いた。
「…アリオスさん、どうも有り難うございます…。随分と落ち着きました。大丈夫です、家に帰っても…」
「そうか…」
 アリオスは穏やかに微笑むと、ゆっくりとマンションの前に回る。
 車は柔らかに止まり、今度は笑顔で車から降りることが出来た。これもアリオスのお陰だ。孤独がほんの少し薄らいだような気がした。
「有り難うございました」
 しっかりと挨拶をしてから、ドアを閉める。直ぐにアリオスの車が走りだし、アンジェリークは見えなくなるまで見送った。
「ひとりじゃない、か…」
 アンジェリークはしみじみと呟いてみると、何だか細い笑みが浮かぶ。まだ完全に笑えないが、これでも進歩だと思った。
「帰ろうかな」
 アンジェリークは思い切り伸びをすると、自分の家に戻る。先ほど家から出たのとは、段違いなほど、清々しい気分だった。
 部屋に帰った後、アンジェリークはあしながおじさんにメールをすることにする。
 メールだけの繋がりではあるが、確かにひとりではないことを実感することが出来る。それがアンジェリークには素晴らしいことのように感じられた。

 あしながおじさま。
 アンジェリークです。
 今日は拘置所で継母に逢ってきました。父を殺したことが警察で証明され、刑事告訴されました。
 サバサバとしているようでしたが、やはりどこか淋しそうな感じがしました。継母はかなり窶れていました。
 彼女は父を愛することはなかったと、そのようなことを言っていましたが、それは真実であると同時に嘘であることを見せ付けられました。
 彼女の心に、ほんの一欠けらではありますが、理性が残っていることを確認したような気がします。
 継母に裏切られたとしても、私は”ひとり”ではありません。あしながおじさんがいて、アリオスさんがいて、友達がいます。手を延ばせば、多くの人々が支えてくれています。
 だから一生懸命前を見て、頑張って行こうと思っています。
 あしながおじさま。
 いつかお会いしたいです。あなた様とずっと繋がりを持っていたいと思っています。
 どうかお躰に気をつけて、風邪などお召しにならないようにしてください。
 おじさまがいつも近くで見守ってくれるのを解っていますから、いつでも前向きでいられます。
 どうか見守っていて下さい。
 アンジェリーク。

 アンジェリークは優しい微笑みを浮かべると、しっかりと送信ボタンを押した。

 その日の晩く、あしながおじさんからメールが届いた。アンジェリークにとっては最高に嬉しいメールだ。早速、メールを読んでみることにする。

 アンジェリークへ。
 継母のことは気の毒であるとしか言いようがないが、彼女もやはり人間だ。良心の呵責があったのだろうと思う。
 過去は裁判を見守ることで清算し、君は前だけ向いて自分の進む道を行きなさい。
 家族はいなくなったかもしれないが、君はひとりぼっちじゃない。いつでも私は家族のように見守っている。
 君は必ず幸せにならなければいけない人だ。それを忘れないでくれ。
 少なくても私は、君に幸せになって欲しいから。
 これからも何かあるかもしれないが、いつでもメールをくれていい。
 しっかりと前を見て歩いていけ。
 あしながおじさんより。

 アンジェリークは幸せな心が温かくなるような気分になり、携帯電話を閉じる。
 いつでもそばにいて下さい。
 本当は逢ってお話がしたい…。
 本当はあなたの正体をしりたい。
 それは無理難題なことなのかな…。

 アンジェリークは切なそうに携帯電話をびんと指で突いた。

 翌日から、アンジェリークは自分が独りじゃないと思えるようになった。だが、自分と年頃が同じぐらいの少女が、家族と仲良く笑っているのを見ると、切なく思うことがある。それを我慢するものの、中々心で割り切られないところがあった。
 想い出の中をさ迷うことすらある。そんな気分が続きアンジェリークはあしながおじさんにメールをすることにした。
 素直に逢いたいと。

 あしながおじ様。
 私は頭では自分がひとりでないことは解っています。ですが、やはり側にいる時にしか感じられない温もりがほしくなります。
 逢いたいです。
 あなたが一体どのような方かを知りたいのです。

 アンジェリークはメールを心を込めて送信する。それからしばらくして、アンジェリークに返事が届いた。

 アンジェリークへ。
 理由があるのならば、もう一度逢う約束をしよう。
 お互いに逢っていろいろ話をしよう。
 素晴らしいひと時を過ごす待ち合わせ場所は、エンジェルストリートの天使の像の前で、日曜日、午後2時に。

 PSこのメールの仕掛けを気付いてくれ。
コメント

星の王女の古賀さんと未来ちゃんのお話をモチーフにしたアリコレです。
短い間よろしくです〜

あしながおじさんちっくな夢物語になっていきます。
アンジェリークが幸せになるのをおたのしみになさって下さい。




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