Dream's End

〜夏の恋の物語第五章〜


 目の前にいるアリオスを、アンジェリークはただ見つめることしか出来ない。
 横にいる綺麗な女性を見た後、もう一度アリオスを見た。
 アリオスの表情はかなり恐ろしい。キツイ眼差しだけで、アンジェリークは竦み上がる気分になった。
「待たせたね」
 背後にセイランの声が響き、アンジェリークは驚きの余り飛び上がる。
 セイランはアリオスのように水着を着用しているのではなく、パーカーを着て、泳ぐ気はないスタイルだ。
「はい…」
 視線と気持ちはアリオスにいったまま、アンジェリークは気のない返事をした。敏感な芸術家であるセイランは直ぐに敏感に察知する。
「どうかしたの?」
「いいえ…。特に何も…」
 アリオスに向けていた視線を、アンジェリークは爪先に移してただじっと見ている。
「あの銀髪の男性、君のことをキツイ目で見ているようだけれど、何かあったの? 知り合い?」
 セイランはちらりとアリオスを見た後、アンジェリークを見つめてくる。切れるような涼しげな眼差しの前では、まともにいられなくて、アンジェリークは俯くしかなかった。
「…何もないです…」
「それにしてはスゴイ眼差しで見ているよ、彼もそして君も小さくなっている」
 ずばずばと鋭く言い当てられてしまい、アンジェリークは益々躰を小さくさせた。
「何もないようには見えないよ。特に…、あの彼の表情を見ればね…?」
 セイランに次々と正しいことを言われてしまい、アンジェリークは益々しゅんとしてしまった。
「まあ、気にしない。しっかり泳いでおいで。僕はここで見学をさせて貰うから」
「…はい」
 くすりと微笑むセイランの綺麗な顔が、アンジェリークを余計に切なくさせる。アリオスとの表情の落差を考えると、恐ろしかった。
 セイランがプールサイドで落ち着いてしまったので、アンジェリークは端で準備体操を始める。
 こんなことでくよくよなんかしたくない。
 気持ち良い太陽の光を浴びることが出来る、貴重なプールなのだから。
 折角、ここまで来たのだから、アリオスやセイランと言った柵なく楽しみたい。
 アリオスの鋭く突き刺さるような視線を背中で感じながら、アンジェリークはしっかりと準備体操をする。
 あっちだって、息を飲むような美女と一緒なのだから、後ろめたさを感じなくて良い。アンジェリークは自分にしっかりと言い聞かせ、躰の消毒もバッチリして、プールに入ることにした。
 実は、海やプールで遊ぶのは大好きなのだが、アンジェリークはカナヅチだった。
 子供の頃、アリオスの厳しいスイミング・レッスンを受けながらも、とうとう泳げる日は来なかった。
 今でもイルカちゃんの浮輪を御用達だ。
 アリオスは呆れていたが、アンジェリークは”私には泳ぎの才能がないの”とさっさと諦めていた。
 アリオスからなるべく遠い位置を確保し、アンジェリークはそこからプールに入る。
 屋内プールと言っても、かなり広く、普通のホテルプールの5倍はある。
 だからアリオスの目が届かないところに行くのは、簡単なことであったりする。
 近くには監視員やセイランもいるので安心だ。
 会員制のプールなので、利用客も少なく、アンジェリークもゆったりと泳ぐことが出来るのが、気に入った。
「気持ち良い〜!」
 思わず声を上げてしまいたくなるぐらい、プールはかなり気持ちが良かった。
 久しぶりの水遊びにアンジェリークは心踊らせる。
 セイランの存在等関係なく、屈託なく笑うことが出来た。
「セイランさん!」
 アリオスの存在等関係なく、アンジェリークは手を何度も振る。それにセイランも楽しげに手を振り返してくれた。
「楽しそうだね。気に入ってくれた?」
「もちろんです!」
 アンジェリークはセイランに愉しいことをアピールする。
 水面を見るだけでも、心が震えてどうしようもなく楽しい。
 アリオスの痛い視線等、忘れられるような気がしてくる。
 好奇心が擽り、プールの奥に行きたくなってしまった。
「セイランさん、あっちに行きますね!」
「気をつけてね」
「はい!」
 セイランの常夏のような眼差しと、遠くから感じるアリオスのブリザードのような眼差しを肌にチクチクと感じながら、アンジェリークは遠くに旅に出た。
「なにもかも忘れて、ほわほわしたいな」
 アンジェリークは紫外線がブロックされた太陽を感じながら、水の中でゆるやかに漂う。
 幸せが全身を覆ってくれるような気がした。
「おい、あの男は誰だよ?」
 邪悪な声に全身を強張らせながら恐る恐る振り向くと、やはりアリオスだった。
 一瞬、浮輪から躰を滑らせてしまい、アンジェリークは落っこちそうになったところを、アリオスに支えられた。
「大丈夫かよ!?」
「アリオスが脅かすからよ」
 アンジェリークは精一杯の虚勢を張り、アリオスにわざと顔を背ける。
「真夏の島を楽しめとは言ったが、どこの馬の骨だか解らねえやつと一緒に行動しろとは、言わなかったはずだ」
 アリオスが相当怒っているのは、浮輪を持つ彼の指先が食い込んでいることでも理解することが出来た。
「セイランさんは”どこの馬の骨”じゃないわよ。このホテルを定宿にしている芸術家だもの」
「俺はおまえの保護者だからな。気にして当然だ。俺が認めない者との接触は、絶対に許さない」
 アリオスはかなり横暴で、アンジェリークはぴしりとした態度にも、断固とした姿勢で臨もうと思った。
「アリオスは私の子守なんかしなくていいじゃない。私には”子守”なんか必要としないの! 今は自由時間、何をやってもいいでしょう?」
 流石に言い過ぎだとは思ったが、毅然とした態度を取らなければ、アリオスはあの女性の近くに自分を連れていくのは、目に見えていた。だからあくまで抵抗したかった。
 だがアリオスは諦めないらしく、アンジェリークの腕を強く握ってくる。
 かなりドキリとしたが、それはアリオスの保護欲であることは、アンジェリークにも直ぐに理解できた。
「離して、プールで遊んでいるんだから」
「そんなことは、俺の側でも出来るはずだ」
 アンジェリークは、アリオスの連れの女性をちらりと見る。真っ赤なルージュが欲似合う彼女を、アンジェリークは疎ましく思う。
 唇に浮かんだ笑みは、どこか狡猾で、余裕のあるものに見える。それがまたしゃくに触った。
「アリオスには、私以外にも、子守をしなければならないひとがいるでしょ? 私は子守なんか必要ないの!」
 アリオスが益々機嫌が悪くなるのは解っている。だが、言わずにはいられなかった。
「……勝手にしろっ!!」
「勝手にするっ!」
 まさにこれぞ、売り言葉に買い言葉だ。ふたりはじっと睨み合って、決裂した。
 アリオスは怒ったままどんどん向こうに泳いでいく。綺麗な女性の元へ。
 それを見守るのが、何だか切なく感じた。
 胸が痛い。
 所詮、アリオスは自分の元に戻ってはくれない。
 ふたりの姿を見たくはなく、アンジェリークは完全に背を向けた。
 アリオスに見られていないことと、肌が濡れていることをいいことに、アンジェリークは悔しくて泣く。
 絶対に見てやるものか。
 意地を張って、アンジェリークはわざと遠くで泳いだ。
 だが見たい欲望には勝てなくて、ちらりと見つめる。
 アリオスと女性は本当に仲良くしている。アンジェリークには見せてくれたことがない表情を見せるアリオスに、益々辛くなった。
 このままじゃアルカディアに強制送還だと思いながら、アンジェリークは一旦上がる。
「楽しかった?」
「はい、とっても」
 セイランに声をかけられて、アンジェリークはニッコリと笑う。
「あの男性はやっぱり知り合いだったんだ」
「…ただの幼なじみです」
「そう」
 セイランはちらりとアリオスを見つめると、アンジェリークの手を取った。
「お腹空いただろう? 美味しいシーフードパスタがあるんだ。食べるかい?」
 食べ物に全く目がないアンジェリークは、嬉しくてしょうがなくて、セイランに元気良く返事をした。
 運ばれてきたシーフードパスタはとても良い匂いがして食欲をそそる。
 アンジェリークはふと、子供の頃にアリオスに連れていってもらった海水浴で食べた、ヤキソバを思い出した。
 本当に美味しくて、楽しかったのを思い出す。
 胸の奥が切なくきゅんと痛んだ。
「食べなよ」
「はい、いただきます」
 アンジェリークはいただきますと手を合わせて、シーフードパスタを食べる。
 一口食べるとかなり美味しいのが解ったが、同時に口の中が懐かしいヤキソバの味でいっぱいになり、切なかった。
 急に食欲が萎える。
「どうしたの? 美味しくない?」
 セイランが心配そうに顔を覗きこんでくるので、アンジェリークははっとして、直ぐに食べることを再開させた。
「美味しいです。本当にすごく!」
 がつがつ食べたシーフードパスタは、余り味がなく、逆に切なさが増すだけだった。

 腹拵えをした後、アンジェリークはまたプールに入る。
 ちらりと見ると、アリオスと美女は帰る支度をしているようだった。
 ぷいっとアリオスに背を向けて泳ぎ出した。
 刹那。
「……!!!」
 アンジェリークの足が吊り、痛みと友に動けず、イルカの豚から滑り落ちる。
「きゃあっ!」
 そのまま悲鳴を上げると共に、ぶくぶくとプールの中に沈んでいく。
 口を開けていたので、水を大量に飲んだような気がした。
 気が遠くなる。
 遠くで水しぶきの音が響き、誰かが泳いでくる。
 銀の髪…。
 アリオスが助けに来てくれたのが、かろうじて解る。
 だが、力強く手を握られた瞬間、アンジェリークは深い闇に沈み込んだ。
コメント

夏なので、リゾートものを書きたかったです〜。
8月中には終わらせます!




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