とらわれの姫君

12


 アリオスお兄ちゃんの産みの母親…。私の推理が正しければだけども…。
 私はただ、女優のアンジェリークさんを見つめるだけ。私は彼女にあやかって名前を付けてもらったけれど、それが恥ずかしいと思うぐらい本当に美しい女性だ。
 とても母親と変わらない年齢だとは思えない。
「エンジュ、こんにちは」
 にこやかに微笑みながら彼女が見ていたのは、エンジュだ。
「おば様こんにちは!」
 明るく屈託のない笑みを浮かべるエンジュを優しく包み込む眼差しで見つめている。母親のそれにも似ていた。
「頑張っているようね」
「はい、お蔭さまで」
 アンジェリークさんはにっこりと笑った後に、辺りを見回した。
「あなたがエンジュの写真を撮って下さるカメラマンね」
「はい、レオナードと言います」
 うちは家族ぐるみでアンジェリークさんのファンをしているせいか、お兄ちゃんはガチガチになっている。私だって声をかけられたら緊張する。
「そう、綺麗に撮ってあげてね」
「はいっ!」
 アンジェリークさんの女優としてのオーラに圧倒されたのか、レオナードお兄ちゃんは全く形無しだ。そこがまたお兄ちゃんらしくていい。
「こちらのおふたりは?」
「あ、俺の妹とアニキです」
「…そう」
 アンジェリークさんはちらりと私を見た後、アリオスお兄ちゃんに視線をくぎづけにしている。
 私の推理が正しければ、全くしょうがないことだけれども。
「栗色の髪をしているのが妹のアンジェリーク、銀髪のがアニキであるアリオスです。特にアンジェリークは、あなたに肖って名前を付けてもらった経緯で、あなたの大ファンです」
 一生懸命レオナードお兄ちゃんが説明してくれているのが、嬉しい。
 私は、アンジェリークさんの女優としてのオーラに舞い上がりながら、夢見心地で「お会いできて光栄です」と述べてみた。
「そう、有り難う…」
 だけどアンジェリークさんは全く上の空でアリオスお兄ちゃんを見ている。
「あなた…、何をしているの?」
「ミュージシャンです。今回はエンジュに、俺の新曲のPRを手伝って貰っています」
 アンジェリークさんはただアリオスお兄ちゃんの声に聴き入り、何度も頷いてみせている。
「歳は?」
「妹は17、熊は27、俺は28」
 明らかにアリオスお兄ちゃんが年齢を言ったところで、アンジェリークさんのこめかみが僅かに動く。
「…俺達の母親は、昔あなたのマネージャーをしていました。だから家族ぐるみでファンです」
 俄かにアンジェリークさんの表情が変わった。いままではどちらかと言えば、”クールビューティ”な感じだったのに、今は明らかに動揺が感じられる。
 これに対して、アリオスお兄ちゃんの表情は氷のように冷たくて、”クール”という文字が相応しい。
 私はドキドキしていた。
 ときめきの鼓動ではなく、一種の緊迫による鼓動だ。冷や汗すら出てくる。
「…俺達の母親の名前はディアって言います。覚えていらっしゃいますか?」
 アリオスお兄ちゃんは明らかに探るような視線を、挑戦的に向けている。冷静過ぎて恐いぐらいだ。
 アンジェリークさんも流石は女優で、一瞬眼差しを動揺で揺らしたが、直ぐにいつものクールな表情に戻っていた。
「…ディアと言えば、私の最初のマネージャーよ。確かに、彼女には子供がいたわね。確か、男の子だったかしら。学生結婚で 出産も早かったって聞いたことがあるわ。お母様、元気かしら?」
「はい、元気です」
 全くタヌキの化かし合いと言うのは、このことを言うのではないかと、私は内心思っていた。
「お会いできて光栄だわ」
 彼女はにっこりと笑うと、手を差し延べた。
「今度、私は芸能生活30周年記念パーティーを開くの。招待状をお送りするから、是非いらして。あなたにお祝いの曲を、レオナードさんには公式カメラマンとしてね…。お嬢さんも是非いらっしゃい」
 ちらりと視線を向けられて、私はドキリとした。まるで、私がふたりが母息子であることを気付いているかのような笑みだった。
「有り難うございます」
 私は是非にとばかりに微笑んでみせた。
 確かに彼女はアリオスお兄ちゃんを捨てた母親なのかもしれない。
 だけど私にとってはこの世にアリオスお兄ちゃんをプレゼントしてくれた女性だ。憎むことが出来るはずはない。
「待っているわ」
 ようやく、アリオスお兄ちゃんとアンジェリークさんは握手をする。
 親子の初めてのスキンシップがこんな形だなんて、私は切なさの余りに泣きそうになっていた。
 産んでから次に息子の手を握ったのが、こんな形での握手だなんて…。胸が軋んだ。
 本当にそこにいるだけで鳴咽が漏れそうだった。
「それじゃあ、邪魔してごめんなさいね。オスカーのプロモの打ち合わせがあるから、これで」
「わざわざ有り難うございました!」
 エンジュがしっかりと頭を下げると、私たちもそれに続いた。
 アンジェリークさんは機嫌を良くしたのか、にこやかに手を振って去っていく。
 それを冷静過ぎる眼差しで、アリオスお兄ちゃんは見つめていた。
 エンジュの表情も複雑さを極める。
「…アンジェリークおば様のことは好きだけど…、複雑…」
 エンジュがぽつりと呟いたので、私は耳を傾ける。
「どうして?」
「おば様はパパの愛人よ…。結婚する前からの恋人。パパはママも愛しているけれど、それは穏やかな愛。おば様に対しては、情熱的な激しい愛だわ…。色々あって結婚出来なかったらしいけど…」
 エンジュの家庭も複雑なんだということを、初めて知って、複雑な気分だ。
 ちらりとアリオスお兄ちゃんの顔を見ると、何だか余計に厳しい顔をしていた。
 スタジオの雰囲気がしんみりとし過ぎている。
 私はどうにかしてその雰囲気を打開したくて、空笑いを浮かべる。
「ア、アンジェリークさんもサンバを踊るのかな? オスカーサンバみたいに、流し目と腰をくにくに」
 私が腰を振って踊ってみると、最初に笑ったのはレオナードお兄ちゃんだった。
「流石はばあちゃん仕込みのサンバだな! おまえ、オスカー特別公演を一緒に行っているだけあるぜ」
 お腹を抱えて笑うレオナードお兄ちゃんに、一気にスタジオの雰囲気が明るくなる。
「アンジェも面白いけれど、おばあちゃんも面白いのね!」
 エンジュのルビー色の瞳も楽しそうに輝いて、私は嬉しかった。
「ったく、下品だっていうの! 人前で腰振るな!」
 アリオスお兄ちゃんの反応が一番きつくて、私は思い切り頭を叩かれてしまった。
「イタイなあ! アリオスお兄ちゃんはホントに乱暴なんだから!」
 叩かれた頭を嫌そうに手で摩ると、アリオスお兄ちゃんは顔をぷんと背けた。
「知るかよ」
「ったくもう!」
「アンジェのお家って楽しそう…」
 エンジュの声には明らかに憧憬が入っており、私を少しばかり切なくさせた。
「うちはいつもああだぜ? これに堅物のエルンストアニキと、ルヴァおばあちゃんを交えて大騒ぎ」
「いいな…」
 私は羨ましそうにするエンジュを見つめる。私だってエンジュを羨ましいと思うことがある。…アリオスお兄ちゃんと周りの目を気にせずに、堂々と恋愛が出来るところが、凄く羨ましい。
 私は元々、あまり人を羨む性格ではないけれども、エンジュは立場が羨ましかった。
「うちなら何時でも遊びに来い。大歓迎だ。五月蝿いが楽しい我が家だ。レオナードの部屋も見てえだろうしな」
 レオナードお兄ちゃんの名前を聞くと、エンジュがお兄ちゃんを大好きなことを感じられて、私は凄く嬉しかった。
「おいでよ、レイチェルと一緒に色々とお話をしようよ!」
「そうね!是非伺うわ!」
 エンジュが本当に楽しみにしてくれているのが、手に取るように解る。私はご機嫌だった。

 結局、それからは和気藹々とした撮影は終わり、エンジュをレオナードお兄ちゃんが送っていき、私はアリオスお兄ちゃんと一足早く家に帰った。
 車に乗って、狭くてボロい貧乏一軒家だけれど、楽しい我が家に向かう。
「アンジェ、さっきはサンキュな。お陰で暗い雰囲気が吹っ飛んだ」
 アリオスお兄ちゃんが、気付いてくれたのが、私にはとても嬉しいことだった。少し照れ臭くなるぐらいに、幸せな気分になる。
「有り難う。でも、レオナードお兄ちゃんもすぐに気がついてノリノリで応えてくれたし、アリオスお兄ちゃんも気付いてツッコミを入れてくれたり…。流石に、兄妹のコンビネーションだよね」
「そうだな…。凄く良い感じだった。エンジュも何も気付いていないらしいからな」
 アリオスお兄ちゃんは僅かな優しい微笑みを浮かべると、私の背中を一瞬だけ愛情を持って叩いてくれる。
 私は温かさに目閉じながら、幸せを感じていた。


 一週間ほどして、我が家に一通の招待状が届いた。
 差出人は、女優アンジェリークだった。
コメント

アリコレ兄妹ものです。
まだ佳境までには時間がかかりそうですが、宜しくお願いします。





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