とらわれの姫君

17


 アリオスお兄ちゃんと私は、アンジェリークさんの部屋から出た。
 エレベーターに乗り、下りていく。その間も私たちはしっかりと手を繋いでいた。
 私はアリオスお兄ちゃんの様子を伺うために、何度も顔を見上げる。言いたいことがあるけれども、上手く話せない。言葉で示したいけれど、良い言葉が見つからなかった。
「…アンジェ、おまえ、言いたいことがあるんじゃねえか?」
「…うん…」
 私は頷いたものの、言葉尻を濁したまま、言えない。
「どうした? 言ってみろよ?」
 アリオスお兄ちゃんに促されるものの、もう一言が出ない。私はアリオスお兄ちゃんに甘えるように擦り寄ると、ぽつりと呟いた。
「…エレベーター出てから言う…」
「そうか…」
 アリオスお兄ちゃんはそれだけを言うと、手を繋いだまま、甘える私を包み込んでくれる。嬉しかった。
「今日、おまえが一緒にいてくれて良かった。有り難うな」
「…うん…」
 ふわりと躰が一瞬浮き上がって、一番下に着いたのが解る。
 電子音と共に扉が開いて、私たちは外に出た。
 マンションから出て浴びる外の風は、幾分か湿気を含んで蒸し暑かったが、悪くはない。
 汗ばむのを気にせずに、私たちはしっかりと手を繋ぎあっていた。
「アリオスお兄ちゃん、パパラッチがいたらどうするの?」
「いねえよ。心配するな。アンジェリークのリムジンが上手く撒いたからな」
「解っていたんだ」
「まあな。なまじ、この業界に長くいるわけじゃねえからな」
 私はホッとして、アリオスお兄ちゃんの手を握り締めた。
「なぁ、さっきおまえが言いたかったことは、何だよ」
「…うん」
 私は返事をした後、大きく深呼吸をする。胸がドキドキした。
「…アリオスお兄ちゃん、いつから識っていたのかなって…」
「養子のことか?」
 余りにもさらりとアリオスお兄ちゃんが言うものだから、私は言葉を淀ませながら呟いた。
「うん、そう…」
「中学の時、戸籍を見たんだよ」
 アリオスお兄ちゃんは意外にも、何ともないことかのように言う。私はそれに驚いていた。
「ショックだった…?」
 私は思わず訊いてみる。
「…いや…」
 アリオスお兄ちゃんの答えはあっさりとしている。私は驚かずにはいられない。
「ドラマとかみてえに、すげえショックなのかなって思ったけど、案外そうじゃなかった。上手く言えねえけど…、育ててくれた親父やお袋に感謝した。それだけだった。自分でもさ、どうしてこんなにクールでいられるのか、解らなかったぐらいだ」
 アリオスお兄ちゃんは苦笑すると空を見上げる。
「それでも、自分の産みの親のことを考えたりしてたな。俺の母親が女優のアンジェリークだと目星が付いた時に、ショウビジネスの世界に入ろうと決めた。実際に実母に逢って、訊きたかったんだよ…」
 アリオスお兄ちゃんはふと立ち止まると、私に視線を戻して来た。
「”どうして俺を産んだのか?”ってな」
 私は切ないアリオスお兄ちゃんの心に共鳴し過ぎたのか、いつの間にか泣いていた。私が声を押し殺して泣いていると、アリオスお兄ちゃんは苦笑する。
「しょうがねえな、おまえは」
 泣きながら手を引っ張られて、私は直ぐ前に見える公園に連れていかれた。
 そこでアリオスお兄ちゃんはイキナリ私を抱きしめて来る。
「サンキュな、アンジェ。おまえはいつも俺を癒してくれる」
「アリオスお兄ちゃん…」
 私は切なさと甘さに、アリオスお兄ちゃんの広い胸に顔を埋めて、しっかりと抱き着いていた。
「実際、今日はきく機会に恵まれて良かったと思う。しかもおまえが一緒だから尚更だ」
 私は胸を通して聞こえるアリオスお兄ちゃんの低くて魅力的な声に、じっと耳を立てて聞く。
「…中絶だって出来ただろうにさ、それでも俺を産んだあの人の言葉を聞きたかった。母親らしいことなんて一度もしてくれていねえし、俺を捨て置いた母親なのに、”産みたかった”…。あの一言で、確かにあの女が俺の母親であることを確認することが出来たんだからな…」
 アリオスお兄ちゃんは淡々と話してくれているけれど、胸が泣きたいぐらい切ないのは解る。私はもらい泣きをしてしまう。
「何でおまえが泣くんだよ?」
「だって…」
 私が顔をくしゃくしゃにしながら言うと、アリオスお兄ちゃんは苦笑する。
「しょうがねえな…」
 涙でぐしゃぐしゃな顔を持ち上げられると、アリオスお兄ちゃんは何と唇で涙を拭ってくる。恥ずかしくて、甘くて、私はドキドキした。
「俺は感謝してるぜ。ディア母さんのところで引き取られなかったら、俺は素晴らしい兄妹と出会えなかったし、それにおまえとも出会えなかった」
「…アリオスお兄ちゃん…」
 アリオスお兄ちゃんは私の顔にキスの雨を降らせてくる。官能で胸がいっぱいになってしまい、呼吸すらもままならない。
 そんな状態で、アリオスお兄ちゃんの唇が私の唇を捕らえた。
 いつか見た夢のように、繰り返し見た夢のように、アリオスお兄ちゃんがキスをしてくれる。
 私は震えてしまい、アリオスお兄ちゃんにしがみつくことしか出来ない。
 唇を吸われて、舌が口の中に入ってくる。
 こんな濃厚なキスが、リアルなファーストキスだなんて、俄かには信じられなかった。
 ずっと夢見ていた相手とのキスは、背中に甘い旋律が走る、私にとっては衝撃的な官能だった。
「あ…」
 アリオスお兄ちゃんから唇を離された時、私は名残惜し気に視線で追い掛け、唾液で濡れた唇を舌で舐めた。
「…ねぇ、アリオスお兄ちゃん、私が気付いていたことを知っていた?」
「ああ。だっておまえ、俺と一緒に寝なくなったじゃねえか」
 アリオスお兄ちゃんの言葉に、私は”なるほど”と頷かずにはいられなかった。私は本当に解りやすいみたい。
「流石のおまえも血が繋がらないと知ったから来なくなったのだと思った」
 アリオスお兄ちゃんはニヤリと笑うと、私をぎゅっと抱きしめてくる。
「これからは、お互いに血の繋がりを超えられるんだぜ。凄いことだと思わねえか? おまえにこんなことをしても、倫理的に問題はないしな」
「もう、ふざけて!」
「ふざけてなんかいねえよ。俺はな」
 アリオスお兄ちゃんの真摯な声に、私は思わず顔を上げる。
「…アリオスお兄ちゃん」
「俺の前じゃ、もう”お兄ちゃん”って呼ぶな…」
「うん…!」
 再び唇が下りてくる。
 アリオスお兄ちゃんとの二度めのキスはロマンティックだった。

 大きな道路に出て、私たちはタクシーを拾った。散歩するのも悪くなかったけれども、やはり高級住宅街のアンジェリークさんのマンションと庶民の街にあるうちとは、やはり距離が離れ過ぎていた。
 タクシーに乗ってアリオスお兄ちゃんと家に帰る。
 アリオスお兄ちゃんをいつもより意識してしまう。
 腕を絡ませて、ほわほわとした幸せの中で、タクシーに揺られた。
 ふとルヴァおばあちゃんのことを思い出す。
「あっ! おばあちゃんのおみやを買ってないっ!」
 私が余りに大きな声を出したので、アリオスお兄ちゃんは驚いていた。
「それはマジイよなあ。ばあさん、直ぐに拗ねるからな」
 アリオスお兄ちゃんは困ったように溜め息をつくと、時計を見つめる。
「ダメだな…。この時間じゃ何処の店も閉まってるよな」
「うん」
「パーティーの引き出物しかねえな」
 アリオスお兄ちゃんは引き出物が入った紙袋を見つめる。
「カフェ・オランジェのボンボンショコラよ。おばあちゃんをこれでごまかすしかないわね」
「おまえはいいのかよ?」
「おばあちゃんにあげよう。折角、お留守番してくれたんだからね」
 アリオスお兄ちゃんがキスをくれたことだけでも嬉しいのに、そのうえショコラまで貰ったら、罰が当たるような気がするから。
「サンキュな。この埋め合わせはちゃんとする」
「有り難う…」
 私は嬉しくてアリオスお兄ちゃんに凭れかかって甘える。ボンボンショコラなんて、もうどうでも良かった。
 タクシーは家の前に停まり、魔法の時間は終わりを告げる。アリオスお兄ちゃんがお金を払ってくれた後、私はアリオスお兄ちゃんと一緒に家に帰った。
 楽しき私たちの安らぐ我が家。
「ただいま!」
 私達が勢い良く挨拶をしても誰も出てこない。
 靴を見れば、ルヴァおばあちゃんしかいなかった。そういえば、お母さんは会社の歓送迎会、エルンストお兄ちゃんは研究が佳境を迎えていて家に戻らず、レオナードお兄ちゃんは恐らくエンジュ一家と一緒だ。
 時計を見ると、まだ10時を回っているぐらい。
「おばあちゃん、ただいま。カフェオランジェのボンボンショコラだよ!」
 私は明るく言いながら、ルヴァおばあちゃんの部屋にノックして入った。
 ルヴァおばあちゃんは、テレビを見ながらオスカーサンバを踊り狂っている。画面に繰り広げられているサンバに合わせて、腰のフラメンコをしている。
 オスカーさんの腰の動きはかなりハードだが、ルヴァおばあちゃんはそれを上手に真似していた。
 私は思わず見入ってしまう。
 ホント! おばあちゃんって最高!
「おかえり! アンジェ! オ・レ!」
おばあちゃんが画面に合わせて腰を振った時だった。グキリと嫌な音がする。
 私は嫌な予感がした。
 その瞬間-----
「痛いぃぃぃぃぃっ!!」
 ルヴァおばあちゃんの絶叫が部屋にこだましていた。
コメント

アリコレ兄妹ものです。
まだ佳境までには時間がかかりそうですが、宜しくお願いします。

おばあちゃん、オスカーサンバで負傷。
予想通りか(笑)




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