とらわれの姫君

2


 自分の部屋に戻り、いつものように制服に着替えてダイニングに行く。ルヴァおばあちゃんが、朝から豪快にケーキを食べていた。
「あーアンジェ、おはよ〜、カフェオランジェのケーキは美味しいねえ」
 緑茶を片手にケーキを食べるなんて、なんともおばあちゃんらしい。 ルヴァおばあちゃんは緑茶が大好きで、コレクションを持っているけれど、私の大切な紅茶缶に緑茶を混入させるのがたまにきず。
「アンジェ、カフェオランジェのケーキはホントに美味しいねぇ」
「昨日、アリオスお兄ちゃんが買ってきてくれたんだ。私たちは昨日の晩に食べた」
 さらりと言ったつもりだったけれど、おばあちゃんの気は触ったみたい。表情が変わったから。
「どうして起こしてくれなかったんだよぉ!」
「おばあちゃん、水戸黄門見た後、寝ちゃったじゃない。朝一番の”考古学のお誘い”を見るからって」
 私は、朝食用にフルーツミルクシェイキを作りながら、おばあちゃんとの会話をのんびり楽しむ。
 ルヴァおばあちゃんは、定年までは大学で考古学を教えていた。今も非常勤で女子大に教えに行っている。影の一家の大黒柱だったりする。いつもはのんびりとしているけれど、考古学と緑茶には全く目がないおばあちゃんだ。
「おはよ…」
 アリオスお兄ちゃんが寝ぼけ眼でダイニングにやって来た。寝起きのお兄ちゃんは凄く色っぽいことは、私だけの秘密だ。
「アリオスかい、ケーキ、ありがとね」
「ああ。美味いだろ、ばあちゃん」
「今度は草加煎餅を頼むねぇ。あれをお茶につけて食べたら、凄く美味しいんだよ」
 お茶に浸してお煎餅を食べるけれど、おばあちゃんの歯はこの年になっても現役。歯科医師会の”8020運動”のキャラクターのひとりになっているから、侮れなかったりする。
「またな、ばあちゃん。美味い手焼きの煎餅を買ってきてやるよ」
「有り難や、有り難や」
 ルヴァおばあちゃんとアリオスお兄ちゃんは仲が本当に良い。私を入れたら良いトリオだと、いつもお母さんが言っている。
 ふと、私はおばあちゃんのトレードマークであるターバンに目を止めた。どこか見覚えがあるような…、いや、ある!
「おばあちゃん!! 私の”セイラン”のスカーフ、ターバンにしてる!!!」
 誕生日にお兄ちゃんたちから貰った、”セイラン”のスカーフ。
 高校生の身分では、とうてい買うことが出来ない高級ブランドのものなので、私は凄く大切にしていたのに!
 ルヴァおばあちゃんのばか、あほっ!!
「おばあちゃんっ!!」
 私は瞳に涙を貯めて、めい一杯抗議をする。大切なものなのに、おばあちゃんはひど過ぎる。
「とっても大切なものなんだから! 外してよ!」
「おじいさんの前以外では、私はターバンを外さないと決めているんだよ〜!」
 おばあちゃんののんびりとした声が響く。
 そんなのはおばあちゃんのルールで、私のルールじゃない。
 宝物なのに…。
 私がぎゃいぎゃいと騒いでいるのに、アリオスお兄ちゃんは冷静にミネラルウォーターを飲み、溜め息をついていた。
 ふとお兄ちゃんが時計を見る。
「アンジェ、おまえ、今からだと遅刻するぜ…」
「えーっ!!」
 騒いでいてすっかり忘れていた! 私は時計を見るなり、背中に冷たいものが流れるのを感じた。
「うわっ! 無遅刻無欠席を目指してるのに!!」
 おばあちゃんのバンダナ騒動などすっかり忘れて、私は”遅刻”の文字にあわてふためいていた。
「しょうがねえ。俺様の”超特急便”で送ってやる。二分間だけ待ってろ」
「うん!」
 こういう時には、やっぱりアリオスお兄ちゃんは頼りになる。こういうさりげない優しさが大好きだ。
 お兄ちゃんがずっと私の中で”王子様”なのは、こう言った理由からなのだけれど。
 直ぐにジーンズとシャツ姿で戻ってくると、お兄ちゃんは顎で玄関先を指す。
「行くぜ」
「うん!」
 玄関でヘルメットを受け取り、私はお兄ちゃんのバイクに乗せて貰う。
 このように切羽詰まった時には、やはりバイクが威力を増す。アリオスお兄ちゃんは最近はもっぱら車だけれど、私はバイクに乗るお兄ちゃんは好きだった。だって、まるで”白馬の王子様”みたいだから。
「しっかり捕まっておけよ」
「うんっ!!」
 私はアリオスお兄ちゃんの背中に思い切りしがみつく。すると直ぐにバイクが出た。
 きっとお兄ちゃんのファンがこの事を識ったら、凄く驚くかもしれない。天下のアリオスが、遅刻しそうな妹をバイクで颯爽と送っているのだから。
 アリオスお兄ちゃんの背中に捕まるのは、私にとっては至福の時間だ。
 だって温もりを独り占めすることが出来るから。
 広い背中に捕まって、温もりを感じる。それだけで私はとても幸せだった。
 まるで映画のヒロインになったような気分になれる。
 それだけは嬉しかった。
 だけど、どんなに大好きだって、愛していたって、私たちに超えることの出来ないものがある。
 ”血の繋がり”だ。
 妹であることに感謝をしながらも、妹であり続ける自分のこの身が恨めしい。
 どうして私たちは兄妹なの?
 いつまで経っても答えなんて決まり切っていることを、私は何度も自問自答する。
 最近、血の繋がりを恨めしく想わない日はなかった。
 切なくて、背中に捕まる腕の力を込める。答えなんか決まっているし、欲しくもないけれど、私は、心の奥底で永遠に得られない答えを求めてもがき苦しんだ。
 ずっと考えていたから、バイクが静かに停止したのも気付かなかった。
「着いたぜ?」
「あ…」
 辺りを見ると、見慣れた風景。学校へはもう目と華の先のところだ。
 校門近くで降りるのは流石にまずいので、アリオスお兄ちゃんはいつも近くで降ろしてくれる。
「有り難う! お陰で、無遅刻無欠席が守れそう!」
「家族に思い切り協力をしてもらっている、無遅刻無欠席だけれどな」
 私がヘルメットを渡すと、アリオスお兄ちゃんは苦笑しながら意地悪なことを言う。わざとだってことは、充分に解っているから、私もそれに応えてそっぽを向いた。
「じゃあ、有り難う。天下のスーパースターに送って貰ったことを光栄に想うわ」
「言ってろよ!」
「じゃあいってきます!」
「ああ、しっかりと勉強して来いよ!」
 私は何度も手を振りながらアリオスお兄ちゃんに”いってきます”をして、通学の波に紛れる。
 背後に携帯電話の着信音が響く。お兄ちゃんのだ。
「はい、アリオス。あ、おまえか…」
 私が段々遠ざかるので、アリオスお兄ちゃんが何を話しているかは解らない。だけどこれだけは解る。
 相手は女だ…。
 実際、アリオスお兄ちゃんの相手が途切れたことがないのは、妹である以上、よく解っている。
 大好きなひとの女性遍歴を細かく覚えているなんて、妹という役割が嫌になる。
 いつもアリオスお兄ちゃんの隣は、私の場所じゃなくて、誰かの場所。決して指定席になった人はいないけれど、そこは私には 永遠に座れない。私には手に入れることが出来ない、憧れの場所だ。
 遠くでバイクが走り去る音が聞こえる。
 どうして…私は妹なんだろうか…。
 どうして堂々と愛せないの…。
 心から血が流れるような気がした。
 私は”妹”じゃない…。”女”だ…。

 学校の帰りに、私はレイチェルと共に大型スーパーに立ち寄った。
 今晩はレイチェルも一緒なので、野菜がたっぷり入った、中華風の餃子鍋に決めている。牛、豚、鶏のミンチ、海老、ホタテ、 白身魚の餃子の中身に、大量の韮、白菜、油揚げ、春雨、椎茸、しめじ、えのき…。
 たっぷり野菜とたっぷり餃子のバランス鍋だ。しめはラーメンと決めている。
 レイチェルもいるので、お喋りをしながら買い物をした後、家に戻って夕食の支度を始める。今日はレイチェルがいるのでとても 頼もしい。
 何時もなら、お母さんが帰ってくるまでは、一人で格闘するからだ。理由は簡単。夕食の支度をする時間帯は、おばあちゃんが”時代劇の再放送”を見るので、手伝いの宛がないからだ。
 でも、今日はレイチェルの手伝いがあるので、楽しく支度が出来た。
 怒涛の下ごしらえの後は、餃子の皮で具を包まなければならない。しかも160こというかなりの数だ。
「餃子鍋楽しみだよね。支度は大変だけど、大勢でわいわいとやるのは、ワタシ結構好きだよ」
「きっとエルンストお兄ちゃんも喜んでくれると思うよ。レイチェルが作ったからね」
 私がからかうように言うと、レイチェルの頬がほんの少しだけ赤らんだ。ホントに可愛いと思う。
「だけど、アンジェのお家はいいね。落ち着いてて温かくて、ホントに”我が家”って感じがするもの」
 レイチェルは憧れの眼差しで辺りをじっと見つめている。こんな風にうちのことを思ってもらえるのは、凄く嬉しいことだと思う。
「うちは古いだけだよ。宮大工だったおじいちゃんが端正込めて造った家…。だからかな、とっても温かく感じるかな」
 私は本当に温かな気持ちで台所を見る。うちはキッチンというより、台所といった表現が似合っていた。
「ホントに羨ましい」
 レイチェルが言うので、私は含み笑いをしながら彼女を見た。
「だったらエルンストお兄ちゃんと結婚したら? お兄ちゃんはこの家を継いでくれるみたいだし」
「もう! アンジェ!!」
 レイチェルが茹で蛸みたいに赤くなるので、私は大きな声で愉快に笑った。
 玄関が開き、いつもよりも畏まった声が聞こえてくる。
「ただいま」
 誰かは解る。エルンストお兄ちゃんだ。
 私は意味深にレイチェルを見つめ、目で合図をする。
「行っておいでよ!」
「うん!」
 お兄ちゃんを迎えに行くレイチェルをほほえましく見送りながら、私は、ほわほわとした温かな気持ちになった。
 これがもしアリオスお兄ちゃんだったらどうだろうか…。
 きっと私は、言いようのない嫉妬心に苦しめられていることだろう…。
 そう考えるだけで、胸がちくちくと痛んだ。

 エルンストお兄ちゃんが帰ってきたのを皮切りに、お母さん、レオナードお兄ちゃんと順番に帰って来た。
 …だけどアリオスお兄ちゃんが帰ってこない…。
 私としては待っていたかったけれど、結局ははじめることにした。
「じゃじゃん! ゼフェルおじいちゃんの特製鉄鍋に、中華スープに具材をたっぷり入れて…と」
 わいわいとつつき合う鍋は、やはり豪快にしなければならない。
 私は大胆に調理したものを食卓に乗せ、みんなでたっぷり食べ合う。
「美味そうだなぁ! いっぱい食うぜ!」
 レオナードお兄ちゃんは上機嫌にビールを片手に食事を進める。
 レイチェルとエルンストお兄ちゃんは、ラブラブしながら鍋を楽しんでいるようだ。
 いっぱい作った餃子だし、味にも自信があるはずなのに、美味しさが半減している。
 アリオスお兄ちゃんに喜んで食べて貰えると思っていたのに、結局は締めのラーメンになっても、帰っては来なかった。
 今日はオフな筈だから、ゆっくり過ごしてくれると思ったのに…。
 久しぶりにみんなで仲良く食事が出来ると思っていたのに…。
 アリオスお兄ちゃんは、結局、後片付けが終わっても帰っては来なかった。
 エルンストお兄ちゃんがレイチェルを見送りに行っている間、お兄ちゃんの分の餃子を冷凍する。小出しにすればお昼のおかずや餃子スープを作ることが出来るかもしれない。
 半分ほど冷凍したところで、玄関が開きアリオスお兄ちゃんの声がした。
 迎えに行くと、いつものようにお兄ちゃんがいる。
「アンジェ、腹へったから、残りものでも何でもいいから作ってくれ」
「うん、野菜たっぷりの餃子ラーメン作るよ」
「サンキュ」
 アリオスお兄ちゃんが私の横を通る。風に乗ってふんわりと甘い香水の香りがした。
 胸がナイフで抉られるぐらい痛い。
 だけど、それを顔に出したらいけない…。
 アリオスお兄ちゃんの前では、私は、”妹”を演じる、一流の女優でいなければならない…。
 
コメント

WEB拍手で感想を頂いた方の大半が、
「ルヴァおばあちゃん」の文字に泣いて笑ったと(笑)
今回は名前だけでなく、ルヴァおばあちゃんも大活躍です(笑)



ルヴァ様ファン…済みません…。




back top next