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自分の部屋に戻り、いつものように制服に着替えてダイニングに行く。ルヴァおばあちゃんが、朝から豪快にケーキを食べていた。 「あーアンジェ、おはよ〜、カフェオランジェのケーキは美味しいねえ」 緑茶を片手にケーキを食べるなんて、なんともおばあちゃんらしい。 ルヴァおばあちゃんは緑茶が大好きで、コレクションを持っているけれど、私の大切な紅茶缶に緑茶を混入させるのがたまにきず。 「アンジェ、カフェオランジェのケーキはホントに美味しいねぇ」 「昨日、アリオスお兄ちゃんが買ってきてくれたんだ。私たちは昨日の晩に食べた」 さらりと言ったつもりだったけれど、おばあちゃんの気は触ったみたい。表情が変わったから。 「どうして起こしてくれなかったんだよぉ!」 「おばあちゃん、水戸黄門見た後、寝ちゃったじゃない。朝一番の”考古学のお誘い”を見るからって」 私は、朝食用にフルーツミルクシェイキを作りながら、おばあちゃんとの会話をのんびり楽しむ。 ルヴァおばあちゃんは、定年までは大学で考古学を教えていた。今も非常勤で女子大に教えに行っている。影の一家の大黒柱だったりする。いつもはのんびりとしているけれど、考古学と緑茶には全く目がないおばあちゃんだ。 「おはよ…」 アリオスお兄ちゃんが寝ぼけ眼でダイニングにやって来た。寝起きのお兄ちゃんは凄く色っぽいことは、私だけの秘密だ。 「アリオスかい、ケーキ、ありがとね」 「ああ。美味いだろ、ばあちゃん」 「今度は草加煎餅を頼むねぇ。あれをお茶につけて食べたら、凄く美味しいんだよ」 お茶に浸してお煎餅を食べるけれど、おばあちゃんの歯はこの年になっても現役。歯科医師会の”8020運動”のキャラクターのひとりになっているから、侮れなかったりする。 「またな、ばあちゃん。美味い手焼きの煎餅を買ってきてやるよ」 「有り難や、有り難や」 ルヴァおばあちゃんとアリオスお兄ちゃんは仲が本当に良い。私を入れたら良いトリオだと、いつもお母さんが言っている。 ふと、私はおばあちゃんのトレードマークであるターバンに目を止めた。どこか見覚えがあるような…、いや、ある! 「おばあちゃん!! 私の”セイラン”のスカーフ、ターバンにしてる!!!」 誕生日にお兄ちゃんたちから貰った、”セイラン”のスカーフ。 高校生の身分では、とうてい買うことが出来ない高級ブランドのものなので、私は凄く大切にしていたのに! ルヴァおばあちゃんのばか、あほっ!! 「おばあちゃんっ!!」 私は瞳に涙を貯めて、めい一杯抗議をする。大切なものなのに、おばあちゃんはひど過ぎる。 「とっても大切なものなんだから! 外してよ!」 「おじいさんの前以外では、私はターバンを外さないと決めているんだよ〜!」 おばあちゃんののんびりとした声が響く。 そんなのはおばあちゃんのルールで、私のルールじゃない。 宝物なのに…。 私がぎゃいぎゃいと騒いでいるのに、アリオスお兄ちゃんは冷静にミネラルウォーターを飲み、溜め息をついていた。 ふとお兄ちゃんが時計を見る。 「アンジェ、おまえ、今からだと遅刻するぜ…」 「えーっ!!」 騒いでいてすっかり忘れていた! 私は時計を見るなり、背中に冷たいものが流れるのを感じた。 「うわっ! 無遅刻無欠席を目指してるのに!!」 おばあちゃんのバンダナ騒動などすっかり忘れて、私は”遅刻”の文字にあわてふためいていた。 「しょうがねえ。俺様の”超特急便”で送ってやる。二分間だけ待ってろ」 「うん!」 こういう時には、やっぱりアリオスお兄ちゃんは頼りになる。こういうさりげない優しさが大好きだ。 お兄ちゃんがずっと私の中で”王子様”なのは、こう言った理由からなのだけれど。 直ぐにジーンズとシャツ姿で戻ってくると、お兄ちゃんは顎で玄関先を指す。 「行くぜ」 「うん!」 玄関でヘルメットを受け取り、私はお兄ちゃんのバイクに乗せて貰う。 このように切羽詰まった時には、やはりバイクが威力を増す。アリオスお兄ちゃんは最近はもっぱら車だけれど、私はバイクに乗るお兄ちゃんは好きだった。だって、まるで”白馬の王子様”みたいだから。 「しっかり捕まっておけよ」 「うんっ!!」 私はアリオスお兄ちゃんの背中に思い切りしがみつく。すると直ぐにバイクが出た。 きっとお兄ちゃんのファンがこの事を識ったら、凄く驚くかもしれない。天下のアリオスが、遅刻しそうな妹をバイクで颯爽と送っているのだから。 アリオスお兄ちゃんの背中に捕まるのは、私にとっては至福の時間だ。 だって温もりを独り占めすることが出来るから。 広い背中に捕まって、温もりを感じる。それだけで私はとても幸せだった。 まるで映画のヒロインになったような気分になれる。 それだけは嬉しかった。 だけど、どんなに大好きだって、愛していたって、私たちに超えることの出来ないものがある。 ”血の繋がり”だ。 妹であることに感謝をしながらも、妹であり続ける自分のこの身が恨めしい。 どうして私たちは兄妹なの? いつまで経っても答えなんて決まり切っていることを、私は何度も自問自答する。 最近、血の繋がりを恨めしく想わない日はなかった。 切なくて、背中に捕まる腕の力を込める。答えなんか決まっているし、欲しくもないけれど、私は、心の奥底で永遠に得られない答えを求めてもがき苦しんだ。 ずっと考えていたから、バイクが静かに停止したのも気付かなかった。 「着いたぜ?」 「あ…」 辺りを見ると、見慣れた風景。学校へはもう目と華の先のところだ。 校門近くで降りるのは流石にまずいので、アリオスお兄ちゃんはいつも近くで降ろしてくれる。 「有り難う! お陰で、無遅刻無欠席が守れそう!」 「家族に思い切り協力をしてもらっている、無遅刻無欠席だけれどな」 私がヘルメットを渡すと、アリオスお兄ちゃんは苦笑しながら意地悪なことを言う。わざとだってことは、充分に解っているから、私もそれに応えてそっぽを向いた。 「じゃあ、有り難う。天下のスーパースターに送って貰ったことを光栄に想うわ」 「言ってろよ!」 「じゃあいってきます!」 「ああ、しっかりと勉強して来いよ!」 私は何度も手を振りながらアリオスお兄ちゃんに”いってきます”をして、通学の波に紛れる。 背後に携帯電話の着信音が響く。お兄ちゃんのだ。 「はい、アリオス。あ、おまえか…」 私が段々遠ざかるので、アリオスお兄ちゃんが何を話しているかは解らない。だけどこれだけは解る。 相手は女だ…。 実際、アリオスお兄ちゃんの相手が途切れたことがないのは、妹である以上、よく解っている。 大好きなひとの女性遍歴を細かく覚えているなんて、妹という役割が嫌になる。 いつもアリオスお兄ちゃんの隣は、私の場所じゃなくて、誰かの場所。決して指定席になった人はいないけれど、そこは私には 永遠に座れない。私には手に入れることが出来ない、憧れの場所だ。 遠くでバイクが走り去る音が聞こえる。 どうして…私は妹なんだろうか…。 どうして堂々と愛せないの…。 心から血が流れるような気がした。 私は”妹”じゃない…。”女”だ…。 学校の帰りに、私はレイチェルと共に大型スーパーに立ち寄った。 今晩はレイチェルも一緒なので、野菜がたっぷり入った、中華風の餃子鍋に決めている。牛、豚、鶏のミンチ、海老、ホタテ、 白身魚の餃子の中身に、大量の韮、白菜、油揚げ、春雨、椎茸、しめじ、えのき…。 たっぷり野菜とたっぷり餃子のバランス鍋だ。しめはラーメンと決めている。 レイチェルもいるので、お喋りをしながら買い物をした後、家に戻って夕食の支度を始める。今日はレイチェルがいるのでとても 頼もしい。 何時もなら、お母さんが帰ってくるまでは、一人で格闘するからだ。理由は簡単。夕食の支度をする時間帯は、おばあちゃんが”時代劇の再放送”を見るので、手伝いの宛がないからだ。 でも、今日はレイチェルの手伝いがあるので、楽しく支度が出来た。 怒涛の下ごしらえの後は、餃子の皮で具を包まなければならない。しかも160こというかなりの数だ。 「餃子鍋楽しみだよね。支度は大変だけど、大勢でわいわいとやるのは、ワタシ結構好きだよ」 「きっとエルンストお兄ちゃんも喜んでくれると思うよ。レイチェルが作ったからね」 私がからかうように言うと、レイチェルの頬がほんの少しだけ赤らんだ。ホントに可愛いと思う。 「だけど、アンジェのお家はいいね。落ち着いてて温かくて、ホントに”我が家”って感じがするもの」 レイチェルは憧れの眼差しで辺りをじっと見つめている。こんな風にうちのことを思ってもらえるのは、凄く嬉しいことだと思う。 「うちは古いだけだよ。宮大工だったおじいちゃんが端正込めて造った家…。だからかな、とっても温かく感じるかな」 私は本当に温かな気持ちで台所を見る。うちはキッチンというより、台所といった表現が似合っていた。 「ホントに羨ましい」 レイチェルが言うので、私は含み笑いをしながら彼女を見た。 「だったらエルンストお兄ちゃんと結婚したら? お兄ちゃんはこの家を継いでくれるみたいだし」 「もう! アンジェ!!」 レイチェルが茹で蛸みたいに赤くなるので、私は大きな声で愉快に笑った。 玄関が開き、いつもよりも畏まった声が聞こえてくる。 「ただいま」 誰かは解る。エルンストお兄ちゃんだ。 私は意味深にレイチェルを見つめ、目で合図をする。 「行っておいでよ!」 「うん!」 お兄ちゃんを迎えに行くレイチェルをほほえましく見送りながら、私は、ほわほわとした温かな気持ちになった。 これがもしアリオスお兄ちゃんだったらどうだろうか…。 きっと私は、言いようのない嫉妬心に苦しめられていることだろう…。 そう考えるだけで、胸がちくちくと痛んだ。 エルンストお兄ちゃんが帰ってきたのを皮切りに、お母さん、レオナードお兄ちゃんと順番に帰って来た。 …だけどアリオスお兄ちゃんが帰ってこない…。 私としては待っていたかったけれど、結局ははじめることにした。 「じゃじゃん! ゼフェルおじいちゃんの特製鉄鍋に、中華スープに具材をたっぷり入れて…と」 わいわいとつつき合う鍋は、やはり豪快にしなければならない。 私は大胆に調理したものを食卓に乗せ、みんなでたっぷり食べ合う。 「美味そうだなぁ! いっぱい食うぜ!」 レオナードお兄ちゃんは上機嫌にビールを片手に食事を進める。 レイチェルとエルンストお兄ちゃんは、ラブラブしながら鍋を楽しんでいるようだ。 いっぱい作った餃子だし、味にも自信があるはずなのに、美味しさが半減している。 アリオスお兄ちゃんに喜んで食べて貰えると思っていたのに、結局は締めのラーメンになっても、帰っては来なかった。 今日はオフな筈だから、ゆっくり過ごしてくれると思ったのに…。 久しぶりにみんなで仲良く食事が出来ると思っていたのに…。 アリオスお兄ちゃんは、結局、後片付けが終わっても帰っては来なかった。 エルンストお兄ちゃんがレイチェルを見送りに行っている間、お兄ちゃんの分の餃子を冷凍する。小出しにすればお昼のおかずや餃子スープを作ることが出来るかもしれない。 半分ほど冷凍したところで、玄関が開きアリオスお兄ちゃんの声がした。 迎えに行くと、いつものようにお兄ちゃんがいる。 「アンジェ、腹へったから、残りものでも何でもいいから作ってくれ」 「うん、野菜たっぷりの餃子ラーメン作るよ」 「サンキュ」 アリオスお兄ちゃんが私の横を通る。風に乗ってふんわりと甘い香水の香りがした。 胸がナイフで抉られるぐらい痛い。 だけど、それを顔に出したらいけない…。 アリオスお兄ちゃんの前では、私は、”妹”を演じる、一流の女優でいなければならない…。 |
| コメント WEB拍手で感想を頂いた方の大半が、 「ルヴァおばあちゃん」の文字に泣いて笑ったと(笑) 今回は名前だけでなく、ルヴァおばあちゃんも大活躍です(笑) ルヴァ様ファン…済みません…。 |