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「クラヴィスという。エンジュがお世話になっている…」 物静かにその男性は答える。 アリオスお兄ちゃんのお父さん…。 うちの父親カティスとは違い、どこか深い雰囲気がある。うちのお父さんは五月の木々のきらめきのような明るさがあったのに対し、アリオスお兄ちゃんのお父さんは冬の闇のように落ち着いている。 「エンジュ、ご迷惑をおかけするから戻りなさい」 感情があるのかないのか解らないようなトーンで、クラヴィスさんが話している。 アリオスお兄ちゃんはそれを冷静な眼差しで見つめていた。 「…パパなんか嫌いよ…」 本当にそうじゃないことぐらいは、誰だってエンジュの声のトーンを聞けば明らかだ。 「エンジュ、こちらのお宅に迷惑をかけることが解らないのか?」 エンジュと…アリオスお兄ちゃんのお父さんは、激昂することもないようで、ただ落ち着いた感じで淡々と話している。 怒りんぼのアリオスお兄ちゃんには、似ているようで似ていない。 私は三人の血縁者をじっと見比べながら、”血”というものは、確かに姿形に影響をするかもしれないが、主に影響するのは、生活した環境なのかもしれないと、私は思った。 アリオスお兄ちゃんは、やはりうちのお父さんやお母さんに似ているもの。 「エンジュ…、お母さんも心配している」 「…ママが…」 母親の名前を出されて、頑ななエンジュの表情は崩れる。母親を慕っているのは明らかだった。 「バパはいつもそうやってママのことを出して心配するけれど、いつもだんまりで何も言わない! そのうえ、アンジェリークと続いているし…!」 エンジュは泣きながら、いつもは言えないことをお父さんに言っているように想えた。 エンジュのお父さんは顔色をひとつも変えずに、ずっと話に耳を傾けている。私は、アリオスお兄ちゃんに似ていると思った。隣のアリオスお兄ちゃんもまた、同じだったからだ。 「エンジュ、ご近所迷惑だ」 やはり冷静過ぎる父親は、自分なりのやり方で、エンジュの感情を受け止めている。私は明らかな親子の絆を感じていた。 「私は帰らないわ。ここにいるの。レオナードもいるし、お兄ちゃんであるアリオスさんがいるもの!」 エンジュは父親の煮え切らない態度に嫌気がさしたのか、レオナードお兄ちゃんの後ろに隠れてしまい、爆弾を落とす。 それでもエンジュの父親はかなり落ち着いていた。そるどころか、ふっと自嘲気味な笑みすら唇に浮かべている。 ゆっくりとクラヴィスさんの視線がアリオスお兄ちゃんを捕らえた。 「…おまえがアリオスか」 アリオスお兄ちゃんも動揺等一切見せることはなく、クラヴィスさんを見つめている。 親子が視線を絡ませる姿を見ると、私の心はかなり痛かった。 「何をしている」 「しがねえミュージシャンと、こいつらのアニキ業だ」 クラヴィスさんは頷き、間を置いてから、アリオスお兄ちゃんに問う。 「…それらの仕事は楽しいか?」 「ああ。楽しいぜ。特にアニキ業は俺にとっては最高の仕事になっている。それにミュージシャンになったことで母親に再会も出来た。これ以上に俺が望むものなんてねえよ」 確かにそうだ。 そして、私にはそれがとても嬉しいものに感じた。 クラヴィスさんも解ったとばかりに頷き、ほんの僅かだか微笑みを返す。落ち着いた成熟した大人の男性だ。 「そうか。おまえにはおまえらしい生き方が似合っている。だから私は無理強いはさせない」 「はなからあんたの手に堕ちる気はねえよ」 アリオスお兄ちゃんは苦笑すると煙草に火をつけて、それを唇に捩込めた。その仕種は堂が入っているのと同時に、何処か大人の堂々とした男の生き方を物語っているような気がした。 「…そうか…」 「あんたには感謝してるぜ。俺という命の基になってくれたんだからな。そして、こんな状況で俺が産まれなければ、ここに引き取られることもなかった。ここに引き取られたから、俺は凄く幸福に生活をすることが出来たし、誰よりも早くアンジェに出会って、先に唾を付けることが出来たしな」 私の腰をぎゅっと掴むと、アリオスお兄ちゃんは自分に引き寄せて来た。それがとても力強くて気持ちが良い。 私が照れ臭そうにしていると、クラヴィスさんは私をちらりと見つめて笑ってくれた。 「…そうか。幸福になれ。おまえは自分がやりたいことをするのがとても似合っているからな。これからもそうしなさい…」 クラヴィスさんは落ち着いた声で、相変わらず感情なく話している。だが、言葉の端々に愛情を感じて、私は嬉しかった。 「エンジュ」 クラビスさんは娘にも手を差し延べることはせずに、低く落ち着いた声で話し掛ける。 「おまえも頭が冷えるまではここにいたほうがいいかもしれないな。お母さんには私から話しておくからな」 「…パパ…」 エンジュの頑なな表情が、幾分か和らいだような気がした。 「済まないが、娘を預かってくれ。恐らくすぐに癇癪は治まるようだから…」 クラヴィスさんはレオナードお兄ちゃんに軽く頭を下げた。 父親としての理解の高さと潔さに、私とレオナードお兄ちゃんは感激していた。 そしてアリオスお兄ちゃんも僅かに笑っているような気がする。 やはり親子だ。 離れていた月日や空間を越えて解りあえている。 私は感動の余り涙ぐみながら、同時に疎外感を感じる。 切迫した感情が私を苦しめる。 どうかアリオスお兄ちゃんを連れて行かないで-----私はクラヴィスさんを見た。 「…あの、アリオスお兄ちゃんを連れて行かないで下さい」 想わず心の奥底から出た涙だった。 アリオスお兄ちゃんは私の腰を抱き、「行かないから」と言ってくれているけど、私には不安でしょうがなかった。 するとクラヴィスさんは頷き、私に笑いかけてくれたような気がする。そんな錯覚に陥ってしまうほど、クラヴィスさんの笑顔は素敵だった。 「…連れてはいかぬ。今更どの顔をしてアリオスを連れて行くのだ。そんな権利は私にはもうない…。私達は子供を捨てたようで、結局は捨てられたのだからな…」 クラヴィスさんはしみじみと言ったが、どこか寂しさと悲哀が溢れていた。私もエンジュもそれを見て涙くみ、私はアリオスお兄ちゃんに、エンジュはレオナードお兄ちゃんに慰められていた。 「それではまた。エンジュ、落ち着いたら帰って来なさい。待っているから」 何も御託を並べることなく引いてくれた父親に、エンジュは感動しているようだった。 無理もない。あんなにあっさりと娘の想いを尊重してくれたのだから。 「…あら、どうしたのみんなこんなところで集まったりして」 タイミングが良いのか悪いのか、うちのお母さんが仕事を終えて帰ってきたのだ。 そして、クラヴィスさんを見るなり表情を硬くした。 「あなたは…」 「娘を迎えにきただけです」 あっさりとクラヴィスさんは言い、お母さんはほっと胸を撫で下ろしていた。 「今日は大人しく家に帰れ、エンジュ」 「レオナードさん…」 レオナードお兄ちゃんはきっぱりと男としてのけじめを示している。私は嬉しかった。 アリオスお兄ちゃんもレオナードお兄ちゃんにそれでいいとばかりに、頷いている。 とても素敵な一瞬。 「…うん、帰るよ…」 エンジュは素直に頷くと、レオナードお兄ちゃんを熱をもって見ている。ふたりは手を握り合って、しっかりと想いを伝え合っている。 見ていてもとても清々しくて、気持ちが良い。 私はアリオスお兄ちゃんと一緒に、ふたりの芽生えたばかりの愛を見守った。 「また、俺様がいっぱいエンジュを笑わせてやるから、笑ってろ。おまえは笑った顔が似合っている」 「うん」 ふたりの熱さには、ラブラブな私とアリオスお兄ちゃんですらも当てられる。可愛くてしょうがないのは、まさにこのこと。まるでロマンス小説のような台詞に、私はアリオスお兄ちゃんの肩をつんつん叩く。 「私にもあんな台詞を言ってよ」 「言うかよ。しかし、レオナードも女で変わっちまうんだなあ」 上手くごまかされたような気がして、何だか悔しい。 「おふくろ!」 レオナードお兄ちゃんは切羽詰まった声に、お母さんは振り向く。 「俺はエンジュと結婚する!!!」 ぐっとエンジュを抱き寄せ、レオナードお兄ちゃんは堂々と宣言をする。 エンジュは嬉しそうに頬を染めていたが、それ以外の皆様は悲喜こもごも。 私はロマンティックな展開にうっとりとしていたが、アリオスお兄ちゃんは難しい顔をし、何よりもクラヴィスさんとお母さんが引き攣った顔をしている。 もうひと波瀾は必至の状況だった。 |
| コメント アリオスさんとアンジェの恋は佳境です 早く完結させたいです。 |