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教師のくせにあんなことをしていいのだろうか。いや、ダメな筈だ。なのに溺れてしまっている自分がここにいる。 理性は欲望に勝つことが出来ないのだろうか。勝てる筈だと言い聞かさなければならない自分がいることが、アンジェリークには嫌で堪らなかった。 「アリオス先生って…、あんな顔をして、結構野獣なのかもなァ…」 言ってしまった言葉が恥ずかしくて、アンジェリークは勝手にひとりで真っ赤になる。そんな自分が馬鹿馬鹿しい。 公園まで来ると、まだ桜が綺麗に咲いているのが目に入った。 辺りは花見で出来上がっている人たちもいて、いったい仕事はどうしたのかと思ってしまった。 考えながら、桜をぼんやりと眺めていると、急にお腹が空いてしまった。アンジェリークは自分のお腹の音が派手にきゅるると鳴ってしまったので、誰か聞いていなかったかを、キョロキョロ捜した。 「…誰も心配しないか…」 アンジェリークは自分の自意識過剰ぶりに真っ赤になりながら、何だか可笑しくなった。 小腹が空いたので辺りを見て売店を捜す。見つけたので、直ぐに行ってみると、菓子パン等が売っており、アンジェリークの財政事情にはぴったりなものだった。 財布の中も菓子パンと牛乳を買ったらすっからかんになるぐらいしか、入ってはいない。なので、選択の余地などアンジェリークには残されてはいない。 「栗あんパンと牛乳くらさい」 「はい、どうぞ!」 「有り難う」 あんパンと牛乳を手の中に納めると、何だかほっこりとした気分になる。アンジェリークはにっこりと笑って、先程のベンチに戻り腰を下ろした。 「あんパン、おいしいもんね」 パクりとあんパンを口に入れ、美味しく頂く。菓子パン特有の、何とも言えない甘さが堪らない。 牛乳と一緒に食べると、その味はまろやかになった。 美味しいひとときと美しい桜。そんな至福の時間であっても、考えるのはアリオスとの先ほどの出来ごとばかり。 アンジェリークは真っ赤になったり、眉間にシワを寄せたりと、それはもう忙しかった。 「可愛いねえ…、お嬢さん」 ねっとりと絡み付くような不快な声に、アンジェリークの背中に虫酸が走る。ベンチから躰を跳ね上げさせると、目の前には、酒臭い淀んだ嫌らしい目をした男がいた。 アンジェリークは逃げたいと思うが、中々逃げられない。背中には冷たくも不快な汗が流れ、男の鼻息に気絶しそうだ。 獲物を前にした野良犬のような瞳に、アンジェリークは恐ろしくなり、持っていた栗あんパンを落とした。 鼻息が耳にかかりそうになった時だった。 「俺の女に手を出すんじゃねえぞ、オッサン!」 鋭い声が剣のように差し込み、アンジェリークは目を見張る。 鋭い抜き身のような魅力のある声は、アリオスしかいない。 「失せやがれ、この酔っ払い!」 アリオスは軽々と酔っ払いの腕を掴んで捩ると、アンジェリークから引き離してくれた。 男がそそくさと、自分のシートに戻って来るのが見える。アンジェリークはホッとして、ようやくアリオスをまともに見ることが出来た。 「…あ、有り難う、先生…」 呼吸を整えながら、アンジェリークはアリオスに礼を言う。じっとその様子を伺うようにしていると、アリオスは明らかに不機嫌そうだった。 「ったく、おまえはすきだらけなくせに、無自覚なんだからな」 アリオスのサディスティックな眼差しに、アンジェリークはうなだれるしかない。今回は完全に自分が悪いのだから、当然と言えば当然なのだが。 「ったく、もっとバリアをはらねえと、あんなんじゃすまねえぞ」 「済みませんです…」 アンジェリークはすっかり小さくなり、肩を落としていた。 「あんパン無駄になっちまったな」 「仕方がないです。勿体ないけれど」 アリオスは自分の足元に落ちているあんパンを拾い上げ、パッケージを見るなり、笑いを堪えるように吹き出した。 「…栗あんパンなんか喰っていたのかよ? おまえ」 「中々おいしいものです」 アリオスは、アンジェリークとあんパンのパッケージを交互に見ては、眼差しを柔らかくする。 アンジェリークは、アリオスがどうしてそんな顔をしているのか、意味が解らずにきょとんとしていた。 「あ、あの、アリオス先生…?」 アンジェリークが名前を呼んで、うろたえた瞬間、アリオスの眼差しは一気に揺らいだ。 甘く柔らかな雰囲気になり、今までアンジェリークが感じていた雰囲気を総て消し去る。 冷たさも、意地の悪さも、総て…。 「おまえ、すげえおもしれえな! 共食いかよ」 首をのけ反らせながら笑うアリオスに、アンジェリークは口を尖らせる。 「と、共食いなをかじゃありませんっ! アリオス先生の馬鹿っ!」 「何処が共食いじゃねえって言うんだよ? ん?」 むにむにと頬を抓られて、アンジェリークは余計に拗ねた気分になる。からかわれているみたいて、何だか嫌で仕方がない。 「おまえ、ホントにおもしれえな。補習も兼ねて、奢ってやるよ。栗あんパンよりもうめえやつだから、期待していろよ?」 「はあい」 アンジェリークはまだぶちぶち言ってはいたが、その顔はにんまりとしていた。 アンジェリークの手を、アリオスはしっかりと取ると、手を繋いで連れて行ってくれる。 「先生、何だか誘拐犯みたい」 「誘拐犯ねえ…。まあ、おまえが相手ならそう言われても構わねえけれどな」 「そんなこと言っても騙されませんよーだっ!」 アンジェリークは口では憎たらしいことを言ってはいたが、その顔は愛らしいものだった。 アリオスに手を引っ張られて、ぽてぽてと後に着いていく。温かくて甘いものが気持ちを彩ってくれるような気がした。 公園近くの路肩に停めてある車に乗せられ、アンジェリークは何だか妙な緊張を感じる。 それをごまかす為に、アンジェリークはわざとぶうたれてみる。 「アリオス先生。これじゃあ全くの誘拐犯ですよ」 「まあ、その誘拐犯が、たっぷりとおもてなしをしてやるんだから、おまえは喜んでいいはずなんだぜ?」 「はあい。美味しいものを食べさせて貰えるのは嬉しいです。美味しいものは大好きですから」 アンジェリークはアリオスの横で小さくなりながらも、機嫌の良さを表すように鼻歌を愉しんでいた。 アリオスが連れて行ってくれた場所は、桜が美しく見渡せる小さな洋食屋さん。アンジェリークが好みそうなシンプルな洋食が沢山ある。 散々迷った結果、アンジェリークは海老フライとオムライス、そしてシュリンプサラダが愉しめるプレートを頼んだ。勿論、スープとパン、そして美味しいデザートも付いている。 「パンは焼きたてで、食べ放題ですって! 嬉しいなあ!」 すっかりご満悦なアンジェリークに、アリオスは目を細めて笑ってくる。その顔がとても魅力的に映ったのは、内緒だ。 「おまえらしいチョイスだな。しっかり喰えよ。まあ、発育は良いほうだろうがな」 まるでホルスタインのような胸をちらりと見られてしまい、アンジェリークはアリオスを睨んだ。 「よく食べるから育ったんじゃないですよ!」 「俺は、牛乳をしっかり呑んだから、んなに育ったと思うんだけれどな」 「失礼ですっ! 先生は」 アンジェリークは運ばれてきた焼きたてのパンを一口で食べて、その不快ぶりを態度で表した。 「しっかり食って、もっと良い女になって、俺を喜ばせてくれよ」 「…どうして先生を喜ばせないといけないんですか…」 パンをスープにつけて食べながらアリオスを見ると、相変わらず楽しそうににしている。 「もっとおまえの艶のあるところを俺が開発してやらねえといけねえからな。しっかり食ってくれ」 「美味しいものを食べさせて餌付けはなしですよ?」 「バレバレかよ。おまえは」 アリオスが苦笑しながらパンを噛ったので、アンジェリークもそれに倣った。 「おら、見てみろよ。ここでも公園に負けねえぐれえの桜が、見事に咲いているだろ? 最高の花見場所になるぜ」 「…あ、ホントだ…」 洋食屋に来てからは、ずっと食べるのに夢中になっていて、ちゃんと外の景色を見られた訳ではなくなっていた。 なので、外に見える桜を落ち着いて見られるのは、本当に楽しい。 じっとうっとりしながら、アンジェリークは桜を眺めていた。 「綺麗です。昼間見た桜よりも、また格別に綺麗です」 「幽玄って言葉が、良く似合うのかもしれねえがな」 「うん」 夜桜とは、なんてはかなくて美しいものなのだろうか。 横には王子様が…。 そこまで思ったところで、アンジェリークははっとした。 確かに眼鏡を外したアリオスは素敵なのだが、そこまで自分がときめいて良いものかどうか、疑問になる。 ドキドキしたくない。だけどドキドキしたい。アンジェリークは複雑な想いに真っ赤になっていた。 「おまえと見たからかな。すげえ綺麗に見えるの」 アリオスがさらりと恥ずかしくなるような言葉を言うものだから、アンジェリークは更に心が弾むような気がする。 アリオスが王子様に見え、アンジェリークは更にときめきを感じていた。 |
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