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冷たい雨が降っている。マイナスイオンが降り注いでいるからなのか、アンジェリークはとても心地良く感じた。 「雨降ってきたね。マイナスイオンだなんて、騒いでる暇はないか…。濡れちゃうもんね」 アンジェリークは空を見上げながら、雨から身を守ろうとせずに呟く。このままだったらアリオスに抱き着いてしまう。だからこうやって頭を冷やしているのだと、自分に言い聞かせていた。 春の雨はまだ冷たい。 アンジェリークは無意識に躰を抱きしめる。寒さ故の震えなのか、それともアリオスがいるから震えているのか…。そんなことは解らない。 アンジェリークはアリオスをなるべく見ないようにしながら、視線をあちこちさせた。 意識しているのがまる解りだ。 「アンジェリーク」 いつもにも増して艶のある声で名前を呼ばれてしまい、アンジェリークはびくりと背中を震わせた。 「んな意識しても、俺様は、豆狸なんて襲いやしねえさ。気にするな」 「ぶー!」 アリオスが笑いながら髪をくしゃくしゃと掻き交ぜたから、アンジェリークは胸の奥が切なさで歪む。 頬を朱くさせて、アンジェリークはアリオスを見上げた。 こうしていつまでからかわれるのだろうか。アリオスはイジワルで教師に相応しくない凄いこともするくせに、結局はこうやってごまかす。 「…ごかしてばっかり。からかっているのかもしれないけれど…」 アンジェリークはつい本音を吐露して、アリオスから離れようとした。 だが動けない。 アンジェリークをアリオスがしっかりと掴んでいる。 「方向音痴な豆狸をひとりにするわけにはいかねえからな」 「またそんなことばっかり言って! 皆が心配するから帰る…っ!」 アンジェリークがそこまで言ったところで、アリオスが抱き寄せてきた。 「何をそんなにご機嫌がナナメなんだ? 豆狸さんはよ」 「豆狸、豆狸って! 私はちんちくりんじゃないの! ちゃんとした女の子よっ!」 「解ってる。んなことぐれえ。おまえが女だってことぐれえな」 「きゃっ!」 アンジェリークが爆発したのと同じぐらいの力で、アリオスが抱き寄せてきた。強引なのにその力強さが心地良い。 アンジェリークは温かな胸に顔を付けて、その温もりにドキマギしていた。 「こうして、ふたりきりになりたかったから誘い出したことを、気付けよ。アンジェリーク…」 アリオスな声がいつにも増して掠れている。 すぐ近くに聞こえるアリオスの鼓動が、アンジェリークを更にときめかせた。 冷たい雨が気にならないぐらいに、心も躰も熱い。 アリオスの規則正しい鼓動と、アンジェリークの激しいドラムのような鼓動が、今折り重なっている。 アンジェリークは呼吸を浅くしながら、アリオスの男らしい香りを吸い込んだ。 本当にこのひとが好きだ。でうしようもないぐらいに好きだ。 アンジェリークは、雨の中で強く意識した。 顔を上げると、アリオスが雨に濡れながら優しく抱きしめてくれているのが見える。 銀糸にかかる雨は、アリオスの髪を薄紫に彩る。髪にかかる雫が、恋の粒に見えた。 綺麗だ。どうしてこんなにこのひとは綺麗なのだろうか。 アンジェリークは心が音を立てて奪われていくのを感じていた。 「濡れちまうな」 アリオスの指が、栗色の髪をそっと撫でてくる。先ほどのようなからかいを含んだものではなく、優しい指の動きだった。 「アリオスだって濡れているよ」 「野郎は濡れたって構わねえんだよ。野郎の為に傘はいらねえんだよ。おまえの為に、俺が傘になってやるよ」 アリオスがそっと覆い被さってくる。 きっと、物理的だけではなく、精神的にも傘になってくれる。 アリオスがずっと大人であることを、アンジェリークは初めて意識をした。 「俺も寒くなってきたみてえだな…」 「大丈夫!? 私がアリオスの傘になるよっ!」 「傘になんかならなくていい。俺が濡れれば充分だ」 ふとアリオスが顔を上げた。 「ご都合主義とはあのことを言うんだな。おら、滝の横に、穴蔵があるぜ。濡れねずみになるよりはマシだろ」 アリオスは雨から守るように手を引いてくれると、穴蔵まで連れていってくれる。 「寒くねえか?」 「うん、寒くない」 「マジかよ?」 「…うん。本当なの。寒くないのよ…」 アンジェリークは小さな声で囁く。 雨が温かい恵みのシャワーに思える。それぐらい寒さを感じない。 アンジェリークは本当に心地良い温かさを感じていた。 穴蔵の中は程よい温度で保たれている。きっと、年中これくらいの気持ち良さなのだろう。 本当に小さな穴蔵で、アリオスなど背が高くて頭をぶつけそうだ。 「身長は大丈夫?」 「屈んだら何とかな。座り込んだら、何も問題はねえだろう」 「うん。そうね」 雨の中、穴蔵にふたりして身を縮ませて座る。アンジェリークは意識をし過ぎて鼻を啜ってしまった。 「レイチェルたち、捜しているかなあ」 アンジェリークはまるで小学生のように、小さく三角座りをした。心許ない小学一年生のように思える。 「きっと気付いてねえだろう。あいつらお互いしか見えていねえみてえだからな。お互いに周りが見えていたら、名前と声で、俺だってことは、とうに気付いただろうからな」 「…そうか」 アンジェリークはちらりとアリオスの横顔を見る。そこは隠しようがない、煌めいたアリオスがいる。アンジェリークは、学校でもこの魅力が滲み出ている事を、最近ようやく気がついた。 今まではどこを見ていたのだろうかと思う。きっと表面しか見ていない証拠だ。 アリオスをぼんやりと見つめながら、アンジェリークは本当に綺麗だと思う。マイナスイオンのマジックなのかもしれないと、思わずにはいられない。 ふと肌が冷たくなって、躰が震えた。 心は熱いのに、躰は冷たいだなんてちぐはぐだ。 「おい、寒いのかよ?」 「寒くはないです…。震えているだけです。本当にそれだけなんです…」 アンジェリークは自分でも訳が解らない言い訳をしながら、声を震わせる。説得力があるなんて、思わなかった。 アリオスにおもむろに手を掴まれる。 「きゃん!」 「おまえの手、すげえ冷たいじゃねえか!? こんなんでよく寒くないなんて言えるな」 アリオスは冷たくもキツイ論旨でアンジェリークを咎め、その胸に強引かつ大胆に抱き寄せてきた。 まるでそれを期待していたかのように、アンジェリークはときめきを覚える。胸はときめくのを喜んでいるかのように弾んでいた。 こんなに誰かに対してときめくなんて、今まで経験したことがなかった。 「俺のことはヒーターとぐれえ思っていたらいいんだよ。解ったかよ? アンジェリーク」 ヒーターと言うには優しい温かさを持っている。こんなヒーターはないだろうと思わずにはいられない。良い香りがする、ときめきを感じるヒーターだなんて、そうそうないものだから。 少しだけでいいから、アリオスの腕の中で甘えたい。アンジェリークはそっとその胸に顔を押し付けていた。 アリオスが髪を撫でる。まるでリアルな恋人達のように。今だけは、その夢を見ていたいとすら思う。 アンジェリークは、記憶の中に、アリオスの腕も胸も、香りですらも刻み付けていく。 溺れるように、ほんのひと時を過ごす。 ふと携帯電話が、音を立てて鳴り響く。アンジェリークはその音に敏感に反応するかのように、びくりとした。 鳴り響く着信メロディーは、アンジェリークの携帯。しかも、仲良しグループのみに設定をしているものだ。 「アリオス先生…電話」 「出なくていい」 アリオスの腕の力がかなり強くなる。アンジェリークは呼吸ができずに、浅く喘いだ。 「…でも、レイチェルかエンジュかも…!」 アンジェリークがリュックサックに手を延ばそうとすると、アリオスにすっぱりと止められる。 「アリオス…」 「なあ、アンジェリーク。おまえは授業中は携帯をバイブにしていて、メールや電話には出ねえだろうが」 「出ないです」 アリオスは何を言っているのかと、アンジェリークは小首を傾げながら、じっと密着したアリオスを見る。 「おまえは俺のプライベートレッスン中だ…。だから、出なくていいんだよ…」 躰の奥から絞り出されるようなセクシィな声でアリオスが囁くと、唇を奪われる。 携帯電話はけたたましく鳴り響いたが、レッスン中のアンジェリークは、出ることが出来なかった。 このままレッスンがずっと続けばいい…。 |
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