Private Lesson

8


 キスの感触がまだ唇に残っているのに、友人たちと再会するのが、何だか気恥ずかしい。
「アンジェ! アリオスさんも! 一体どこに行っていたのよ!」
 心配そうな顔をして、レイチェルが駆け寄ってきた。
「大丈夫だよ。滝を見ていたら、にわか雨に逢っちゃって」
 アンジェリークは、クールな顔をしたままのアリオスを、ちらりと横目でみた。
 ふたりだけの秘密の会話をしているような気分になる。少しだけ、嬉しかった。
「アンジェ、マジで心配したよ。でもアリオスさんしっかりしてるから大丈夫かなって思ったりなんかもしてね。だって、いっつもアンジェは言っていたじゃない? 頼りがいがあるって」
 アンジェリークは、かつて友達に彼のことについてうそぶいていたことを思い出した。
 何だか顔が朱くなる。
 きっと誰も知らないだろう。アンジェリークの理想の男性が、ほんの近くにいたことなんて。きっと誰も。
 アンジェリークはアリオスと友人たちを交互に見遣る。いつも小さな空間で、空気を共有しているというのに、気付かずにいるなんて。不思議な事もあると思う。
 アンジェリークは何だか切ない気分になった。アリオスが、本当は教師で、とっても素敵な事を、もっと知って貰いたい。何だか、知られたくないような、知られたいような複雑な気分になるのが、とても不思議だ。
「アンジェ、そろそろランチタイムにしようよ! 良い感じの気候で、とっても気持ちが良いもんね!」
 エンジュがランチの準備をテキパキとしてくれたので、アンジェリークもそれを手伝った。
「今日はレオナードが腕によりをかけてくれたものだから、とっても美味しいよ」
「うん! 楽しみ!」
 ランチタイムも楽しみだが、アンジェリークにとっては、アリオスの傍にいられるのが嬉しくてしょうがない。
「さてと、とっておきのランチタイムだよ! いっぱいあるからいっぱい食べよう!」
 レイチェルの元気な掛け声でランチタイムが始まった。
 沢山のおかずやサンドイッチ、おにぎりといったものに、目移りしそうになる。
 アンジェリークは食いしん坊根性を発揮して、テキパキと料理を皿に入れる。いくつも紙皿を使用したので、レイチェルやエンジュからは笑いが零れた。
「アンジェ! それをひとりで食べるってことは、ないよね!」
 レイチェルのからかうような言い方に、アンジェリークははっとしながらも、真っ赤になってしまった。
「ち、違うわよ! だ、だって、アリオスも食べるかなあって…」
 しどろもどろになりながら、アンジェリークは、アリオスに紙皿を押し付けてしまった。
「サンキュ」
 アリオスは総てがお見通しだといった風な笑みを浮かべて、アンジェリークに意地悪ながき大将みたいな視線を送ってくる。それが恥ずかしくてしょうがなかった。
「だって、食べるの大好きだもの」
「おまえは少しぐらいは食っても構わねえんじゃねえの。ちったあ肉を付けるのも必要だしな」
 アリオスはアンジェリークの鎖骨あたりを、まじまじと見ている。確かにアンジェリークのこの辺りのデコルテは、細くて、頼りがないぐらいだ。
「アリオスさん、アンジェは見ての通り大食いだけれど、胃下垂なのか体質なのか、太らないんだよ。羨ましい限り!」
 エンジュはアンジェリークに羨ましいそうなしせんヲ向けているが、アンジェリークから言わせれば、エンジュはナイスボディなので、そんな目線で見つめられると、本当に照れてしまう。
「じゃあ、もっと食ってもらわねえとな」
 アリオスは自分は余り食べることなく、アンジェリークにどんどん回してくれる。そんな気遣いが益々素敵に思えた。
「これ凄い美味しい! これも!」
 食べるのがなによりも楽しいと思えるのに、今日はいつもにも増して楽しんでいる。
 理由は解っている。
 横にはアリオスがいるから。優しい見守るような視線を、いつも送ってくれていたから。
「おら、んなところにも食べかす付けているじゃねえか」
「あっ」
 アリオスの指が絡めるようにしっとりと、アンジェリークの頬に触れてきた。
 胸の奥が本当にキュンと鳴ってしなる。少女マンガによくある表現は、何だか嘘臭いと思っていたのに、リアリティがあるのには、驚いてしまう。
「ったくガキみてえ」
「アリオスに比べたら、ずっとガキよ」
 憎たらしい口調で言ってみるのは、勿論照れ隠し。アンジェリークは華やいだ顔を見られたくなくて、わざとそっぽを向いた。
「おら、まだ付いているぜ? おまえが何かを食う時には、ニワトリを用意しておかなきゃ、ならねえな」
「アリオスの意地悪…」
 アンジェリークは拗ねたふりをしようとしたが、アリオスの指が捕らえてきて離さない。
 アリオスの指先は食べかすをついっと掬うと、それをパクリと食べてしまった。
「おまえは食べかすですらも美味そうに見せられるな」
「でも本当に美味しいよ!」
「おまえが食うと美味いものはすげえ美味そうに見える。どうだ? ”食いしん坊万歳!”のレポーターになったら」
 アリオスが益々からかうものだから、アンジェリークはそっぽを向いた。
「褒めているんだぜ?」
「そんなのは、褒めたことにならないです!」
 アンジェリークの拗ねぶりに、アリオスは益々愉快そうに笑った。
 それを友人達がほほえましいといった形で見ている。優しい見守るような、友人達の視線が、アンジェリークには痛かった。
 そう、これはリアルじゃない。嘘をついているのだ。
 アリオスとの間がただの絵空事であることが、アンジェリークには哀しかった。

 ランチの後、少しだけ自由時間になり、レオナードとエンジュのカップルは男のロマンであるクワカダを見に行き、エルンストとレイチェルのカップルは鉱石を見に行った。
 残されたアンジェリークとアリオスは、のんびりとする。
「気持ちいいな…。こんな日は寝転がるのが最高なんだぜ」
「気持ち良さそ…」
 アンジェリークがそこまで言いかけたところで、アリオスはごろんと横になり、膝を枕にしてきた。
「ア、アリオスっ!」
 アンジェリークが驚いて慌てふためいているというのに、アリオスはクールなままで目をつむっている。
「せ、先生…っ! こんなことをしていいのかと…っ!」
 アンジェリークがいくら言っても、アリオスが止めるはずもない。むしろ、面白がっていると言っても、言い過ぎではない。
「ここでイチイチ先生だなんて言うな。あいつらにばれたら、おまえが困るだろ?」
「…先生も困るもんね」
「俺が困るかよ。ばれたって、構わねえんだからな俺は」
 アリオスは全く気にもしないようで、アンジェリークは何だか胸の奥が甘い想いで満たされたような気分だった。
「おまえの膝は極上の枕だぜ。俺も安心して眠れるぜ」
 アリオスの言葉は、アンジェリークを素敵な想いにさせてくれる。それが何よりだ。
 柔らかな風が吹き渡り、躰にも心にも素敵な思いを運んでくれる。アンジェリークは、アリオスの柔らかな銀の髪を何度も撫でてやった。
 アリオスに触れるだけで、好きが強くなる。
 アンジェリークはこのひとときを大切にするかのように、微笑まずにはいられなかった。

 奇跡のような時間が終わり、ピクニックもとうとうお開きの時間となってしまった。
 仲良しこよしの下山が始まる。
 アンジェリークはアリオスに小さく近寄るようにして、下山していく。
「きゃっ!」
「何でんなところで躓くんだよ」
 アリオスは半ば呆れるような顔を出した後、アンジェリークを抱き留めてくれる。
「あ、有り難う…」
 触れられて嫌な筈なのに、アリオスなら全然大丈夫なのだ。
 アンジェリークを遠くから見守るように、アリオスは常に気を配ってくれていた。
 傍を温かい気分で歩いているうちに、段々駅に近付いてくる。アリオスとの何気ないひとときが、アンジェリークには大切なように思えた。
 駅前で友人達と解散した後、アリオスとふたりで普通電車に乗り込む。
 快速よりも遅く目的地に着く、普通電車が今はカボチャの馬車よりも素敵なもののように思えた-----
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