*愛し君へ*

2


 公瑾の屋敷は城からほど近く、通うのにはとても適している。

 そこまで馬を乗ってのんびりと向かった。

 公瑾と一緒に馬を乗るのはとても楽しい。

 以前は、“馬も乗ることが出来ない軍師”と意地悪く言われたことがあった。

 そのせいか、今は馬が乗れるように練習しなければならないと、ぼんやりと考えてしまう。

「馬を乗れるようにしなければなりませんね」

 花が溜め息を吐きながら言うと、公瑾は手綱を持ちながらそっと手に触れて来た。

「それは必要ありませんよ。あなたはもう戦場に出ることはありませんから。それに、あなたが馬を必要とする時は、私が一緒に乗りますから心配されないで下さい」

 公瑾は静かに言う。

「有り難う…」

「あなたに色々と厳しいことを言いましたが、本当は…」

 公瑾は苦しそうに言いながら、花の手をギュッと握り締めた。

 公瑾の想いが伝わってくる。

 だから今は公瑾を受け入れられる。

「公瑾さんにとっては必要なことだから仕方がないことです」

「…花…、あなたは優しい方ですね」

 公瑾はホッとしたかのように、甘い溜め息を吐いた。

「花、こうしていると、何だかあなたを略奪していたようですね」

 公瑾の言葉に、花は苦笑いを浮かべてしまった。

 確かに玄徳軍から見ればそう見えるのかもしれない。

 だが、花は自ら求めて着いて行ったのだが。

「もうすぐ私の邸です。今日からはあなたの邸になるのですよ」

「はい」

 今日から戻る場所は、公瑾の腕の中しかない。

 花は公瑾の腕の中なら、愛に溢れた素晴らしい人生を送ることが出来るだろうと思った。

「こちらですよ」

 公瑾が視線を投げ掛けた先には、立派な邸が建っていた。

 流石は都督ということだろうか。

 想像以上に大きな屋敷で、花はあんぐりと口を大きく開けるしかなかった。

「大きなお邸ですね…」

 花が驚きを隠せないままに呟くと、公瑾は苦笑いをした。

「私ひとりで持て余していたところです。あなたならきっと楽しさや幸せでここを満たしてくれるでしょうから」

 公瑾は静かに呟くと、門の前で合図をした。

 すると中から使用人がバタバタと走ってくる。

「お帰りなさいませ、公瑾様」

「ただいま。あなた方に今日から新しい家族を紹介致します」

 公瑾は馬から先に下りると、花を下ろしてくれる。

 最初、公瑾の馬に乗った時にも、悪態を吐きつつではあるが、こうして下ろしてくれた。

 そこにはさり気ない公瑾流の優しさがあったことを、花は思い出す。

 使用人たちの前に立ち、一斉に視線を感じる。

 小喬ではないことに驚きを隠せないようだ。

 同時に、妙に納得をしている者もいた。公瑾の両親の世代よりも上の老夫婦だ。

「花と申します。宜しくお願いします」

 花はぎこちなくではあるが、公瑾の大切な人達に挨拶をする。

「宜しくお願い致します」

「彼女は今日から私の妻です。彼女が私の正妻ですから。後、彼女は異国から来ています。どうかそのあたりはきをつかってあげて下さい」

 公瑾はいつものように穏やかに呟くと、にっこりと微笑んだ。

 使用人の前ですらも、やはり張り付いた表情のない笑顔のままなのが、花は少しだけ切なかった。

「お荷物は既にお部屋に届けておりますよ」

「有り難う」

 初老の夫婦に対しては、公瑾はとても素直に微笑んだ。

「花、行きましょうか」

「はい」

 公瑾に手を繋がれて、花は屋敷の中に入った。

 やはり中庭は立派だ。

 子供たちが走り回っても充分な程の広さだ。

 その上、庭の植物も目に鮮やかでとっても綺麗だ。

「…素敵なお庭ですね…」

「ここもひとりだと寂しいですよ。花、あなたが笑顔で満たして下さることを希望していますよ…」

「…はい。ガンバリマス」

 ほんのりと恥ずかしかったが、それはそれでとても嬉しいことだった。

 公瑾は屋敷の一番奥の庭が楽しめる部屋に案内してくれる。

「ここは私の寝室です。今日からは私たちの…と…言っても構わないかもしれませんがね」

 意味ありげに甘く意地悪な笑みを浮かべられて、花は恥ずかしくてしかたがない。

「あなたの書斎もご用意しています。寝台もありますが、殆ど使うことはないでしょうね…」

 公瑾の言葉のひとつ、ひとつを確かめながら、花は本当に公瑾の妻になったのだと思った。

 公瑾の正式な妻になるのは、結婚式を挙げてからではあるが、今も実質的に公瑾の妻だった。

 暫くして先ほどの初老の女性が現れる。

「…すまないが、私の妻に相応しいように、着飾って下さらないですか?」

「かしこまりました。では花様、こちらへどうぞ」

「はい」

 大好きなひとに見守られて、花は衣装を着替えにゆく。

 綺麗にして貰えるのが嬉しかった。

「本当に良かったです。戦で公瑾様が瀕死の重傷に遭われた時に、看病されたのは貴方様ですね?」

「はい」

 花が頷くと、女性は大きく頷きながらにっこりと微笑んだ。

「貴女様が奥方様で良かったです。あの前後に、公瑾様は幸せそうにされたり、落ち着かずに苛々されたりしていましたから…。きっと恋をされているのではないかと、私どもは思っていたんですよ。小喬殿と仮初の婚約をされた時は、こんなにも嬉しそうにはされてはいなかった…。だけど、ここのところは本当に一喜一憂されていて、恋をされていると直ぐに分かりましたよ」

 女性の話を聞いていると、花はまるで春の日溜の中にいるような幸せを感じる。

「貴女様に恋をされていたんですね。公瑾様は決して相手に感情を見せられない方です。いつも何処か冷たい。私たち使用人に対しても同じなのですが…、貴女様が現れてから、自然な公瑾様になられたような気がしますよ。公瑾様は、貴女様をずっとお待ちになっていたんでしょうね」

 女性は優しい口調で言いながら、花を美しく着飾ってくれた。

「有り難うございます、花様」

「こちらこそ有り難うございます。お話を聞かせて下さって…」

 花が言うと、女性は嬉しそうに笑った。

「お子様のお世話をさせて頂くのが、とても楽しみですわ」

「は、はい」

 花が恥ずかしそうにすると、女性は微笑ましいとばかりに笑った。

「公瑾様の奥方様に相応しく着飾らせて頂きましたよ」

「え…?」

 お喋りをしていると楽しくて、花はつい時間を忘れてしまっていた。

 女性は鏡を持ってきてくれる。

 いつも化粧を綺麗にして輝いているこの世界の女性と同じように、美しく着飾って貰った。

「花様。お綺麗ですよ。では、食堂で公瑾様がお待ちになっていますからご案内致しましょうね」

「有り難うございます」

 公瑾は綺麗だと言ってくれるだろうか。

 花はそれだけを考えながら、食堂に向かった。

「公瑾様、花様をお連れ致しました」

「有り難うございます」

 公瑾が食堂で待ってくれている。

 花は胸をときめかせながら公瑾のそばに向かう。

「ふたりきりで食事をして、囁かなお祝いをしましょうか…」

「はい。有り難うございます」

 ふと公瑾に熱く見つめられる。

 花は喉がからからになるほどに緊張してしまった。

 こんなにも緊張してしまうのは初めてだ。

 嫌な緊張ではなく、華やぎのある緊張だ。

「…花…。とても似合っていますよ。綺麗です」

「有り難うございます…」

 公瑾に甘く囁かれるのが嬉しい。

「さあふたりでお祝いをしましょうか」

「はい」

 二人だけのお祝い。

 花の新しい人生のスタートには相応しいものだった。




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