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願わくば 花の下にて春死なん その如月の 望月のころ------西行法師。 小さな頃、大好きなお兄ちゃんに教えて貰った俳句。 あの桜の丘の夜桜をふたりで見つめていた時に、教えて貰ったものだ。 春の満月の日、桜の下で死にたいものだ------ どうして、今、こんな俳句を思い出したんだろう…。 父親たちを天国に送り出した日、未来は膝を抱え、じっと桜の丘のある方向を見つめていた。 「ねえ、お兄ちゃん、こんな夜なのかな?」 「何がだい?」 未来が声を掛けると、和希はその横に腰を下ろして顔を覗き込む。 「-----西行法師のあの俳句の…」 「ああ。昔おまえにおしえてやったやつだな。 願わくば 花の下にて春死なん その如月の 望月のころ…か」 しみじみと和希は呟くと、妹と同じよう窓の外を見つめた。 「そうだな…。まだ満月には少し遠いけれど、こんな夜だな」 「うん…。お父さんとお母さん、この桜を見ているかしら…」 遠くに見える桜の丘の立派な桜が月と星の光に照らされている。 いつもと変わらない幽玄な美しさ。 -----だが、それを毎年共有した両親はいない…。 「きっと見ているよ。星になって、あの桜を照らして、未来や僕を見守ってくれている…」 「うん。そうね…」 未来は側にあったオルゴールのネジを巻いてみる。 懐かしくも胸に迫る音色が躰を包み込む。 それがじんわりと染み入り、未来は心に酸素を送るかのように大きな深呼吸を一度だけした。 音色を暫く聞いているうちに、いつの間にか眠くなってしまい、うとうとと微睡む。 「未来…」 和希は妹にしか見せない優しい眼差しを送ると、長く艶やかな髪を指で撫でつける。 「そう、いつだって、お父さんも、お母さんも、未来を見守っているよ…。 そう、僕だって…」 和希はふっと微笑むと、妹の瞼にキスをした。 桜の香りが噎せ返るような夜だった------ 兄が出かけた後、未来も大学に行くことにした。 最近お兄ちゃん心配だな…。 ずっと調子が悪いみたいだもん…。 心配で授業も余り手につかない。 厳しい里見の授業であってもだ。 授業がはねて、岩崎電鉄の甲晃園から今津線に乗って桜塚南口に向かった。 ここなら飲食店も一杯なので、何かアルバイトが探せるかもしれない。 昨日、弁護士の古賀に提案され、未来はそれを素直に受け入れたのだ。 ぶらぶらと歌劇の街桜塚の目抜き通りを歩いていく。 時折、音楽学校生の姿も見かける。 「おい、立花君じゃないか」 低い聞き慣れた声に顔を上げると、そこには、古賀の姿が合った。 「古賀先生!」 大きな瞳を見開いて、本当に驚いた表情をしてしまう。 「…私の事務所がここでね」 「ぁ…」 顔を上げると確かに、古賀の所属する弁護士事務所の前だった。 「どうかしたのかな? 考え事をしているようだったが…」 古賀に言われて、未来は素直に、アルバイトを探していることを話した。 南口ならば、まだまだ仕事はあるだろうと。 そんなことを話すと、古賀は少し思案顔になった。 「私が仕事を紹介しようか?」 「え!?」 これには未来は驚いてしまった。 初対面の古賀のイメージは、人と距離を置くクールで冷たい印象があったのだ。 先ほどよりも更に驚いた顔を古賀に向けている。 その表所はどこか愛らしかった。 私も相当冷たい人間に思われているようだな…。 苦笑しながら古賀は続ける。 「生前、君のお父さんにはお世話になったからね、その娘さんはほってはおけないからね」 「お父さんとお母さんが…」 しんみりと未来は言ったが、嘘だった。 君の悲しい顔はなぜか見たくないから…。 「早速、君を紹介しよう。さあ、こっちだ」 有無も言わせず強引に古賀に引っ張られ、少し戸惑いがあるものの、未来は嫌ではなかった。 連れて行かれたのは、桜塚、いや、この関西でも有数のイタリアンレストラン”アルーラ”だ。 こないだ兄に合格祝いに連れて行って貰った、あの高級レストラン。 もてなしも料理の味も、何もかもが最高だったのを覚えている。 店の店主藤村が古賀としりあいだということで、すんなりとアルバイト先は決まってしまった。 こんなステキなレストランで働けるなんて…。 未来はうっとりとした気分になり、夢心地だ。 古賀になんとお礼を言ったらいいだろうか。 「じゃあな。頑張れよ」 仕事を急いでいるのが、古賀がすっと手を挙げて店から出て行く、未来は本当に感謝を込めて深々とお辞儀をする。 「有り難うございました! 頑張ります!!!」 古賀は元気な未来の声に見送られながら、ふっと心が温かくなるような気がした。 アルーラでの初日のアルバイトは何とかこなすことが出来た。 ステキな憧れていた店で働くことが出来る上に、昔から応援していた時期トップスター月影葵に久しぶりに逢うことが出来たのだ。 娘役がやりたくて歌劇団に入ったものの伸び悩み、未来の一言で前代未聞の娘役から男役にシフトした、異色のスターである。 その葵に逢えたのだ。 大劇場の前にある花の道を通りながら、ふわふわと家路を行く。 今日はステキな日だったな…。 葵さんにも会えたし…。 お父さんと、お母さん、お兄ちゃんに報告しなくっちゃ! 未来はスキップをしながら、とても幸せな気分で家に帰った。 「ただいま〜!!!」 その瞬間、世界が動転するかと思った。 「おにいちゃん!!!!」 兄和希が蒼白の顔色で倒れたのだ。 いつもと違い、激痛に意識をもうろうとさせている。 視界が真っ暗で何が起こっているかが判らない。 震える手で何とか救急車を呼び、そこに乗り込む。 お願い…!!! 神様お兄ちゃんを助けて下さい!! お父さん、お母さんっ…!!!!!!! ただ祈るしかできなかった----- 「-----そう、判ったわ。直ぐに行くわ」 電話を貰うなり、吾妻木は事務所をばたばたと飛び出していく。 「どこに行くんだ? おまえらしくもない」 「和希のとこ!」 吾妻木はそれだけを言うと、慌てて飛び出していってしまった。 和希-----未来の兄。 古賀の胸に直ぐにあの未来の笑顔が浮かんだ。 彼の胸は何か深い胸騒ぎで一杯になっていた。 古賀が事実を知ったのは、未来が訪ねてきてくれたからであった。 少しやつれている姿に、古賀は眉をひそめた。 話を聞くと、兄の和希が倒れて入院しているという。 華奢な躰が今日は更にか細くなっていた。 未来は、兄の伝言を古賀に伝えながら、気丈と柔らかな笑顔を絶やさずに話す。 そのれが古賀の胸を打った。 一人だと言うことで、最近物騒になっている彼女の家の周辺のことを案じてアドバイスをする。 「有り難うございます。先生宜しく願いします」 「ああ」 ぱたぽたとアルバイトに向かう未来を見つめながら、古賀は優しく見守っていた。 翌日、古賀は和希に呼ばれ病院に向かった。 ある程度判ってのことであった。 未来を買い物に愛、ふたりは、張りつめた空気の中、見つめ合う。 「-----古賀先生、僕は間もなく死ぬでしょう…。 あなたにお願いがあります…」 運命の輪が動き始めた------ |