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病室に静かな沈黙が走る。 一瞬、未来の切ない顔が思い浮かび、目を閉じる。 「-----未来を…、頼みます。本当は僕がずっと見守っていたかったですが、そうはいかないですから…」 苦しげに和希は呟くと、切なく輝く眼差しを古賀に向けた。 瞳は妙に澄んでいる。 「あなたなら、あの娘を任せられます…。あの娘を見るあなたの瞳を見れば」 そう言われて古賀ははっとした。 そんなところまで見られていたのか…。 驚く古賀に、和希は静かに深い微笑みを浮かべた。 「-----僕はずっと…妹を…未来だけを見ていましたから、あなたがずっとあの娘を見ていたのも良く判っています…。あなたなら未来を見守り、幸せに導いてくれるでしょう…」 淡々と話す和希に、古賀は冷静を装うのがやっとだ。 残された未来と、兄のことを思うと胸が痛い。 「-----どうして、私を…」 「あなた以外に、あの子をあのちんぴらや様々なことから護ってやることはできないでしょう…。僕が死んだら、事後のことは頼みます」 穏やかな和希の笑顔は、古賀の胸を打つ。 死を目前にし、総てを悟り、純粋な瞳を向ける和希に、古賀は感情が渦巻くのを感じる。 自分よりも10は下の青年が、今、愛する者を残して逝こうとしている。 世の中の不条理さに、古賀は言葉がなかった。 不意にドアがノックされる。 「お兄ちゃん、入っていい?」 未来の声が病室に響き、子古賀は慌てて表情を引っ込めた。 「ああ。どうぞ」 ドアを開けると、屈託のない笑みを浮かべた未来が病室に入ってくる。 何も知らない無垢な表情が古賀の胸を締め付ける。 「古賀さん、ブラックコーヒーで良かったですか?」 「有り難う」 どこか厳しい雰囲気が古賀から伝わり、未来は少し引いてしまう。 いつもにまして感情が表に出ず、冷たく思える。 古賀は感情を押し殺していることを、勿論未来は気づかなかった。 古賀さん…。 お仕事忙しくて大変なのかな…。 未来はそんなことをぼんやりと思う。 「どう、仕事の方は?」 「はい。有り難うございます。」まだまだ慣れませんが楽しいです!」 素直に感想を言うと、古賀の表情が少し揺らいだ。 やはり目の前の少女の素直な表情を見ると緊張が解け、安心する。 「それはよかった」 古賀の表情に浮かんだ僅かなイキな微笑みに、未来も思わず微笑んでしまった。 古賀は腕時計に視線を落とした。 「それでは、そろそろ失礼する。先ほどの件は承諾しました。安心しろとまでは言えないが…」 少し言葉を濁す古賀に、和希は深々と頭を下げる。 今はそれで充分だ。 「いえ、十分です。今日は有り難うございました」 「有り難うございました」 ふたりの仲の良い兄妹に見送られ、古賀は病室を後にする。 彼の脳裏にいつか和希と交わした言葉が蘇る----- 「先生…、養女に来た女性が、血の繋がらない、例えば、その家の実子と結婚する場合、どうなるんでしょうか…」 そこまで言って、和希は口をつぐんだ。 「-----いいえ、何でもありません。もう…いいです」 直ぐに和希は撤回したが、その時の切ない表情を古賀は今も忘れることは出来ない。 和希君は、未来を愛している…。 全身全霊で、自らの命をかけて、残された時間を総て掛けて、彼女を愛し抜いている…。 そんな愛に、俺は敵うんだろうか… 数日後。 不意に事務所の電話が鳴った。 胸騒ぎがして、古賀は恐る恐る電話を取る。 「…古賀です…」 「…先生…!! お兄ちゃんが…!!!」 未来は泣き崩れそれ以上の言葉を発することが出来ないでいた。 ただ古賀の声を聞いて暗視たのか、わんわん泣いている。 「-----今すぐ病院に行くからそこにいなさい。いいね」 「…はい…」 直ぐに古賀は愛車に飛び乗ると、和希が入院していた病院に向かう。 こんなに早くその日が来るとは思わなかった。 覚悟はしていたとはいえ、古賀は未来の切ない運命を呪った。 なぜ彼女ばかりにこんなことばかり起こる…! 古賀が病室に着くと、そこには泣き疲れて真っ青になっている未来が兄の傍らで寄り添っていた。 「…立花君…」 「…古賀先生…」 古賀の姿を見る鳴り未来は大泣きし、その場で崩れおちた------ そこから先のことは、未来は余り覚えていない。 兄を家に連れて帰った後、葬儀の準備は通夜等、総て古賀が取り仕切ってくれた。 未来はただ喪主として背筋を伸ばして折るのが精一杯だ。 きちんと参列者に挨拶をし、兄との最後の別れを気丈にも努めた。 その姿を痛々しくもずっと古賀は見守っている。 彼女が倒れないように、何かあれば直ぐに駆けつけてあげられるように------ 葬儀も終わり、未来は喪服で古賀に深々と挨拶をした。 「先生、本当に有り難うございました」 「立花君、君もしっかりな。引き続き、私は君の力になるから」 「はい、有り難うございました…」 総ての挨拶が終え、未来は兄を看取ったあの丘に向かう。 桜はそろそろ終わりを迎え、風に舞い散っている。 お兄ちゃん、未来は本当にひとりになってしまいました…。 あんなに側にいてくれるって言ったのに…。 でも、きっとお兄ちゃんのことだから、どこかで見守ってくれているよね? お兄ちゃん…。 桜吹雪に髪を靡かせながら、未来は空を見上げる。 その様子を影で古賀がじっと見つめている。 未来…。 その名前と同じように、君の未来が明るいものでありますように…。 俺はずっと見守っているから…。 古賀は未来が家に帰り着いたのを見届けてから、弁護士事務所へと向かった。 和希との約束、そして、恋こがれてしまった少女のために、ペンを取った------ 未来…。 俺はどこにいても、あなたを愛しているから… |