Confession


 お兄ちゃん…。
 未来は独りじゃないものね…。
 お兄ちゃんや、お父さん、お母さん、私をこの世に送り出してくれた両親が、遠くから見守ってくれているんだから…。

 未来は自分自身に言い聞かせるように頷くと、ベッドから飛び起き身支度をする。
 もう誰も起こしに来てくれないし、朝ご飯も一緒に食べてはくれない。
 がらんとしたキッチンに少し切なくなった後、新聞を取りにポストに向かった。
「あ、…手紙…。誰かな…」
 自分宛に届いていたので、リターンをアドレスさりげなく見る。
 そこには何も書かれていなかったが、宛名の文字を見ると、どこか懐かしく、温かな包み込んでくれる何かを感じた。

 お兄ちゃん…?

 そう思うだけで、心が、躰が震える。
 それが指先まで伝わり、未来は思わず生唾を飲んだ。
 新聞などそっちのけで、手紙を握りしめて自室へと帰る。

 お兄ちゃんかもしれない…。

 どうしてそう思ったかは判らない。
 いつもなら送り主のない手紙など、いつもなら気味悪くて開けやしないが、この手紙だけはなぜか中身を確かめたかった。
 どこか甘い花多義が胸によぎる。
 息を切らして自分の部屋にはいると、すうっと大きな深呼吸を一回した。
「…お兄ちゃん…」

 生前、お兄ちゃんがメールを出してくれていたの…?

 心臓が飛び出してしまうのではないかと思うほど跳ね上がっている。
 ベッドの前にぺたんよ腰を下ろして、未来はもう一度深呼吸をする。
 期待に胸が高まっていく。
 悠長に手紙を開けることなど出来なくて、ついつい乱暴に手紙の口を破いてしまった。
「…えっと」
 がさがさと手紙を出すと、それを見るなり驚いた。
 少しのがっかりと沢山の嬉しい感情が溢れ出てきた。
「…お兄ちゃん…」
 手紙の主は、残念ながら兄ではなかったが、それでも優しくも繊細な手紙は、兄を彷彿とさせる。
 遠い昔に無くした温かみがそこにあるような気がした。

 立花未来様。
 突然こんな手紙が届き、きっと君は驚いていることでしょう…。
 でも、今の君の置かれた境遇を思うと、僕は手紙を書かずにはいられなかったのです。
 君の傍で、君の支えになれたら…いつもそう思っています。
 たとえ君にこれから、辛い事や悲しい事が起こったとしても、僕がいつでも君の傍にいる事を忘れないで下さい。
 君と繋がっていられるよう、僕のメールアドレスを記入しておきます。
 XXXXXXXX@hopmail.com
 どこにいても君を愛しているから…。
 立花和希

 最後に兄の名前が書かれていたが、字を見れば兄ではない事は直ぐに判った。
 だが、相手が兄の名前を名乗ってくれた事で、警戒心が一気に揺らぐ。
 メールアドレスもよく使われる無料のものなので、本当に相手を特定するのには難しそうだ。

 きっと…、お兄ちゃんのことをよく知っている人なのかもしれない…。

 読み終えた後、未来は涙を一筋流す。
 不思議で懐かしい手紙。
 丹念に誠実に書かれた手紙は、兄にプレゼントして貰ったオルゴールの音色のように、温かく優しかった。
「…お兄ちゃん…」
 明らかに兄とは違う字であるが、とても達筆な男字。
 それをなぞると、心の中が切なくも甘い感情に包まれた。

 お兄ちゃんじゃなかったら、こんなに優しく温かく励ましてくれる人は一体誰なの…。
 きっと、私の心を温かく包んでくれるわ…。
 きっと、そう…。

 手紙の消印を見ると、桜塚からほど近い大都市の消印になっている。

 この街に住んでいる人なのかしら…。

 不思議な手紙を見たその日は、不思議な幸福感に包まれていた。
 誰かに見守られている------
 天涯孤独ではない事を知り、兄が亡くなってからの初めての幸せを感じた------


 翌日、当座の生活資金を用立てるために銀行に行くと、未来自身の銀行口座にお金が振り込まれていた。
 しかも。”タチバナカズキ”の名前で。

 こんなに…。

 正直その金額には驚いていた。
 この先大学をどうするか、そんなことをぼんやりと考えていた矢先に、当座の学費ではあまりあるものが口座に振り込まれているではないか。
 桜塚銀行桜塚南口支店-----タチバナカズキ
 未来は本来の目的である、当座の資金を口座から下ろすのも忘れて銀行から自宅にすっ飛んで帰った。

 あの人だ…!
 あの手紙のひとに違いない…!!

 家に走って帰り着いた後、オルゴールの中に大切にしまっておいた手紙を開ける。

 あなたしか…いない…。

 未来は少しの不安と沢山の感謝が混じった気持ちで、メールを送る事にした。
 最初、携帯を持つ手が震える。
 未来は、3000文字ほど使える携帯会社と契約をしていたので、携帯メールでも比較的長いものを出す事が出来る。
 今はそれに感謝していた。

 To XXXXXXXX@hopmail.com
 From mirai_cherryblossom@np-k.ne.jp
 Subject:有り難うございました。
 こんにちは。そして初めまして。
 あなたは私の事をご存知ですよね? 立花未来です。
 お手紙有り難うございました。
 凄く嬉しかったです。
 どこかで私を見守ってくれる方がいるだけで、私も”ひとりじゃない”と感じました。
 温かな気分に久しぶりになれました。
 そのお陰か、昨日は久しぶりによく眠れたんですよ。
 本当にどうも有り難うございました。
 ところで。
 本日、私の銀行口座に”タチバナカズキ”の名前でお金が振り込まれていました。
 あなた様ですよね?
 もしそうだとしたら、こんな大金、私には受け取れません。
 私は、見ず知らずの方にそこまでしていただく資格なんかありませんから…。
 あなた様のお気持ちだけで本当に十分です。
 有り難うございました。
 嬉しかったです。
 では、お身体にお気を付けて。
 立花未来。

 未来は何度も携帯電話に打ち込んだメールを推敲してから送信ボタンを押す。

 幻のお兄ちゃん…。
 未来はその気持ちだけで満足です…。


 そのころ、古賀は依頼人との打ち合わせが済み、ようやく自分のパソコン名前に向かい、民事裁判の訴状を作成するところだった。
 少し気分転換に、未来の為に契約した無料メールにメールが来ているか、見る事にした。
 少し緊張する。

 俺らしくもないな…。
 一回り以上も違う少女相手に緊張するなんて…。

 手早くメールをチェックすると、そこには未来からのお礼メールが入っていた。

 来たか…。

 メールを読みながら、その文章で未来の優しさと奥ゆかしさが伝わってくる。
 メールを読む間、古賀は誰にも見せない穏やかな表情をしていた。

 …見返りなど…、何もいらない…。
 ただ彼女が幸せであれば。

 いつか見た未来の幸せそうな笑顔。
 それを思い浮かべながら、古賀はキーを打ち込み始めた。
 
 To mirai_cherryblossom@np-k.ne.jp
 From XXXXXXXX@hopmail.com
 Subject:気にしないでいいから。
 こんにちは。
 早速メールをどうも有り難う。
 君は何も心配しなくて良いから、どうかこのお金は大学の資金に使って下さい。
 君が夢のために頑張ってくれればそれでいい。
 君の夢のために、僕は支えになりたいから…。
 ただそれだけです。
 どうかこの資金を使って勉強をして、君自身の夢を叶えて下さい。
 どこにいても愛しい君へ…。

 古賀は短い文面を打ち込むと、それを送信した。


 意外に早くメールの返事が来たので未来は本当に驚いていた。
 それを読むなり、また心が甘く潤んでくる。
 優しく温かな言葉の数々は、未来の心を支えてくれる。
「…お兄ちゃん…」
 無意識にそう呟くと、未来は携帯に一粒の涙を落とす。
 それは今までの悲しみ色のものではなく、温かい気分に裏打ちされたものであった。


 念のためにと、翌日、未来は古賀にアポイントを取り、相談する事にした。

 こんな事相談出来るのは、古賀先生しかいないもの…。

 未来は預金通帳と手紙を持って、古賀のいる宮壁法律事務所へと赴く。
「古賀先生、よろしいでしょうか…」
「ああ、立花君。そこにかけてくれ」
「はい」
 古賀は煙草を吸って一服しているようで、その間事務員がお茶を出してくれた。
「さあ、用件は?」
 古賀は相変わらず感情のない低い声で未来に言い、目の前に座る。
 最初は冷たい男性だと思っていた。
 だが、回を重ねて相談するに連れて、そうではないことが大分判ってきた。
「先生、昨日、”タチバナカズキ”の名前でお金が私の銀行口座に振り込まれていて、このような手紙が…」
 未来は手紙と通帳、それに携帯電話をを差し出し、どうしたものかと小首を愛らしく傾げていた。
 古賀はそれを簡単に目を通すと、未来を感情のない怜悧な眼差しで捕らえる。
「-----ふむ…。これを貰って、君は迷惑だとか、そんな事を思っているか?」
 即座に未来は首を振った。
「いいえ、迷惑だなんて。それどころか、温かく励まして貰っています…。私は、この方に見守られているような気がして、嬉しいです…」
 未来は素直に自分の気持ちを古賀に伝える。
「この方のお陰で、今は独りじゃないってそう思っています…」
 不思議と、メールの主の事を話すと、心がほわほわと温かな気分になっていく。
 その証拠に、未来の表情は非常に優しく柔らかなものだった。
「-----ふむ…。だったら問題ないだろう」
 古賀の答えは灼けにあっさりとしたものだった。
「君に迷惑行為をするならともかく、何もしないんなら問題ない。
 有り難く君の将来のために役立てるといい」
 相変わらず感情のない言葉。
 未来は少し恐縮するように俯いた。
「…先生…それでいいんでしょうか?」
「ああ。構わないと思う。相手のメールアドレスが判っているなら、定期的にメールを出してみるのも良いかもしれないな」
「メール…」
 未来は小さな声で呟くと、しっかりと頷いた。
「はい! そうします! この方の想いに応えるためにも、一生懸命頑張ります!」
 力強く、そして一生懸命未来は言うと、古賀はわずかに微笑む。
「そのほうが相手が喜ぶだろう…、立花君」
「はい…。先生、有り難うございました!」

 先生に相談すると、不思議と心が軽くなるわ…。

 未来は古賀に感謝の思いを込めた笑顔でしっかりと会釈をした。
「ではまた、何かあったらご相談に来ます!」
「ああ。またな」
 明るく笑う未来を見送りながら、古賀はふっと深い微笑みを湛える。

 未来…。
 どこにいても君を愛しているから…。

 愛しい少女の背中に向かって、古賀は甘く切なく呟いてみた。  





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