Confession


 私には”あしながおじさん”がいるから大丈夫…。
 独りじゃない…。
 メールを読めばいつもそう思うもの…。

 未来は何度も”あしながおじさん”のメールを読んでは、温かな気持ちになる。
 今、こうしてようやく立ち直って来れたのも、あしながおじさんのお陰だと深く感謝している。

 ようやく気分的には落ち着いてきたので、アルバイトの再開もする事に決めた。
 アルバイトの再開を言いに行くために”アルーラ”にぶらりと向かう途中、懐かしい影が目の前をよぎったような気がした。
 はっとして人混みの中を見る。

 お兄ちゃん…!!

 心臓が良いようもないほどドキドキとする。
 その人をおつ構えたくて。慌てて人混みに飛び込んで、あたりをきょろきょろと見回す。

 確かにお兄ちゃんだった------

 行き交う人ゴミをかき分けて探す。
 けれども兄と相似の背中を見つける事が出来なかった。
 胸が締め付けられるほど苦しい。
 瞳が、髪が、指の先までも兄を探し求めている。
「…確かにお兄ちゃんだった!」
 口にする事で、現実味が帯びてきた。
 兄を求めて、何度もあたりを見渡す。
 しかし、どこにもそのような姿は見あたらなかった。

 お兄ちゃん…。

 唇を噛みしめた瞬間、誰かに腕を掴まれはっとする。
「久しぶりやな、元気やったか?」
 その声に、未来は嫌悪感で全身がぞくりとした。
 こんなところでこんなやつに捕まっている場合じゃない。
 焦る心と裏腹に、未来を苦しめる男-----翔馬の手が手首に食い込んでくる。
「離して下さいっ! 今、私急いでいるんです! お兄ちゃんが…!」
 翔馬の力が強くて、何度抗おうとしても離せない。
 罵声を浴びながらも、無意識に抵抗した。
 早く行かなければ、兄を見失ってしまう。
「離して…!!!!」
 焦る心が声になって出てくる。
 その瞬間、未来に一筋の光が差した。
「ちょっと。彼女、嫌がってるじゃないですか?」
 優しくも芯のある声が響き、翔馬の手から一瞬力が抜かれた。
 青年こそ未来の光だった。
 ここぞとばかりに、未来は翔馬から離れると、助けて貰った青年の背中に隠れる。
 青年の後ろに隠れる鳴り、ほんのりとした優しくも懐かしい感情が湧いてきた。
「やっぱり嫌がっていたみたいだね。今日はもう帰った方が良いんじゃない?」
「何ぬかす!」
 翔馬は好戦的な表情になると、直ぐに青年にかかっていく。
 だが青年は表情一つ変えずに軽々と翔馬を除けると、その腕をねじ伏せる。
 青年の顔が露見した瞬間、翔馬はたじろいだ。
「お、お、おまえって、誰や!? し、死んだんと違うんかっ…! いたたた、力が入れへん…!!!」
 青年の姿にぞくりとしたものを感じる。
 翔馬はこれ以上抵抗する事が出来ない。
「-----まだ、彼女に何か?」
「お、俺、幽霊とお母ちゃんは苦手やちゅうねん! は、離せちゅうねん!!!」
 明らかに翔馬の顔は蒼白になり、声も僅かに震えている。
「じゃあ消えるんだね」
「きょっ、今日の所は引き上げさせてももらわな…、いや、もらわか? あかん…。悪夢でも見てるみたいや」
 青年の冷たい一言に安堵したのか、翔馬はぶつぶつと腑に落ちない独り言を良いながら、逃げるようにして去っていった-----
「ったく、何言ってるんだあいつ…。
 ------それより大丈夫だった? 怪我はない?」
「ありがとうござい…!!!」
 助けて貰った青年の顔を見るなり、未来ははっと息を呑んだ。
 時間が音を立てて巻き戻されていく。
 未来は自分がどこか違う時空に飛ばされたような、そんな錯覚さえ覚えた。
「…お兄ちゃん…」
「は? お兄ちゃん」
 やっぱり助けてくれたのはお兄ちゃん。
 間違いない。
 未来は心の奥に熱いものを感じ、そのまま懐かしさの余り涙を流す。
「お兄ちゃん! 帰ってきてくれたんだね!」
 何も真余話ずん、未来は兄と信じた青年に思い切り抱きついた。
「えっ? ちょっ、ちょっと、どすいたんですか? 人違いではありませんか? 僕は望月と言うんですが…」
「え!?」
 狼狽する青年の声に、抱き付いたまま改めてその顔を見つめてみる。
「…お兄ちゃんじゃ…ない」
 まじまじと見ると、兄によく似ているものの、違う人物である事が判る。
 一気に現実に戻される。
 兄じゃないは、至極あたりまえのこと。
 それに気が付くと、未来は耳朶まで真っ赤になりながら目の前の青年に深々と頭を下げた。
「…すみません。とても知り合いに似ていたものですから…」
 そこまで言って、まだ青年にお礼を言っていない事に気が付く。
「…助けて頂いて、有り難うございました!」
 すっかり未来は動揺していた。
「ははっ、そうなんだ。びっくりしたよ」
 未来の突然の行動には青年も驚いたようで、理由を知るなりほっとしたように微笑む。
 その微笑みは周りを明るくするような、温かなものであった。
「さっきのやつ、チンピラみたいだけれど…、気を付けてね? 最近は変なヤツが多いから」
「はい…」
 返事を素直にするものの未来は上の空だった。
 青年から目を離す事が出来ない。
 それにしてもよく似ている------
 まるで兄が帰ってきたようで、涙が瞳に滲んだ。
「あ、あの…」
「何?」
「いえ…」
 なかなか一言を発する事が出来ない。
 未来がもたもたしていると、青年は不意に時計を見た。
「やべ…、デザインの持ち込み締め切りを過ぎちゃうよ! ごめん。じゃあ、きをつけて!」
 何か言う舞えん、青年は風のように走って消える。

 望月さん…。
 本当にお兄ちゃんによく似ている…。

 しばらくの間、未来は、白昼夢のような出来事に浸っていたかった------


「…こんにちは」
 未来は懐かしい気分で、アルーラのドアを開いた。
 この雰囲気はいつ来ても本当に心地よい。
「やあ、未来ちゃん久しぶり!」
 店長の藤村が手招きをしてくれたので、笑顔で近付く。
 カウンターには客が座っているようだ。
 見覚えのある頼りがいのある背中。
「立花君」
「古賀先生!!」
 古賀は僅かに微笑むと、未来をじっと見つめた。
 そこにはさりげない愛情が込められている事を、まだ未来は気づかない。
「…どうやら落ち着いてきたようだね?」
 低い躰の奥から響く声に、未来は胸をときめかせながら頷く。
 古賀に逢うのは兄の1周忌以来で、忙しくてなかなか挨拶に行けなかったのを恐縮に思う。
「有り難うございます。色々お世話して頂いているのに、お礼が遅れてしまって…」 
「いいさ、気にする事はないよ…。
 -----ところで、あれから相変わらず手紙やメールは来ているのか?」
「はい…、どなたか判ると良いんですけれど…。あんなにお世話になっているのに、逢ってきちんとしたお礼も出来ないなんて…。
 先生もお心当たりが有れば宜しくお願いします」
 今、頼れるのはもう弁護士である古賀だけになってしまった。
 未来は感謝を込めて、深々と頭を下げた。
「…でもいい話だね…。今時そんな話があるなんて…」
 藤村はしみじみと頷きながら、感慨深げに呟いていた。
 その間も未来はじっと古賀の横顔を見つめる。

 古賀先生…。
 私が頼れるのは、先生と”あしながおじさん”」だけになってしまいました…。
 先生…。
 心の中であなたに甘えても良いですか?

「…今日は古賀先生はお一人なんですか?」
 隣りに誰もいない。
 未来はその横に座りたい衝動についつい駆られた。
「…いや、人と待ち合わせをしているんだが…」
 そこまで古賀は言うと、少し言葉を濁した。
「ところで、一度事務所に顔を出してくれないか…? 立ち退きの問題もあるからね。急いだ方が良い…」
 誤魔化そうとした古賀の態度がすこしせつない。
 未来は僅かに頷く事しかできなかった。
「判りました。
 …さっきも、前に家に来ていたやくざに絡まれてしまったんです…。
 …たまたま通りかかった人に助けられたんですけれど…、その人お兄ちゃんにそっくりだったんです…!」
「和希君にそっくりな人…?」
 古賀は左眉を器用に上げ、ほんの一瞬表情が変わったが、勿論未来には判らなかった。
「…そうなんです。本当によく似ていて…、、間違っちゃったぐらいなんです…」
「へぇ…」
 古賀はポーカーフェイスを装ってはいたがその実は違っていた。

 和希君にそっくりな男…。
 未来…、君は彼に心を奪われてしまうのか…!?

 言いようのない嫉妬心が古賀の心をくすぶる。
 逢った事もない相手。
 猛烈な嫉妬心に古賀自身が狼狽しそうになっていた。
 未来は、そんな激情は知らずに古賀を見つめる。

 先生の連れが来る前に、帰った方がいいかも…。
 デートだったら……いやだから…。

「…それじゃあ、先生、出来るだけ早くおじゃまさせて頂きます…」
 ぺこりと頭を下げた後、肝心の本題を藤村に伝えた。
「…藤村さん、バイトは、明日から入らせて頂いてよろしいですか?」
「ん? ああ、それは構わないけど」
「…よかった! 今日はこれで失礼いたします。今までご迷惑をおかけしてすみませんでした!」
「戸締まりは気を付けなさい。ひとり暮らしは不用心だからね」
 藤村の優しい言葉に、未来は笑顔で頷く。
「はい、有り難うございます!」
 ドアに向かおうとした瞬間、非常に美しい女が入ってきた。
 真っ直ぐに古賀の所に向かっている。

 どこかで…

 女が通り過ぎた瞬間、未来ははっとした。

 そうだ、お兄ちゃんの!!!!!

 あの時と同じ大人の雰囲気を醸し出す、非常に美しい女性だった。
「薫ちゃん、こんにちは」
 藤村が親しげに声を掛けたので、未来は思わず振り返ってしまった。
「藤村さんこんにちは。雅也待った?」

 どうしてこんなに親しげに先生の事を呼ぶの?
 お兄ちゃんとは恋人同士じゃなかったの?

 未来は切ない気分で一杯になって泣きそうになる。
 胸の奥がきりきりと痛い。
「あら…、あなた…」
 声を掛けられて、未来はびくりとした。
 心が動揺して、自分でも何が何だか判らない。
 胸が苦しい。
 どうしてかは判らない。
「う、すみません、失礼します!!!」
 そこにいたくなくて、いられなくて、未来はアルーラを飛び出してしまった。

 あの人じゃ、古賀さんに不釣り合いだ…!!!
 絶対にそう!!!!

 家まで走って帰る間、心臓が切なさの余りきゅっと締め付けられて、涙が溢れる。
 どうしてこんな気分になるのか、今の未来にはまだ判らなかった。


 家に帰り、言われた通りに戸締まりをちゃんとした。
 胸が苦しくてじっとしていられない。
 何度も、古賀と女の姿が浮かんで、苦しかった。
 心を落ち着けるために、あのオルゴールの音色に耳を傾ける。
 未来はとても落ち着いた気分になった。

 その姿を遠くから見守る車の影があった-----
 古賀だ。
 煙草を口に銜え、中に紫煙を吐き出しながら、じっと未来の様子を見つめている。

 未来…。
 いつでも俺は君だけを見守っているから…。
 どこにいても愛している君へ…。
 今夜はよく眠れるか?

 美しい夜空は、ふたりの心をゆっくりと近づけるように光っていた-------





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