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望美の顔色が明らかに悪くなっている。何か言わなければなんて思っているのに、言葉が出て来ない。 今にも泣き出しそうな顔をしている望美の側に駆け付けたくて、重くてたまらない足を一歩踏み出した瞬間、望美は走っていってしまう。 「望美っ!」 追い掛けたい。 いや、追い掛けなければならない。 先ほどまであんなに重くてたまらなかった足が、ようやく動いてくれた。 いつもなら、望美が逃げても簡単に追い付くことが出来るというのに、今日に限っては、躰がスローモーションの世界に入り込んでしまったような感覚に陥った。 「くそ…っ望美っ!」 運動会ではずっとリレーの選手だったし、陸部にからも何度もスカウトを受けた。自分でも人並み以上に 足が速いという自覚もしている。 なのに。 どうしてこんなに足が重いのだろう。 思い通りに走れないのだろうか。 それは望美も同じで、いつもよりももたついて走っているのが解った。 「…望美…!」 お互いに息を乱しながら走り、将臣は長いリーチを活かして腕を伸ばした。 「…まっ…!」 望美の哀しげな声が、将臣のこころに強く突き刺さってきた。 「おいっ!」 将臣は、力ずくで望美の躰を腕のなかに納めた。 こんなことは今までならいとも簡単に出来たはずなのに、望美が相手だと上手くいかなかった。 どうして余裕がなくなるのだろうか。 望美が相手だと、経験値が全く足りないガキのように思えた。 「…話を聞いてくれ」 望美は嫌だとばかりに顔を背ける。だが将臣は根気よく望美を見た。 「俺をちゃんと見ろ」 命令口調で少しキツくいうと、望美はビクリと表情を震わせた。 「誤解はするな。今は何をしていたかは言えないが、3月14日にはちゃんと理由が解って貰えるはずだ」 将臣は出来るだけのことを呟いた。 「…将臣くん…」 「だから誤解したり、逃げたりだけはしないでくれ。俺はお前に対して、疚しいことなんて、ひとつもやっちゃいねぇから…」 将臣は自分の気持ちを、誠実にそしてキッパリと伝えた。 「将臣くん…」 将臣の気持ちが望美に伝わったのから、躰から力みが消える。 だが表情はほんの少しだけ切なそうだった。 「…うん、分かったよ…。将臣くんを信じるよ…」 望美の言葉に力強さはなかったが、それでも今はこれ以上の言葉を貰えそうになかった。 「…だけど…、だけど…、やっぱり私だって不安になるんだよ…」 不意に弛んだ緊張のなかに隠されていた痛みに、将臣は胸を突かれる。 呟いた望美が透明感があり、余りにも美しく映ったものだから…。 キスしたくなった。 自分のキスで慰めたくなった。 抱き締めたくなった。 自分の抱擁で、こころごと躰ごと慰めてやりたくなった。 「…望美、俺はお前を泣かせるようなことはしていねぇから…、それだけは解ってくれ」 将臣は、誰が見ているか解らないのに、望美を柔らかく抱き締めた。 ここが公共の道だろうが、どこだろうが関係ない。 ふたりだけの世界だ。 抱き締めながら、望美の顔に自らのそれを近付ける。 瞳に涙を潤ませた望美が余りにも可愛くて、思わず笑みがこぼれ落ちた。 「笑わないでよ」 「お前が可愛いから…」 「可愛くなんかないよ…」 「さあそれは試してみねぇと解らねぇだろ?」 将臣は鼓動が煩くてどうかなってしまうのではないかと思いながら、望美の顔に近付いて行く。 望美とキスをするのは、勿論、初めてなんかじゃない。 なのにどうして、こんなにも毎回緊張してしまうのだろうか。 呼吸がおかしくなるぐらいに、余裕がなくなってしまうのだろうか。 ゆっくり顔を近付けて、唇を重ねた。 涙のせいでほんの少しだけしょっぱい唇。 望美の切ない想いを感じ取り、ブルーな感覚になるのに、幸せが何処からか溢れ出してきた。 重ねるだけのキスをしたあとで、将臣は親指でうっすらと付いている涙を拭った。 「…ホワイトデーは試験休みの最終日だろ? めいいっぱい楽しもうぜ」 「うん…」 額をコツリと付けながら望美の瞳を覗き込むと、もうそこには、愁いなどかけらもなかった。 将臣はホッと肩から力を抜くと、望美から離れた。 どこか喪失感が漂うなか、望美はようやく本来の笑みを浮かべてくれた。 「将臣くん、ホワイトデーのデート、楽しみにしているからね」 「ああ」 望美は納得するように頷くと、ほんのりと頬を赤らめる。 望美の何気ない表情の変化や仕草が、将臣の想いや欲望に火を付ける。 ジリジリとした欲求を、なんとか理性で抑え込んで、将臣は望美に笑いかけた。 「じゃあダイビングの邪魔をしてごめんね。続き頑張ってね」 「ああ」 望美はちらりと海岸を見る。将臣も同じように視線を向けると、ダイビング仲間の女性とその恋人が、手 を繋ぎながらふたりの様子を見守ってくれているのが解った。 「…誤解だったね。ごめんね。…将臣くんのこと大好き過ぎて、こんなバカな誤解ばっかりしちゃって…」 将臣の焦れたこころのど真ん中ストレートに、ストライクが決まる。 可愛い。可愛くてしょうがない。このまま湘南の海を一気に駆け抜けてしまえるぐらいに、望美への健全な 欲望に火がついてしまった。 嫉妬をしてくれるのが本当に可愛い。 歯止めが利かなくなりそうだ。 将臣が手を伸ばそうとした瞬間、何も知らない望美はくるりと向きを変えた。 「…じゃあ、私、行くね」 「あ、ああ」 将臣は緊張がへなへなと躰から抜けて行くのを感じながら、解らないように溜め息を吐いた。 「じゃあ、またね!」 先ほどまであんなにも切なそうな顔をしていた望美が、明るい笑顔で戻っていく。 振られる手を振り返しながら、将臣は脱力を覚えた。 望美は何処かズレている。そこがまた可愛いところなは違いがないのだが。 将臣が海岸に戻ると、仲間たちはニヤニヤと笑ってこちらを見ていた。 「将臣もあんな顔をするんだ。意外に彼女には甘いねー」 誰もがからかいと楽しさを瞳に浮かべて、笑いながら声を掛けてくる。 「貝殻の彼女はあの子かー。将臣、面食いだねー。可愛い、可愛い。しかしちょっと鈍感ぽいね。特に恋に関しては」 それは全く否定が出来ない。 この鈍感さは、生まれついたもの以上だろう。だが、そこがまた可愛いかったりするのだ。 「そこが良いんだ」 惚気るのを覚悟のうえで呟くと、あちこちから何だか訳の解らないツッコミを受けた。 そこから逃げるように、将臣はまた、貝殻探しに夢中になる。 あんなに可愛い望美のために。 最高のホワイトデーにするために。 仲間たちの協力のお陰で幾つか良い貝殻を見つけられた。 それらをピアスやチョーカーに加工をするのだ。 ダイビング仲間には、アクセサリーデザイナーがいて、その指導の下でアクセサリーへと加工する。 望美のファーストピアス。 喜んで貰えるだろうか。 その姿を想像するだけで、こころの奥がきゅんと音を立てて締め付けられた。 男のくせに、これならまるで少女マンガに出て来るヒロインのようだ。 乙女にもほどがある。 だが恋する遺伝子は共通。 きっと誰もが持っているものだ。 将臣は甘酸っぱい想いに酔い痴れながら、アクセサリーを完成させた。 世界でたったひとつのアクセサリーを。 |