*初めてのヴァレンタイン*

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 小松が、チョコレート売場で美しい女性と仲睦まじくしている。

 ヴァレンタインデーが近い時期だけに、ゆきの胸をナイフが刺さったような痛みが駆け抜ける。

 痛みに泣きそうだ。

 きれいな女性と、一体、どのような用件があるというのだろうか。

 ゆきは、不安になりすぎて、胸が痛くなりすぎて、この場にはいられなくなる。

 こんなにも苦しいことは他にない。

 このまま、この場所にいたら、息が出来なくて死んでしまうかもしれない。

 ゆきは目を閉じて落ち着いて深呼吸をしようとしたが、それも上手くいかなかった。

 とにかく。

 ここから退場しなければならない。

 ゆきにはそれしか思い浮かばなかった。

 どうして逃げたのかは分からない。

 ただ、ひたすらデパートの入り口まで走っていたように思える。

 気が付いたら、ゆきは地下鉄の駅まで来ていた。

 そのまま、地下鉄に乗り込み、深呼吸をする。

 深呼吸をすると、胸が痛くてしょうがなかった。

 今年のヴァレンタインデーはどうなるのだろうか。

 大好きなひとと過ごす、初めてのヴァレンタインデーだというのに。

 ヴァレンタインデーを華やかに温かく過ごせそうにはないと、ゆきは感じずにはいられなかった。

 頬に切ない涙が零れ落ちる。

 その熱さが、総てを表しているように思えてならなかった。

 

 ゆきの気配がする。

 小松はそう思って、ほんの一瞬、振り返った。

 ゆきへのチョコレートを選ぶアドバイスをコンシェルジュに訊いていたところだったせいで、ゆきの気配に気付くのに遅れてしまった。

 まずいところを見られてしまった。

 ゆきには内緒にしておきたかったのだ。

 ヴァレンタインデーは、愛する相手に、愛を伝える日だと知った。

 女性から男性に告白が出来るというのが、日本での意義らしいが、海外では男女関係なく、愛するものに愛を伝える日だと知った。そして、日本でも、最近は、男性から女性の場合もあると聞かされた。

 だから、小松もゆきに日頃の愛情を伝えたかった。

 そのため、チョコレートや甘いものが大好きなゆきのために、何か用意をしてプレゼントをしようと思っていたのだ。

 だが、偶然にもその様子をゆきに見られてしまった。

 しかも、泣きそうな切ない眼差しで小松を見つめていた。

 傷ついた表情だった。

 同時に切なくなるぐらいに綺麗だった。

 ゆきが、明らかに誤解をしてしまったのは、明白だった。

 だからこそ、この誤解を解かなければならない。

 小松が近づこうとした瞬間、ゆきは踵を返して、逃げるように立ち去ってしまった。

「申し訳無い。知人のところに行ってきます」

「かしこまりました。小松さま。では、またの機会に」

 小松はコンシェルジュへの挨拶をそこそこに、ゆきを追いかける。

 ゆきは、ずっと恋だの愛だのには、鈍感な女の子だった。

 だが、小松への恋心を自覚してくれてからは、かなり気持ちに対して自覚を持つようになった。

 小松はそれを自我の現れだと思い、好ましく思っていた。

 だからこのような誤解も、少し嬉しかったりもする。

 だが、誤解というものは、早く解かなければならない。

 いつまでもゆきに切ない顔をさせられないと、小松は思わずにはいられなかった。

 小松はゆきを追いかけて、地下鉄方面へと向かう。

 ゆきを早く掴まえて、甘く意地悪に誤解を解かなければならない。

 小松はただ真っ直ぐゆきだけを追いかけて行く。

 だが、ゆきも逃げ足が早くて、なかなか掴まらない。

 小松はゆきをただ真っ直ぐ追いかける。

 だが、ゆきは、小松が追いかけてきているなんて露も思わないようで、そのまま地下鉄の改札を潜り抜けてしまった。

「ゆき……!」

 名前を呼んでも、もう届かない。

 ゆきはそのまま地下鉄に乗って行ってしまった。

 小松はため息を吐く。

 ゆきが逃げるなら追いかける。それだけだ。

 小松は誤解を上手く解くためには、ゆきに会うしかないと思っていた。

 

 小松と一緒にいた、あの綺麗な女性は、一体、誰なのかは、分からない。

 ゆきにとっては考えれば、考える程に切ない気持ちになる。

 苦しくて堪らなくて、ゆきは暗い気持ちになる。

 これが恋に夢中になっているということなのだろうかと、思わずにはいられない。

 ゆきは、膝小僧を抱えて、苦しい気持ちをなんとかやり過ごそうとする。

 だが、なかなかその想いをやり過ごせない。

 小松に訊けば解ることだ。

 なのに、ゆきは言えない。

 あの女性は誰なのかと。

 なかなか訊くことが出来ない。

 苦しくて堪らない。

 ゆきは息が出来ないぐらいに切なくて、厳しい想いを抱いていた。

 ふと、携帯電話が鳴り響き、ゆきは慌てて出た。

「もしもし」

「ゆき、私だ。小松だ」

「帯刀さん……!」

 小松のことを思っていたからだろうか。

「何でしょうか?」

 苦しい気持ちを抱いていたからだろうか。

 つい刺々しい声になってしまった。

 自分でびっくりするぐらいに刺々しい声になってしまっている。

 苦しくて切なくて、ゆきは思わず目を閉じた。

「会えない?」

「え、何時ですか?」

「今すぐ」

 小松には珍しく、ゆきはビックリしてしまった。

「今すぐって、どちらにいらっしゃるんですか?」

「直ぐ下だよ」

 ゆきが窓の外を見ると、そこには小松の車が見えた。

 まさかそこに小松がいるとは思わなかった。

「分かりました、直ぐに行きます」

 小松はゆきがどれ程落ち込んでいるのかを、分かっていたのだろうか。

 ゆきは小松のいる場所まで一所懸命走っていった。

 

 ゆきがやってくる。

 不安になるぐらいに愛してくれている愛しいゆきが。

 小松は、車から静かに出る。

「すまないね、呼び出したりして」

「大丈夫ですよ」

「はい」

「有り難う。じゃ、車に乗って。少しドライブでもしようか?」

 小松が車のドアを開けると、ゆきは些か緊張した面持ちで乗り込んできた。

「ゆき、話があるから呼んだんだよ。君に会いたかったこともあるけれどね」

「はい……」

 小松の言葉に、ゆきはぎこちなく頷く。

 いつもに比べると、切なくなるぐらいに綺麗で、暗い表情をしている。

 だが、いつもの明るい笑顔のゆきのほうが、小松は好きだった。

 曇った愁い顔を、早く取り除きたいと、小松は思わずにはいられなかった。

 ゆきは笑ったほうが良い。

 早く笑顔にしてあげたかった。

 




マエ モドル ツギ